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2019年10月

2019年10月26日 (土)

ハヤブサ四兄弟の給餌

 阿寒のエゾフクロウは四兄弟、札幌のハイタカも四兄弟、そして比布のハヤブサも四兄弟で今年の北海道夏の繁殖期は四兄弟の当たり年であった。例年ならばこれにクマゲラの四兄弟がどこかで見られると四兄弟四組の揃い踏みであったと思われる。
今回の夏の回想は、6月初旬に咲いた香りの良いアカシアの花を天ぷらなどで旬の料理を味わう処を知る由もないアカシヤの花。その花が散った頃の6月下旬にはハヤブサ四兄弟は空中でじゃれ合う程の飛翔力が付き兄弟が同じ給餌場所で雌親からの給餌を待つようになりました。

撮影日6月23、24日

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崖地の上を飛ぶ2羽のハヤブサ若鳥、じゃれ合っているように見えましたが空中給餌の練習とも見えました

 

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飛べるようになると同じ処にとまります

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四兄弟が同じ止まり木(給餌場所)に集まりました

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右端に移動して親の給餌を待つ一番子

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♀親が給餌に来ましたが一番子が一番大騒ぎ

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一番子が親から獲物を奪いました

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一番子の餌を見届けた雌親は飛び出す準備

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雌親が飛び去る、見送る四兄弟、早く持ってきて!

 

 

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翌日も同じ処で給餌

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飛び去雌親

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給餌の餌を運んできた一番子

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崖地の落石防止の金網の上

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一番子の採餌の様子です

 

 

2019年10月25日 (金)

アカシアの花とハヤブサ

 白く咲いてもアカシアの花、狩りをする雄とともに四羽の雛を育てるハヤブサ成鳥雌と青葉の季節に香りのよい白い花の咲くアカシアです。本名はニセアカシアですが西田佐知子のヒット曲”アカシアの雨がやむとき”のアカシアも実はニセアカシアです。
ニセアカシアは繁殖力が強く荒れた土地の崖地でも根付き、野生化して繁殖したニセアカシヤの雑木林がハヤブサの営巣する岩場まで侵食して白い花を咲かせます。今回はアカシアの花とハヤブサの白い回想です。

撮影日6月11、12日

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岩場の営巣地からのハヤブサ雌の飛び出し、向かうのはアカシアの木

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お気に入りのアカシアに飛んできました

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アカシアの白い花とハヤブサ♀

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アカシアの木からの飛び出し
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飛び出し二枚目
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お気に入りの枯れ幹の上
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アカシアの花のボケをバックにエンゼルもどき?
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暗青灰色の背・雨覆・尾を見せる(雌雄同色)ハヤブサ♀

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6月12日 片足は横斑の腹の中

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前ボケのアカシアの花が咲く崖の岩場に落ちたハヤブサ若鳥
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「キィ キィ キィ」警戒の鳴き声は”助けて~”?

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親は心配そうに? 見ているだけだが給餌はする。

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アカシアの前ボケと岩場に落ちた若鳥

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アカシアの花の中にハヤブサ成鳥♀

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 巣穴の方向を見つめるまだ十分に飛べない若鳥

 

2019年10月24日 (木)

想い出のハイタカ雌のエンゼルスタイル

 夏の札幌市内でまだ白い四羽の雛を育雛中のハイタカ雌の”思い出”ですが記憶に残る写真は今回編集したハイタカ雌の猛禽類エンゼルスタイルです。


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何か狙っているエンゼルのようです

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片羽のエンゼルはぎこちないようです

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両羽のエンゼルスタイルですが猛禽は目つきがキツイですね

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飛び出し

2019年10月23日 (水)

三島大社と水辺の文学碑

 天皇御即位を奉祝する三島大社の参拝と境内の天然記念物金木犀を見物した帰路は清流桜川沿いの三島市に関する文学碑を一つ一つ読んで勉強して来ました。

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道路に面した三島大社の鳥居 

 

