日本100名城51 安土城
日本100名城巡りは、2018年5月に根室駅前のお土産店にある観光協会で千島桜の開花状況を調べている時に、目に入ったのが「日本城郭協会の日本100名城」のスタンプ帳でした。地元の根室にもあるアイヌ民族の城跡を含めて北海道に三ヶ所の日本100名城「根室半島チャシ跡群・五稜郭・松前城」の3城を皮切りに、日本100名城スタンプラリーを「人生百歳時代」の健活に歴史を学ぶ生涯学習のテーマ―の一つとして始めました。
今年は台風の襲来でなかなか日程が定まらず、愛知県の天気予報を見て10月4日に新横浜を出発した、東名・新東名をドライブして浜松SAスマートICから出て国道1号浜名バイパスから国道42号で伊良湖崎の7km手前にある渥美の森まで313kmを6時間掛けて辿り着く、10月6日の午前中までここでタカの渡りを撮影して、午後から三重県伊賀市の伊賀上野城と翌日の7日に松坂市の松坂城をスタンプラリー、午後から滋賀県長浜市の小谷城と彦根市の彦根城を巡る琵琶湖畔の旅。8日は小雨の中を傘をさしながらの近江八幡市の安土城と観音寺城の山城登山となり、杖と傘を両手に厳しいスタンプラリーでした。9日は滋賀県近江八幡市から新横浜まで新名神・新東名424kmを走り、総走行距離約1300km五泊六日の車中泊の旅を無事ゴールした。この旅でマイカーは2年10ヶ月間に総走行距離5万3千キロを記録した。(この遠征後の10月15日よりホンダのミニバンSTEPWGN SPADAに乗り換えた)
安土城は標高199mの安土山一帯にある織田信長(1534-82)の居城跡。国指定の特別史跡です。天正4年(1576年)から織田信長が約3年の歳月をかけて完成しました。安土・桃山時代の幕開けとして築城されましたが、織田信長が倒れた本能寺の変後、焼失して石垣だけが残っています。安土山の南側には、堀が巡っていて往時の名残りを留めています。天主跡と本丸跡には礎石が、また二の丸跡には、豊臣秀吉が建立した織田信長廟が残っています。天主閣跡から東へ少し下った黒金門跡(くろがねもんあと)付近には、壮大な石垣もあります。また、山の中腹には家臣団屋敷跡があり、山の尾根づたいに北へ行くと八角平や薬師平があります。城山の中心部への通路は、南正面から入る大手道のほかに、東門道、百々橋口道、搦手道などがあります。
城の外面は各層が朱色・青色・あるいは白色、そして最上層は金色だったといいます。内部は、狩野永徳が描いた墨絵で飾られた部屋や、金碧極彩色で仕上げた部屋などがあり、当時の日本最高の技術と芸術の粋を集大成して造られたといわれています。わが国最初の本格的な天主の建築は、この安土城が始まりとされ、歴史上に名を残す名城跡です。滋賀県観光情報より
二つ月前の10月7日に安土城跡駐車場で野営して8日朝から攻城した記録。
大手道跡安土町城郭資料館の安土城天主模型1/7と安土城ひな型1/20からも信長の絢爛豪華な型破りの城がうかがえる
大手口石垣址
大手門の石垣
大手道の両側に階段状に家臣団の屋敷跡のひとつ
焼失した信長の菩提寺総見寺はこの石垣の上に復元
幅6m両側に溝がある入口にあった杖を借りて大手道を攻城する
上から見た大手道
安土城は急造したので所々に遺跡を使用、大手道の石仏
豊臣秀吉が建立した二の丸跡の織田信長廟
仏足石
黒鉄門跡
黒鉄門付近
本丸跡
本丸跡
天主閣への石段・石垣
天主台跡
安土城だけは天守ではなく天主
安土城で現存する建造物は総見寺の三重塔と仁王門だけ
三重塔
仁王門
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