日本100名城14 水戸城
二週間もブログの更新を見送り、最後に頂いたコメントの返信が公開(12月4日発信)されるのを待ちましたが一昨日ブログのシステムの確認で二週間待ち続けたコメントの返信がやっと公開されたのを確認しました。今回の原因不明のままですがシステムを変更してからの異変の一つと感じています。
歳の瀬も二週間と迫りましたが北海道撮影旅行の写真は未整理のまま今年も年を越えそのままお蔵入りの運命を迎えます。未整理の中で日本100名城の未整理がありましたのでこれだけは完結して令和2年の新年を迎えようと思います。
4月18日に北海道でアップロードした「国営ひたち海浜公園のネモフィラ」の撮影後に車で30分の水戸市内へ、日本三名園の偕楽園は過去に2,3回観光していますが徳川御三家の水戸城は初です。日本100名城14 水戸城のスタンプをゲットしてから大洗港から苫小牧港行のフェリーに乗船しました。
撮影日2019年4月16日 国営ひたち海浜公園の春のネモフィラ、今頃は秋のコキアで赤く染まっていると思われます。
苫小牧に出発前に水戸城址に立ち寄り日本100名城のスタンプラリー、水戸城址の本丸・二の丸・三の丸などの城址は幼稚園・小学校・中学校・高等学校が建っている。
2019・4・16 撮影時は大手門復元の工事中でした。
2019年9月に完成しました(水戸市HPより)右は二の丸側の写真
「開校・彰考館」プロジェクトの資料より抜粋・転載、お馴染みの水戸黄門様は二代藩主水戸光圀、藩校の彰考館と偕楽園を造った水戸齊昭は9代藩主
大手門橋を渡った右手に9代藩主水戸齊昭(なりあき)の銅像、江戸幕府最後の将軍15代徳川慶喜の実父。
常陸水戸藩9代藩主 水戸齊昭の建てた藩校の弘道館
大手門橋からの右手の土塁と下の切通し
工事中の大手門を通り二の丸側の風景
大日本史の編集所の彰考館跡
石垣の代わりに二の丸と本丸の間のJR水郡線が走る深い土塁跡の堀底、御三家でありながら天守の代用として三重五階の御三階櫓(おさんかいやぐら)
土塁と堀で守られた御三家の城
本丸跡の県立水戸第一高校内に復元移築された現存する唯一の遺構の薬医門(橋詰門)
薬医門
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