10月20日(日)参道には七五三姿があちらこちらに

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拝殿の七五三参り

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この日は境内のあちらこちらで七五三の記念写真風景

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今年の金木犀の開花は例年よりも遅いようです
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三島は鰻屋さんが多い、この日はどこも満員です

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駅まで三島水辺の文学碑の見物
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清流の桜川沿いの文学碑を見ながらの散歩
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井上 靖 「少年」より、三島町一節

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穂積 忠

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小出 正吾 「ジンタの音」

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太宰 治 

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司馬遼太郎 「三島一泊二日の記」より

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若山牧水 「箱根と富士」

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松尾芭蕉

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十返舎一句 「東海道中膝栗毛」

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正岡子規

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桜川の水辺を文学碑を見ながら読みながらの散歩

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三島市も台風19号の影響で歩道が一部通行止めで車道の迂回路

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男女の子供人形が清流から手押しポンプで水を飲ましてくれる

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三島市内から雲の中に富士山が現れる

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三島駅前で名物の鰻のうな重で昼食、帰路は三島駅より新幹線で新横浜へ

三島大社の参拝と富士山からの清流と三島市ゆかりの文学碑の旅

 

2019年10月22日 (火)

熱海♨七湯めぐり

 正月は熱海駅から3分の伊東園ホテル熱海館に宿泊して、早咲きのあたみ桜や梅の吸蜜に来る野鳥撮影でしたが今回は同じ熱海館に宿泊して熱海温泉自噴の歴史を物語る”熱海七湯”めぐりをしてきました。 七湯めぐりは、お宮の松にほど近い熱海銀座近辺に散在していますので、19日は野中の湯・小沢の湯・清左衛門の湯の三ヶ所をめぐり翌日の20日朝食前に残りの4ヶ所をめぐる坂の多い熱海の街の七つの源泉をめぐり、熱海七湯にまつわる話と歴史にふれ、生涯学習の一環として湯の町の情緒を楽しんで来ました。朝食の休憩後に熱海館名物の岩盤浴で癒してから家族と孫連れで三島大社の参拝と金木犀の観光に出かけました。
撮影日10月19、20日

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熱海七湯めぐりの案内図
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野中の湯 湯煙が上っていました

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野中の湯は中銀ライフケア咲美の敷地内にあります
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小沢の湯 例年なら付近のコンビニから卵を購入してここで温泉卵を楽しむ人々で賑わっていますが自噴が故障中で人気が全くありませんでした。
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小沢の湯

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清左衛門の湯

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清左衛門の湯

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大湯

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大湯は間歇泉

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大湯

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河原湯

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佐次郎の湯(目の湯)

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風呂の湯(水の湯)

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風呂の湯 水の湯
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風呂の湯は福島屋旅館の脇にあります

 

2019年10月21日 (月)

日本100名城50 彦根城

 前ブログの小谷城跡(10月7日)から遠望された日本100名城50 彦根城は天守が国宝にされた五城(犬山城・松本城・姫路城・松江城)のひとつである。江戸時代には彦根藩の政庁が置かれた。三重三層の天守の他に多聞櫓は国宝、城跡は特別史跡である。幕末の開国の英雄”花の生涯”の井伊直弼の居城である。 

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国宝天守閣・彦根城案内図

 

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彦根城 三重三層の国宝天守、屋根は入母屋破風・唐破風・切妻破風と多彩

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二層目の金箔の飾金具が引き立つ

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天秤櫓

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天秤櫓下の堀切

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石垣と順路
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堀切からの天秤櫓の石垣(左)

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  太鼓門櫓

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天守入口

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天守内部の一部

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天守内部

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天守閣屋根瓦と景色
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天守の天井

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天守の国宝指定書
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西の丸三重櫓

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西の丸

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西の丸内部

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西の丸内部

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西の丸三重櫓からの景色

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西の丸三重櫓

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花の生涯記念碑

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1860年幕末の桜田門外で暗殺された開国の英雄”花の生涯”の彦根藩13代藩主・大老井伊直弼

