« 2018年11月 | トップページ | 2019年1月 »

2018年12月

2018年12月29日 (土)

懐かしの・音羽橋・塒・丹頂

 Sさんから釧路からのタンチョウのコメントに触発されて、懐かしの雪裡川にかかる音羽橋でタンチョウのねぐら撮影を思い出しました。
ここは昔からタンチョウの塒を撮影できるポイントとして有名でした。音羽橋の下流が丹頂のねぐらになっていて晴天の朝焼けや朝の気荒らしとマイナス15℃以下になるとキラキラ光る霧氷と丹頂が様々な表情を見せてくれるスポットです。昔連続三年(訂正2007~2010の4年)通った音羽橋も最後の年も暖冬で、両岸の霧氷に光る樹氷を見る機会がなかった記憶があります。

撮影日 2010年2月16日午前6時20分~7時

0401

0431

0581

1001

1721

2021

この日は気温が高くマイナス5℃程度で陽が昇っても霧氷が見られません、この後は鶴見台と伊藤サンクチュアリのタンチョウ撮影の懐かしい想いでがあります。

今年一年お世話になりました。皆様良い年をお迎えください。

2018年12月25日 (火)

クリスマスのドクターイエロー

新横浜駅に到着した「ドクターイエロー」

_dsc40751

撮影日 2018年12月25日 Pm12:04~05分

新幹線区間において、線路のゆがみ具合や架線の状態、信号電流の状況などを検測しながら走行し、新幹線の軌道・電気設備・信号設備を検査するための「新幹線電気軌道総合試験車の愛称である。
今年は2月にもドクターイエローを撮影した2月7日のブログ「ドクターイエロー(新横浜駅停車)」と合わせて2度目である。


新横浜駅下りホーム②では、ドクターイエローが入線する時刻前になると駅員が柵に寄り掛かる見物客などに注意などの整理を始める。 

_dsc11341

ドクターイエロー到着直前、上りホーム③より撮影

_dsc40461

入線するドクターイエロー

_dsc40631

停車直前

_dsc40760

_dsc40830

停車直後 小田原寄りには大勢の見物客とカメラマンが待ち構えている、いつもの光景、この体験から今回は上りホームでの撮影を選択した。奇しくも新横浜に住む娘がタブレットでドクターイエローを撮影している姿が写っていた。偶然の賜物、クリスマスプレゼントになった。

_dsc41030

12:05 発車直後

_dsc4105

1号車 の発車

_dsc4109

出発した1号車~3号車

_dsc4111

4号車

_dsc4118

5号車

 

_dsc4119

6号車

_dsc4129

7号車

 

_dsc4132

7号車後尾

_dsc4134

新横浜駅ホームを通過

_dsc4140

_dsc1151

ポイントを通過 200mm望遠

_dsc1175

小田原方面に走り去るドクターイエロー

2018年12月24日 (月)

「愛国から幸福へ」の縁起切符

     
 冒頭の路線図はかって国鉄が個人旅行客の増大を目的に1970年から始めた
DISCOVER JAPAN のキャンペーン。全国約1400の駅に記念スタンプを用意して旅行客の旅の思い出をしるすイベントを行っていた。現役時代の1971年に手に入れた DISCOVER JAPAN の記念スタンプノートの16頁に挿入されていた国鉄時代の北海道の路線図です。
民営化後も大赤字のJR北海道は毎年のように廃線・廃駅を繰り返す現在のJR北海道の路線図とは大違いです。
この国鉄時代の路線図では太平洋沿岸の広尾までは帯広からの広尾線(ひろおせん)の終点であった。日本国有鉄道が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道十勝支庁管内の帯広市の帯広駅で根室本線から分岐し、十勝平野を南下して広尾郡広尾町の広尾駅に至る路線。1987年4月1日の国鉄分割民営化直前の二ヵ月前(2月1日)に広尾線が廃線になった謎もある。

 

Img0057

DISCOVER JAPAN のキャンペーンを始めた3年後の1973年3月にNHKのテレビ番組「新日本紀行」で「幸福への旅」の放映がきっかけになり、愛国駅から幸福駅行きのキップが「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズで大ブームとなり1千万枚以上も売れたが焼け石に水で広尾線の赤字改善には至らず、北海道十勝支庁管内の帯広市の帯広駅で根室本線から分岐し、十勝平野を南下して広尾郡広尾町の広尾駅に至る広尾線は1987年2月1日に廃線となった。その二ヵ月後に国鉄分割民営化でJR北海道が誕生した。

