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2020年8月

2020年8月29日 (土)

神居古潭駅跡三輌の蒸気機関車

 2015年に国鉄の元蒸気機関士と鳥友になって以来、毎年のように札幌方面から旭川に向かう国道12号線の道中で必ず立ち寄るのが廃線駅の旧神居古潭駅、ここには蒸気機関車が三重連のように静態保存されている。俄かテッチャンになった2015年と翌年の2016年のサクラの時期に二年連続でブログUPした景勝地の旧神居古潭駅は、1969年(昭和44年)10月函館本線が旭川の手前で納内駅と伊納駅間がトンネルで結ばれ、線路の付け替え工事で旧線上にあった神居古潭駅は廃駅となった歴史があります。

過去の神居古潭駅のブログは主に三両のSL(29638号機、C57 201号機、D51 6号機)を主題にしていましたが今回は旭川市の指定文化財となった復元された駅舎やトイレなど、遺構の相対式二面二線のプラットホーム、駅名表示、レンガ造りの鉄橋などにも目を向けての編集です。

撮影日2020年6月18日雨のち曇り

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景勝地 神居古潭

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船旅をするアイヌの人々を恐れさせた激流の石狩川

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一度に100名は旧神居古潭駅には渡れない木造の神居大橋

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駅舎方面に階段を上ると左手にSLが三重連のように見えてくる

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右手に動輪碑・復元トイレ・復元駅舎が見える

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動輪碑からの三両のSL

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復元された明治期の西洋式駅舎の入口正面、現在はサイクリングロードの休憩舎

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ホーム手前の鉄橋のレンガ造りの遺構

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旭川博物館の解説板、三両のSLの履歴

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先頭のSL 愛称「キュウロク」29636号車

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先頭のSL 29636号車

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二両目のSL C57 201号車 C57の最後に製造されたラストナンバー車

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C57 201号機の動輪

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三両目のD51 6号車

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D516号車 ナメクジ

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山側からの撮影

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SL側からのホームと動輪碑・駅舎方向、レンガ造りの鉄橋の遺構

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山側のホーム

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山側のホーム

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川側の壊れた(立ち入り禁止)ホームと錆びた駅表示

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手前左の川側のホーム端と駅舎、奥にSLが見える

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伊能駅方面から川側のホーム端、右奥に山側のホーム、線路跡🛤はサイクリングロ

ード、雨上がりの神居古潭は新緑が鮮やかであった。

 

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見学後は神居大橋を渡り駐車場へ、そこには平岩弓枝の文学碑

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人生は旅路 夫婦は鉄路

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一枚目の写真の拡大です。これでブログの旅路は完です。

2020年8月28日 (金)

初夏のヤマゲラ雌雄の巣作り

 ヤマゲラ雌雄の巣作り、巣穴掘りの木屑出し、雌雄の穴掘り交替、巣穴の周りを一回りなどのヤマゲラの巣穴掘りの生態の一部です。

撮影日6月10日

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雌の木屑出し

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雄が交替で飛んできて巣穴の中の雌に合図

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巣穴から雌が顔を出す

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雌が交替に巣穴から身を乗りだす

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雌が交替で飛び出す

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雄が周囲を見回す警戒するような目付きに見える

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巣穴に入る前に左見て右見て

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用心してから巣穴に入る

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雄の木屑出し

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アリを取る長い舌を出した瞬間

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巣穴から出て来た

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巣穴の下を一回りした、出来栄えを見たのか?
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また出て来た巣穴掘りに戻る♂

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雄の木屑出し

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巣穴から出て来た♂

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巣穴の下で一回りしてから

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雌との交替を待つが雌が来ないので

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営巣木から飛んで行く♂

北海道にしか居ない初夏のヤマゲラの巣穴つくりの一コマでした。

2020年8月27日 (木)