一番大事なスタンプを捺す開国記念館の最終時間が4時半で終了するために大名庭園の玄宮園を見学する時間がなく、船でお濠を周遊する時間も無くなってしまいました。

 

 

 

 

2019年10月19日 (土)

日本100名城49 小谷城

 

 日本100名城49 小谷城は織田信長に滅ぼされた浅井家三代目の浅井長政は信長の妹お市と結婚して娘の三姉妹と暮らす居城であった。麓の清水谷と大広間・本丸・京極丸などが連郭式にならぶ曲輪群と大獄・山崎丸などの独立した曲輪で構成される巨大な山城で山の中には建物の遺構は残っていない。

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三重県松阪城址から滋賀県長浜市の小谷城址に移動して来ました。

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この日登城した人を山中で見かけた人は3,4人のみだった

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小谷城を攻撃する織田信長や羽柴秀吉の気持ちになって攻め上る、初めは番所跡
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番所の復元図
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更に攻め上る
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御茶屋跡
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馬洗池
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桜馬場跡

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琵琶湖 彦根城の遠望と長浜城があった処が見える

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黒金門跡

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大広間跡

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大広間跡から奥に本丸跡が見える

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本丸跡

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本丸を落とした後は山王丸を目指す

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大堀切跡
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中丸跡

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小丸跡

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大石垣

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山王丸跡

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ここまで攻めたがここから引き返す

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NHK大河ドラマ浅井三姉妹の放映記念

 

2019年10月17日 (木)

ハイタカの四兄弟

 10月初旬に渥美の森展望台のタカの渡りの撮影で、春に日本に渡って来て日本の各地で繁殖したと思われるハイタカ幼鳥が越冬地の東南アジアを目指して飛ぶ様子を見て夏の繁殖地の観察を思い出しました。3ヶ月前の7月初旬に北海道でハイタカ一家の営巣の様子を記録していましたので、今年の秋の渡りの時季は札幌の公園で生まれ育ったハイタカ幼鳥も含まれている初旅の渡りと思われます。
それでは3か月前の親鳥の給餌とまだ羽が白い育雛中の四兄弟の営巣の記録です。

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♂が狩りして来た獲物を♀が受け取りこれから巣に給餌に飛ぶ♀ 7月4日14時

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ハイタカ♀の給餌と四兄弟、給餌の時に雛が立ち上がるので見えます、巣の様子が見えるのポイントは巣から枝葉の中を通して見える2,3ヶ所から十数人のカメラマンで譲り合いながらの窮屈な撮影です。

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エサを強請る四兄弟

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立ち上がる雛以外は巣の中で見えません

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雌がエサを小さく食い千切っての給餌です
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雄が狩りしてきた鳥を給餌するのが雌の役目です

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巣の方向を見る♂

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給餌後の♀の飛び出し ♀の眉斑はハッキリ見える

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給餌後の♀の飛び出し 
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見送る四兄弟

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給餌後のヒナの羽伸ばし

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食欲旺盛な四兄弟に♂は狩りに大忙し、眉斑が見えない♂ 7月5日14時

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狩りして来る♂の獲物を待つ♀ 白い眉斑が太く長い
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待ち草臥れた雌のストレッチ

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尾羽の次は翼のストレッチ

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雌の白い眉斑は太く長い 7月6日10時

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狩りから戻った♂ いつもなら♀が直ぐ飛んでくるが・・・

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待ち草臥れた♀が狩りに出かけて留守の様子、この後は♂が巣に入る

滞在期間の都合で7月4日午後~6日午後1時までの3日間の短い観察記録でした。巣立ちの日まで観察したかったが後ろ髪(わずかに残っているはず?)を引かれる気持ちで次の場所に移動しました。

 

 

 

 

 

 

2019年10月16日 (水)

ハイタカの飛翔

 渥美の森展望台で空高く遠く豆粒に見えた西に渡るハイタカを見て、7月の北海道・札幌の公園内で近くで撮影したハイタカを思い出しました。

撮影地 北海道札幌市

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ハイタカ成鳥♀の飛び出し

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飛び出し二枚目 ♂が狩りしてきた獲物を受け取りの飛び出し