Img0028_2

平成30年(2018年)5月4日に旧愛国駅前の土産物店でも発売している硬券切符、これが平成最後になった記念のお土産となった。

Img00300

国鉄広尾線時代に愛国駅-幸福駅間の切符が「愛の国から幸福へ」として人気となり、一連の縁起切符ブームの火付け役となった。このブームによって、当時1000万枚以上もの切符が売れたそうですがこれはビニールケースに収められた平成30年に購入したもの。写真の幸福駅→愛国ゆき の切符は【昭和62年2月1日」は広尾線が1987年に廃線となった日付け。

Img0027_2

こちらは上の開運切符の表面なのか、それとも裏面なのか?表は幸福への開運切符だろうか?裏表が分からない?こちらが表で裏に夢の幸福への切符があるのが正解だろうか

Img00610
切符以外にもこんな往復はがきと同じ形の記念品もある。現在の愛国駅は「交通記念館」となっています。ホームに停車しているキュウロク形SLと大きな切符がデザインされている

_dsc7916

愛国駅舎は交通記念館となっている、ホームには、でかぐろSL19671が静態保存されている

_dsc7917

大きな幸福行き切符

_dsc7919

交通記念館の駅舎の内部

_dsc79201

愛国駅からの運賃、時代はいつか?愛国~幸福が110円の時代はいつ頃?

_dsc7923

広尾線時代の鉄道用具

_dsc7925

愛国―幸福 一千万枚の発売達成記念が見える、 日付 は平成5年3月7日この日は奇(く)しくも自分の53回目の誕生日である。平成5年の1993年は国鉄分割民営化6年・広尾線廃線6年後。1973年3月にNHKのテレビ番組「新日本紀行」で「幸福への旅」の放映がきっかけになり、愛国から幸福への縁起切符のブームの始まりから20年目である。

_dsc7926

広尾線の歴史の写真などが展示

_dsc7927

大判の愛国から幸福行きのピンクの大切符が最後のイベントの周りにベタベタ、幸福駅よりは少ないが展示品が見えなくなるほどあふれている。

_dsc7910

愛国駅ホームにSL 9600型愛称 でがぐろ

_dsc7901

ホームのSL9600型 19671号機

_dsc7907

19671号機の履歴

_dsc7908

SLの後方からの駅舎

_dsc7911

SL 19671号機の機関室

Img0010

旧幸福駅は鉄道公園になっている帯広市の観光名所、2016年10月22日に台湾・新竹県の合興駅と友好駅協定を締結している。このせいか中国人の観光客が目立つようになった。

_dsc7897

旧幸福駅の外観、手が届く範囲は大型の切符だらけ

_dsc7892

旧幸福駅の内部は一面のピンクの愛国から幸福への大型切符、新たに貼る余地が全くない状態、今でも観光客が十数万人が訪れる。

_dsc7888

恋人の聖地 幸福の鐘

_dsc78641

_dsc7865

二両の気動車キハ22 221、キハ22 238

_dsc7863

_dsc7873

展示車となっているキハ22 238

_dsc7876

キハ22 238の運転台

_dsc7874

キハ22 238の車内は展示室

_dsc7875

展示品の一部。台湾・新竹県合興駅は現地では愛情駅と呼ばれるそうです

_dsc78751_2
台湾・新竹県の合興駅と幸福駅は、人々に愛と幸福をもたらす駅として2016年10月22日に友好駅協定を締結。写真は2017年3月25日のセレモニーに使用したキハ22 238のヘッドマーク。日台の友好と交流の架け橋となる2つの駅の友好駅協定を記念したセレモニーがあったと思われます

とかち帯広空港から帯広へ向かう途中にある旧幸福駅は外国人も立ち寄りやすい観光地の愛と幸福をもたらす鉄道公園のようです。訪れた5月初旬頃は帯広市緑ヶ丘公園の花見客も多い時期でした。

ここ数年は新ひだか町の二十間道路のサクラ観光の後に十勝エリアにある桜の名所や道の駅、コスモール大樹・虫類・さらべつ・なかつかさいの道の駅のスタンプラリーをしながら幸福駅と愛国駅に立ち寄りお土産に、「愛国から幸福へ」の切符や絵葉書をお土産に買い求めた。
今宵は愛国から幸福への縁起切符を愛でながらのクリスマス・イブとなります。