6月の研究林のクマゲラ

 時の記念日の北大研究林のクマゲラです。例年は営巣木の巣穴掘りとか、雛に給餌とか、雛の巣立ちの様子を撮ってきましたが、今回は営巣木以外の木で餌取などの様子です。

撮影日6月10日

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クマゲラ♀のエサ取り

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♂の採餌

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♂のエサ取り

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♂の餌探し

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♂の餌探し

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クマゲラの飛翔

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♂の毛繕い

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営巣木の隣の木で餌取

 

2020年8月25日 (火)

歴史散歩・高久小三郎景義の高久館跡

 傘寿になってから5月にこのブログの記事で本籍地のあった湯沢市東山寺の先祖の墓参りの縁(えにし)で秋田県湯沢市で1877年(明治10年)に誕生した祖父の高久孫三郎(三男)の長兄が5代目当主高久多兵衛の孫である高久均氏とメル友になった。祖父が兄弟の再従兄弟(はとこ)のメル友である。700年以上昔の遠い先祖の高久城址の情報をいただいたので機会があったら見学したいと思っていた。お盆休みにGO TOキャンペーンを利用して四万温泉と伊香保温泉に連泊した帰路に栃木県茂木町から国道123号線で茨木県城里町に入り、城里町役場に行き高久城址の場所を尋ねると城里町桂支所にある桂図書館の郷土資料館を紹介された。走行してきた123号線を桂支所まで戻り、ここで埋蔵像文化財の発掘調査を担当する教育委員会事務局を訪れて、高久館跡の発掘調査資料(37ページの高久城跡と題する発掘調査報告書と発掘現場のカラー写真十数枚)を閲覧した。写真はコピー不可であったが37頁の埋蔵品資料を有料でコピーを入手して、高久城跡の位置を確認した。

 高久城は佐竹氏の一族である高久氏が天正年間に築いたという。高久氏は佐竹8代行義の6男馬淵小三郎景義が御前山村の野口城に移った後に、景義の子景有が更にこの地に拠り、高久を名乗るようになったものだという。
 高久城の位置は大山城の南2.5kmと近い場所にあるが、高久義景は大山義正と戦って敗れている。城址は東南西の三方が崖の台地上の先端部にあった。
(城里町教育委員会HPより)

龍角散のCMに出演している現職の佐竹知事は秋田藩主・佐竹家の分家、佐竹北家の21代当主。「龍角散」は江戸時代後期に今の秋田県美郷町六郷に住んでいた秋田藩の典医、藤井玄淵(げんえん)が調剤。3代目の正亭治(しょうていじ)が改良して12代藩主、義堯(よしたか)のぜんそくを治したのが始まりとされる。
佐竹家の分家である湯沢の佐竹南家の家人・剣術指南役の高久傳九郎が文化2年(1805年)に佐竹南家へ高久小三郎景義を祖とする高久氏系図を提出したと古文書に記録がある。(7月20日北海道の帰路に湯沢図書館にて湯沢市史の古文書複写)

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8月19日城里町教育委員会より入手(追記:宮寿丸の弟の義勝が高久氏を継いだと記録がある)

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茨木県城里町城里観光マップより城里町高久付近を拡大、赤いリンゴに囲まれたあたりが引用した下図の高久館の部分に該当する

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「余湖くんのホームページ」より借用した高久館跡

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撮影日8月19日 国道123号線と県道246号線に挟まれた、城里観光マップに赤い印を付けたあたり、詳細は上図のの上の道路を通り、1郭への登り口付近、1郭はお墓になっている、右の案内板の前は駐車スペース、ガードレールの右下は急な崖地となっている。正面の高台の森は上図のの部分。

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町村合併前の旧桂村が建てたと思われる高久館跡解説板

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説明板の位置から郭への登り口

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郭(写真左)と郭(写真右)の車の往来が少ない、堀址に作られた道路に見える

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郭は現在はネギ畑になっていた

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車が昇って来た進行方向からの記念撮影

現在は個人の私有地であるので敷地内には入らず、建物の遺構は一切ない、郭(曲輪)・土塁・空堀などの跡などは道路からの撮影だけとなった。今回は高久城址(高久館跡)の場所の確認程度の見学であった。