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飛び出し三枚目

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ハイタカの飛び出し

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公園内の飛翔

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公園の森の上を飛翔

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ハイタカ成鳥♀ 青空の飛翔

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ハイタカ成鳥♀

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ハイタカ成鳥♀

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ハイタカ成鳥♀

2019年10月15日 (火)

日本100名城48 松阪城

 松阪と言えば高級銘柄牛肉の松阪牛(まつさかうし)を連想するが松阪市の観光コースは蒲生氏郷が縄張りした石垣の城を巡る蒲生氏郷コースの「武将の道」、本居宣長コースの「国学の道」、三井高利コースの「豪商の道」などの松阪市の観光案内板が至る所にあり、豪華なパンフレットも充実しているので驚いた、流石は豪商の街である。今回は日本100名城に限定しての武将の道を観光した。

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松阪市観光情報センターでスタンプと観光案内を収集する。

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いつものように”日本100名城に行こう”スタンプ帳より

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松坂市役所文化課発行の国史跡 松坂城跡・表紙より(松阪城址の空撮と入口付近)

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国史跡 松坂城跡2頁目

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国史跡 松坂城跡3頁目

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国史跡 松阪城跡4頁目

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松阪城址の入口

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本丸の石垣
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本丸の石垣

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野面積の石垣

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本居宣長記念館手前の石垣

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本居宣長記念館

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中御門跡 屈曲した城内の通路が多い
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金の間櫓跡

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天守台跡

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天守閣跡
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天守台石垣に使われた石棺、古墳の上に建てられたので至る処に遺跡がある
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御城番屋敷の倉庫
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御城番屋敷 藩士の居宅が通路の両側に昔日の面影を残して20軒現存する

 

2019年10月14日 (月)

日本100名城47 伊賀上野城

 忍者の里と呼ばれる伊賀国、慶長13(1608)築城の名手藤堂高虎が筒井定次が築いた筒井故城を高石垣で囲み大拡張した城、現在の天守は昭和10年に地元の名士が私財を投じて木造の復興天守を再建した日本100名城47 伊賀上野城と伊賀上野は俳聖松尾芭蕉翁ゆかりのふるさとでもあります。

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伊賀文化産業協会パンフレットの表紙

 

 

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高さ30m日本一高いと言われる有名な高石垣

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高石垣の上まで恐々(こわごわ)近寄り撮影するが石垣と壕の界面まで写らず

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高石垣側よりの伊賀上野城

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正面からの二つの天守閣

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伊賀上野城の天守閣への入館は登閣料 金600円也

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天守閣への入口

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鯱の展示

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鯱の左脇・藤堂高虎の由緒

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一階の展示品

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豊臣秀吉から藤堂高虎が拝領した唐冠形兜(とうかんなりかぶと)

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一階の展示品の数々

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一階展示の兜

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一階の展示品 藤堂家の家紋・屋根瓦・鯱・槍など

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3階の格天井
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3階からの景色
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天守閣3階からの景色

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伊賀上野城登城の後は芭蕉翁記念館に立ち寄る

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展示室前のこの奥の細道の芭蕉翁旅姿以外は撮影禁止であった

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スタンプのみが芭蕉翁記念館の記念となった。

 

 

 

 

2019年10月12日 (土)

渥美の森・タカの渡り・その2

 愛知県田原市の渥美半島伊良湖岬は江戸時代の昔から鷹とは馴染みが深く、伊良湖岬の先端近くの芭蕉園地に俳聖松尾芭蕉の句「鷹ひとつ 見つけてうれし 伊良湖崎」の句碑がある。