 

2018年12月20日 (木)

幌戸沼のカワアイサ

 北海道のカワアイサは音更町役場のカワアイサの巣立ちが有名ですが、タンチョウ親子の撮影地でカワアイサの成鳥雌雄とカワアイサ親子の採餌が見られましたが霧なのか靄なのか、それに距離が遠いのが難点でした。近くの沼畔ではノビタキなどがいました。今夏の北海道の写真が師走になっても続いいています。

_dsc20250

幌戸橋の袂(たもと)の近くでノビタキがいました

_dsc20421

コヨシキリのソングポストもあります

_dsc21361

沼の中にカワアイサ親子の採餌

_dsc20720

浅瀬にアオサギ

_dsc21211

カワアイサ成鳥雄

_dsc21271

カワアイサ成鳥雌

_dsc21361_2

カワアイサ親子

_dsc21381

カワアイサ親子採餌の様子

_dsc21551

カワアイサ成鳥

_dsc21571

右端はカワアイサ♂

_dsc21771

カワアイサの飛び立ち

_dsc21831

カワアイサ♂

 

_dsc21861

カワアイサ♂

_dsc2267

沼畔のノビタキ

_dsc2290

ノビタキの羽繕い

沼のカワアイサは沼の畔には近づきませんでした。

撮影日2018年6月7日Am4:45~10:56、鳥友からの緊急連絡で11時より知床のクマゲラの撮影に向かいました。

 

2018年12月19日 (水)

桜と新得神社・D5195・旧狩勝線

 桜と鉄道の旅は、5月6日芽室駅で特急十勝を撮影後に小雨降る国道38号線を新得駅方面へ走っていると「新得山神社桜満開」という紙看板の道しるべがでていたので、新得駅から1km、町の北はずれの新得神社に向かう。 この日はあいにくの小雨の昼下がりに新得神社で桜祭りをやっていた、親子連れの観客で人がいっぱいいました。境内にソメイヨシノよりも濃いピンクの桜がたくさん咲いて 山に咲くさくらもきれいでした。

_dsc7508

5月6日 山桜祭りの新得神社

_dsc7519

_dsc7504

小雨降る新得神社境内の出店の幟

_dsc7505

_dsc7518

_dsc7520

新得神社桜祭りの受付

_dsc7512

参道の手水舎(ちょうずや)の桜

_dsc7513

新得神社境内の桜

_dsc7516_2

手水舎付近の🌸

_dsc7514

本殿前の石段、徒歩の人はこの石段を上がって参拝

_dsc7515

雨の新得神社桜まつり

新得神社の桜まつりの様子でした。次は近くの新得スキー場下のSL広場の桜と蒸気機関車D5195号機の撮影

_dsc7523

国道38号線横にあるSL広場

_dsc7527

SL広場のサクラと静態保存 D5195号機

_dsc7530

_dsc7536

機関室

_dsc7540

機関室内部からのサクラ見物

_dsc7546

D5195と蝦夷山桜

_dsc7549

新得SL広場の桜とSLでした。ここから狩勝峠に向かう。

昭和41年に廃線となった旧国鉄狩勝線跡を整備した散策路。新得山スキー場下のSL広場から旧新内(にいない)駅までその距離約10kmの散策路「狩勝ポッポの道」がある、SL広場から国道38号線を車で狩勝峠に向かう途中に新得そばの館を前を通過して、約10kmで旧新内駅跡に着く。

_dsc7553

旧新内駅跡のブルートレインを連結したSL59672と桜

_dsc7554

_dsc7560

_dsc75592

旧新内駅の由緒

_dsc7561

サクラとSL59672

_dsc7565

トロッコ乗り場

_dsc7569

サクラ咲く新内駅逓所跡と石川啄木の詩、ここは10Kmの散策路「狩勝ポッポの道」の終点

新得神社の桜まつり・SL広場のD5195号機と桜、狩勝峠の桜咲く旧新内駅のSL 59672とブルートレインとの再会でした。

2018年12月16日 (日)