自分にとってタカの渡りの撮影は、高く遠くを飛ぶ単なる渡った数ではなく、渡るタカの羽数が少なくてもいかに近く低空で飛ぶかである。2011年に渥美半島でタカを近くで撮れる場所として渥美の森展望台をネットで知り、標高100m・距離300m上り坂の渥美の森・展望台に上り、ここの管理人が鳥友のTさんと知り、この展望台で撮影するルール(展望台の上では最大定員18名が三脚の使用禁止と椅子に座っての撮影など)を承諾して「渥美の森・鷹を愛する会」の会員になったのが8年前であった。

今年は台風の襲来でなかなか日程が定まらず、愛知県の天気予報を見て10月4日に新横浜を出発した、東名・新東名をドライブして浜松SAスマートICから出て国道1号浜名バイパスから国道42号で伊良湖崎の7km手前にある渥美の森まで313kmを6時間掛けて辿り着く、10月6日の午前中までここでタカの渡りを撮影して、午後から三重県の日本100名城を巡る、三重県伊賀市の伊賀上野城と翌日の7日に松坂市の松坂城をスタンプラリー、午後から滋賀県長浜市の小谷城と彦根市の彦根城を巡る琵琶湖畔の旅。8日は小雨の中を傘をさしながらの近江八幡市の安土城と観音寺城の山城登山となり、杖と傘を両手に厳しいスタンプラリーでした。9日は滋賀県近江八幡市から新横浜まで新名神・新東名424kmを走り、総走行距離約1300km五泊六日の車中泊の旅を無事ゴールした。この旅でマイカーは2年10ヶ月間に総走行距離5万3千キロを記録した。

野鳥のブログから変心してスタイルが変身したがコメントには苦情が来ないので返信した試しがない。それよりも猛烈な台風ではタカの渡りはどこで退避していつまで待避するのでしょうか?
撮影日10月5,6日のタカの渡りです。

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オオタカ幼鳥

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ノスリ

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サシバ幼鳥

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ハチクマ
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サシバのサンバ

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サシバ幼鳥

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快晴の10月6日午前中の最後にミサゴを撮影して渥美の森を去り、三重県の日本100名城(伊賀上野城)に向かう。

 

 

2019年10月11日 (金)

渥美の森タカの渡り

 10月4日後期高齢者になってから避けていた夜間ドライブそれも距離は300km以上、年甲斐もなく数年ぶり久し振りの深夜ドライブを敢行してしまった。午前1時に新横浜を出発して横浜町田ICから東名に入る、この時間帯は殆どが大型トラック、1時間後に御殿場JCTから新東名に入るが静岡あたりから降り出した雨が激しくなり、掛川付近ではワイパーをハイスピードにしても視界が見えず恐怖の走行10分間が長かった、事故の懸念で止む無く掛川PAに駆け込む、土砂降りが小止みになるまで30分の休憩、掛川PAはプロのトラックドライバーも休憩するほどの猛烈な大雨でトラックなどで駐車場は満杯の状況で一部が走行車線出口まで続いた。小降りになるとPAを出発して浜松PAへ下り浜松SAスマートICを出て、国道1号浜名バイパス→潮見バイパス→国道42号で渥美の森駐車場に到着したのは雨上がりの午前7時であった。30分かけて山登りして誰も居ない渥美の森展望台に到着した。朝方の雨で出足が遅く8時頃になって地元のCMも集まりだした。
この日は伊良湖岬 定点観測地の観測データは無かったようです。
撮影日10月4日

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サシバ幼鳥

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昔の使用レンズ640と違い安価・軽いレンズではそれなりの写真(全てトリム)であった。

 

2019年10月10日 (木)

陽の光で赤いサシバ

 愛知県田原市の伊良湖岬に在る芭蕉園地に俳聖松尾芭蕉の句碑がある「鷹一つ 見つけてうれし 伊良湖崎」どんな句も芭蕉の句となれば名句に思わます。

10月6日 快晴の日の出直後の陽光に舞う、赤色のサシバです。

 朝焼けに あかいろのサシバ 見つけたり
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渥美の森展望台からの日の出 150-600mmの150で撮影5:55

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赤く見えた サシバ

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サシバの幼鳥 尾羽が千切れそう

 

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尾羽が途切れそうに見えるサシバ

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赤色に翔ぶサシバの天体ショー

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気になる尾羽をトリム

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日の出の空に飛ぶサシバの群れ

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陽光の空に舞う赤いサシバでした

渥美半島のタカの渡りと三重・滋賀方面に日本100名城の撮影旅行で一週間振りのブログです。

 

 

2019年10月 3日 (木)

白い回想・シマエナガの雌雄給餌

 春採湖のシマエナガの営巣の様子をいつから開始したのかHDD在庫の写真を調べ直したら今年の5月8日~6月9日の二羽の巣立ちまでの一ヶ月間に10回の観察・撮影を行っていた。この時期は阿寒のエゾフクロウやタンチョウの子育て時期とも重なるので阿寒・春採湖・風連湖周辺を行ったり来たりしていた。
今回の白い回想は巣穴の中で♀が抱卵か、雛への給餌をしていると思われる時期に♂が♀に給餌する場面が撮れました。

撮影日5月15日

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巣穴の中で餌を待つ♀(トリム)

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♂が飛んできて巣穴の♀に餌渡し

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餌渡し後に飛び去る♂と見送る巣穴の♀(ピントは巣穴に固定)

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巣穴の♀が餌を待つが・・・

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エサが待ち切れないのか?

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エサを持ってこないと♀が巣穴から乗り出す

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巣穴から飛び出す♀、ピントは巣穴

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今度はまた♂が持ってきた

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口うつしならぬ嘴うつし

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そして飛び去る♂見送る♀

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♀が巣穴の中にいる間は何回も何回も餌運びを繰り返す

2019年10月 2日 (水)

初夏の白い回想シマエナガ

 人気の白い小鳥シマエナガ。今年の春採湖で営巣中のシマエナガに遭遇したのは5月8日でした。この日から6月9日の巣立ちの日まで10回の観察と撮影を行っていますが、観察3回目の5月25日に子育て中のシマエナガが営巣木周囲の枝や梢に給餌に入る直前や巣に飛び込むシマエナガの番とヘルパーの3羽の給餌活動回想の写真です。

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巣の近くの枯れた蔦での待機

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梢から左の巣へ給餌に飛ぶ

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枯れた蔦から巣に給餌に飛ぶ直前

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梢の上を飛び給餌の飛翔

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給餌の飛翔

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給餌の待機

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梢の新芽とのコラボ

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新芽から給餌の飛び出し

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巣の右下の背景は新緑の緑一色

 

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緑の中で飛び出し

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 撮影日2019年5月25日春採湖のシマエナガ

 

2019年10月 1日 (火)

初夏の思い出・望岳台・白金温泉・青い池

 美瑛町のナキウサギ撮影は十勝岳の避難場所「十勝岳望岳台防災シェルター」の駐車場に車を止めて撮影の準備をはじめます。鉄筋コンクリート造り平屋建てのシェルターは十勝岳周辺の気象情報や水洗トイレやWiFiなどが使えるので雨天の場合はここで待機することがある。天候が良ければ望岳台より登り始めて約30分の十勝岳登山道の脇にある沢のガレ場が自分好みのナキウサギのポイントである。

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5月28日望岳台シェルターの駐車場はまだ雪に埋もれていた
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望岳台のからの雪の十勝岳、噴煙あげる活火山
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前年のナキウサギのポイントのガレ場はほとんど雪に覆われていました
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5月28日、雪のガレ場の上方からタイマー撮影の自撮りです、この日はナキウサギは空振りでした

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美瑛町の観光名所青い池

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5月28日の青い池

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望岳台で雷雨に打たれて休憩に飛び込んだ白金温泉

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白金温泉ホテルの大浴場

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温泉で身体を温めての癒しのひと時

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5月28日白金温泉ホテル露天風呂、雨で入れず
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二度目の望岳台は7月2日 望岳台のナキウサギ
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ナキウサギ若とイワブクロのショットが撮れて大満足

美瑛町の観光名所と初夏の北海道の思い出でした。

 

 

 

 

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