岩内運動公園の桜とD51159

 共和町の幌似鉄道記念公園を訪問する前は、隣町の岩内町につくられた元国鉄岩内駅跡地の道の駅「いわない」への道南・道央のスタンプラリーと桜周遊旅の途中であった。この日はスタンプラリー後に、北海道岩内郡岩内町宮園の 岩内運動公園に着くとSLの傍に桜が咲いていた。この運動公園に静態保存されている蒸気機関車は、2016年11月18日「静態保存37・岩内運動公園D51159号機」として2年前に訪問済みで2回目のブログとなる。

Img0125

_dsc7696

_dsc7697

_dsc7700

_dsc7702

_dsc7704

_dsc7705

_dsc7706

_dsc7707

_dsc7709

_dsc7710

_dsc7713

岩内運動公園の桜とD51 159号機

撮影日2018年5月1日

 

 

 

 

2018年12月15日 (土)

共和町の幌似鉄道記念公園

 例によって今夏の過去ログです。共和町のわがまちご当地入場券を発売中の函館本線小沢駅に行くが無人駅により、委託販売先の佐々木商店で購入後に、小沢駅から分岐して隣町の岩内町まで7kmの旧国鉄岩内線の駅舎が唯一残る、幌似駅跡の面影を残す共和町の幌似鉄道記念公園に初訪問をして国鉄時代の歴史を偲ぶことができました。

Img0118

Img0069

共和町のわがまちご当地入場券、函館本線小沢(こざわ)駅、購入日は2018年7月6日

_dsc7742

_dsc7743

旧幌似駅の由緒

_dsc7717

駐車場からの幌似鉄道記念公園の撮影

 

_dsc7718

_dsc7723

駅舎入口

_dsc7720

駅舎内部の出札口

_dsc7721

ここにも共和町のわがまちご当地入場券・小沢駅のポスター

_dsc7722

レールが5種5本置いてありました

_dsc7724

幌似駅名標

_dsc7725

ホームに車両が2両、最後尾に連結する車掌車と有蓋緩急車を合体したような ワフ295 87 

_dsc7726

客車(スハフ42507)・客車や貨車の最後尾に連結する乗務員用車両の有蓋緩急車(ワフ29587)

_dsc7728

客車のスハフ42507と駅舎

_dsc7730

客車スハフ42 507

_dsc7731

客車スハフ42507の座席、JR扇風機は昭和のノスタルジー

_dsc7733_2

窓からホームを見ていると昔の出張を思い出し、今にも発車する気分は錯覚なのか幻覚なのか?

_dsc7734

スハフ42507とワフ29587の連結器

_dsc7729_2

客車スハフ42507の朽ちた台車と銘板

_dsc7735

幌似鉄道記念公園 表側

_dsc7736

幌似鉄道記念公園 裏側

_dsc7737

幌似鉄道記念公園2両の静態保存車と花壇

北海道の鉄道遺産はこの他にもまだあるようだ。

2018年12月13日 (木)

道の駅で銀河鉄道に乗車

 道の駅スタンプラリーで陸別町の道の駅「オーロラタウン93りくべつ」を巡る旅でふるさと銀河線の観光鉄道を楽しむここは「道」と「鉄道」の観光交流点でした。陸別町の資料によると、平成18年(2006)に廃止された「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」は、明治時代に建設された国鉄池北線を引き継いだ全長140kmの長大路線だった。その廃止から2年後の平成20年、ふるさと銀河線が住民の足でもあった陸別町で『ふるさと銀河線りくべつ鉄道』が設立。旧陸別駅構内に残る約500mの線路と、残されたディーゼル気動車を運転する「りくべつ鉄道」がスタートした。営業案内では、気動車運転体験Sコースは料金2000円で駅構内を15分程度運転体験ができる。Lコースは完全予約制で80分程度CR70・CR75型気動車を使用し指導運転手より講習を受けて運転体験ができる。料金は20000円。同じく完全予約制の気動車運転体験銀河コースは北見方面へ1・6Km日本一長い運転体験コース、料金は30000円。運転に使われるのは、ちほく高原鉄道時代そのままの姿を留めるCR75形4両とCR70形2両の6両で、動態保存鉄道としては豪華な車両数である。うち2両は銀河線にちなみ、人気アニメ『銀河鉄道999』のラッピング車両となっている。
当日体験したのは時間の都合で、ふるさと銀河線りくべつ鉄道の乗車体験(料金300円)で通称白メーテルのCR75型で駅構内を10分程度の2往復乗車した時のフォトブログです。

Img0025
ふるさと銀河線 りくべつ鉄道 構内案内図、足こぎ式のトロッコもあります。

_dsc8197

記念入場券と乗車券を購入したりくべつ鉄道の受付

Img0058
ふるさと銀河線りくべつ鉄道 記念入場券、駅構内の入場は無料です。

_dsc8137

撮影日5月12日

_dsc8141

13:00発車前のCR75-1

_dsc8148

発車前の運転席

_dsc8144

発車前の車内の一部

_dsc8145

_dsc8147

発車前の車内を撮影

_dsc8155

_dsc8156

_dsc8151

発車前後部乗車口

_dsc8152

1番線ホーム発車前の後部

_dsc8160

運転室に運転手が座り発車です

_dsc8161

発車後の進行方向

_dsc8164

ポイントの手前で停止、運転手は後部の運転席に移る

_dsc8154
運転手が前から後ろへの移動中に付いて行き車内を撮影

_dsc8166

ここから発車したホーム方向に戻る

_dsc8167

反対側の2番ホームに停車中のCR70型とすれ違う

_dsc8172

構内の折り返し地点から1番ホームの池田方面に戻る

_dsc8177

出発した1番ホームの手前、1番線ホームを池田方面へ通過して2往復する

_dsc8179

2番線ホーム停車中のCR70と二度目のすれ違い

_dsc8183

二度目の1番線ホームへ

_dsc8182_3
下車前の扉の上部にあるりくべつ鉄道路線図

_dsc8187

 

二往復して乗車体験は終了、乗客は自分を含めて家族連れ2組でした

 

_dsc8188

乗車体験後は一番線ホームから2番線ホームへの跨線橋を渡る

_dsc8191

跨線橋

_dsc8192

2番線ホームの運転体験の出来る気動車が待機している構外への運転体験は来年の楽しみとなる。

Img0032

_dsc8138

こちらは今回乗車体験した銀河鉄道999白メーテルのラッピング車

2018年12月 5日 (水)

髪の毛・神頼み駅名の回想

 二年前の12月5日の今日は留萌本線の留萌―増毛間が廃線になりました。増毛駅名から頭髪の回想です。
鉄道フアンの間では、「半家(はげ)駅、増毛(ましけ)駅、桂(かつら)駅」の3駅を「髪の3駅」と呼んだ時期があります。半家駅はJR四国の予土線の無人駅、増毛駅はJR北海道・留萌本線の終点無人駅、桂駅は阪急電鉄京都本線と嵐山線の起点駅。
この話は二年前の2016年12月5日に留萌本線の増毛ー留萌間が廃線になるまでの話でした。はげ駅―ましけ駅間は旅行会社の通年ツアーが有りましたが廃線直前には「これが最後!半家(はげ)駅から増毛駅の旅」と銘打った新大阪駅発の4泊5日のツアー、寝台特急サンライズ瀬戸、北海道新幹線を乗り継いだおもしろツアーがニュースになりました。

今年の4月10日からの五泊六日の夫婦旅で寝台特急サンライズ瀬戸で瀬戸大橋開通30周年記念日に高松に着き、道後温泉など温泉と城巡りの後に14、15日に最終地である平家の隠れ里・平家落人伝説が語り継がれている落合集落や祖谷(いや)のかずら橋と平家資料館を観光しました。かずら橋は源氏の追討軍が攻め寄せてきた時に切り落として侵入を防げるように野生のカズラで架けたと伝えられている日本三奇橋の一つです。

JR予土線の珍名駅の半家(はげ)駅の半の由来は、平家の落人が源氏の追討を逃れるために「平」の横線を移動させて「半」にしたと言われています。四国は平家落人伝説が圧倒的に多く語り継がれている地方です。

髪の毛「ふっさふさ」のイメージがわくような東京都福生市本町のJR東日本・青梅線の業務委託駅の福生(ふっさ)駅は都会にある駅なので観光地ではない、そのためにか増毛駅が二年前に廃駅になった後に、「半家(はげ)駅から福生(ふっさ)駅へのツアー企画は無かったようです。

ところが2015年12月に千葉県を走る銚子電鉄の笠上黒生(かさがみくろはえ)駅が駅の愛称をネーミングライツ(命名権)で売却して、育毛剤の「スカルプフォーマットシャンプー」で知られるメソケアプラスが購入して、「髪毛黒生(かみのけくろはえ)駅」になった。しかも期間限定で走る育毛祈願電車「髪毛黒生・黒髪祈願号」の運行までしている。髪の毛にまつわる駅は廃止もあるが髪頼み(神頼み)で誕生する駅もあるようです。

髪の毛の悩みの多い人が神頼みに来た「髪の毛の聖地」増毛駅に代わる髪毛黒生駅は第二のハゲの聖地だろうか?自分はもう歳なので悩みは髪の毛とともに薄くなったが、祖父や父の頭髪の後退、禿行く様子を見てきた今の現役世代は戦々恐々としているものと思われる。

神頼み(髪頼み)のお守りは増毛駅の入場券でした、二年前の12月5日の今日で廃線・廃駅になりましたので列車は見られません。

Epson0051_2_2
髪の毛のお守りは増毛駅の入場券 駅舎の表示看板通りの増毛駅来駅記念(観光入場券)であったがお守りに丁度良い縦型でした。

Epson0054_2

2016年7月10日留萌駅で購入した硬券入場券セットの中にあった増毛駅の観光入場券。廃駅はこの年の12月5日の今日でした。

Epson0040

廃線記念 2つ折りに出来るA4を真ん中から折るとA5のサイズになる。表と裏はセットで「留萌本線・留萌―増毛駅・硬券入場券セット」留萌本線起点の深川駅と留萌駅の二駅の改札口で販売していた。

Epson0030

中はこのようなデザイン

Epson0031

左側を拡大すると留萌本線、留萌駅~増毛駅の歩み

Epson0037

右側は留萌駅~増毛駅9駅の開業日と駅舎またはホームの写真

Epson0050

留萌―増毛間全駅の入場券がセットでした。

二年前から髪の毛のお守りが廃駅となり効力がなくなったのか?白髪は抜け行くばかりで益々薄毛となり半家駅名に近づくばかりです。
今日は二年前の増毛駅の廃駅日でした。

 

2018年12月 3日 (月)

10年前に見て今回が初撮り(再掲)

 今日の12月3日(1・2・3)は何の記念日かあまり知られていないが、このブログの目標は400種の野鳥撮影であったが最初の撮影は2005年にサクラの撮影中に見たカワセミの撮影が一番目となる。イチ、二ー、サンと始めた野鳥撮影も十年前の今日。2008年12月3日のブログは12月1日から鹿児島県出水市でナベヅルを撮影したブログを現地で3日に発信した下記のブログの日です。

2008年12月 3日 (水)

10年前に見て今回が初撮り(12月3日のタイトル)

普通は初めて見る野鳥は撮れれば初見初撮りですが、このナベヅルは10年前に観ました、そして10年後の2008年12月1日に撮りました、何故か?それは10年前後の3年間にビジネスで出水市にあるN電気の鹿児島工場に年度方針説明会や賀詞交換会に毎回出席させて頂いておりましたので、ある年に会合の後で時間がある希望者にツル観察センターへ南国交通のバスで案内された記憶があります、田んぼにいるツルの大集団を初めて観て圧倒される思いと、その時に鍋の底のように黒いツルがナベヅルと説明を聞いた覚えがあります。

081212_028

曇り空に近い空をナベヅルの単機?(一羽)飛翔です

081212_029 

上に上げた羽は下に下ろさないと浮力と推力が起きません

081212_030 

そして鳴きながら下に下ろします、仲間への合図なのでしょうか

081212_032 

また上に上げます、この繰り返しです、当たり前ですね、昔は当たりとまえ言えば前田のクラッカーでしたが・・・

旅先でのブログ作成は酔いが先に回り単純作業を選択する癖が抜けません。旅の恥はかき捨てよ!?

写真4枚といいかげんなコメントを付けたブログでしたが、まだ目標400種に対して11月までに326種の達成でした。当日の2008年12月1日は鹿児島県出水市のナベヅル・マナヅル・ソデグロヅル・カナダヅルなどの初撮りを目指す。目標の400種を目指して東奔西走していた時期であり、野鳥撮影の全盛期であった。残70種あまりの目標達成には更に4年の歳月を要して2012年末まで掛かりました。(2018年12月3日・記)

« 2018年11月 | トップページ | 2019年1月 »

2023年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
顔文字教室
無料ブログはココログ
フォト