ウキペディアの日本の氏族 高久氏の解説

常陸国那珂郡高久邑発祥。清和源氏の一家系 河内源氏の一門新羅三郎義光を祖とする常陸源氏佐竹氏の支流。

佐竹常陸介行義の六男 馬渕館主 高久但馬守景義(馬渕小三郎)を祖とするという。嘉元年間(1303年-1305年)にその景義の嫡男 高久式部大輔義有が高久の地頭職となり現在の茨城県東茨城郡城里町高久字館のあたりに高久城を築き、代々、高久城主であった[1]家紋丸に剣片喰[2]

高久氏は長く佐竹一門としてその家中にあったが、佐竹氏に関東管領職上杉氏から佐竹義人が婿として入嗣となると、藤原氏という異姓からの養子縁組と家督相続に山入氏をはじめとする佐竹氏庶家が反発し、正長元年(1428年)、高久義本義景親子も宗家 佐竹氏に反旗を掲げて挙兵し、これに対して宗家側として兵を挙げた同じく佐竹一門の大山義道が高久城を攻めたため、高久城は落城、高久氏は一時滅亡の憂き目にあった。

高久氏の再興は義景の子 高久時義の代にようやく果たされ、再び佐竹家中に復帰した。以降、高久氏は宗家の被官としてその配下に組み込まれたが、天文4年(1535年)には高久義貞が同じく佐竹一門の部垂義元が宗家に反旗を挙げた部垂義元の乱に際して部垂側となって呼応し、佐竹義篤に平定され、高久城を落ち伸びたものの、のちに降伏することで赦免された。

しかし、奥羽の陸奥国守護職 伊達氏伊達稙宗と嫡男の晴宗親子の対立が発端となって勃発した天文の乱において、佐竹氏が晴宗方となって稙宗方の相馬顕胤と合戦に及ぶと、高久氏も高久義時、義貞・宮寿丸はそれぞれ討ち死にすることになった。

しかし、義貞には他に高久義明という子がおり御家は存続、高久義勝直勝と続き直勝の代に佐竹義宣出羽国秋田転封に随行し、以後、秋田藩士となる。なお、高久氏の一部はそのまま常陸国内に留まり、水戸藩に仕官する。なお、水戸藩の記録である『水府系纂』には高久彦大夫堅次の女が安島氏に嫁ぎ、水戸藩 安島彦之允信順となる旨、記載がある[3]。また秋田遅参の諸将の中に「高久景基」なる人物がいる。(ウキペディアの日本の氏族 高久氏)

 

 

2020年8月23日 (日)

伊香保温泉・お宿玉樹

 伊香保の温泉に癒されたのは昨年は伊香保グランドホテルであった、その前は2017年4月に日本の秘湯に登録されている法師温泉長寿館の翌日に、伊香保温泉石段街の入口にある全館畳敷廊下の純和風温泉旅館お宿玉樹に宿泊してから今年はお宿玉樹には二度目の宿泊である。

撮影日8月18~19日

 

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玉樹の絵ハガキ

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玉樹の玄関

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畳敷きのエレベーターを4階で降りて畳の廊下を二部屋目が椿の部屋

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椿の部屋

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1階の玉伊吹の露天風呂で一風呂浴びてから階段街へ

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石段街入口(登り口)左側のお宿玉樹

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石段街の途中までぶらぶらして玉樹に戻る

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玉樹の庭

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お宿玉樹のお庭

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8月18日の献立表

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前菜・温物・焼物

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お造り

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強肴

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西沢の湯

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総合湯 硫酸塩 硫酸水素塩 塩化物温泉

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朝食は8時

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ひと風呂浴びてからチェックアウト

帰路は茨木県城里町の遠い先祖の高久城址(高久館跡)に寄り道

 

 

 

2020年8月22日 (土)

旧太子駅とチャツボミゴケ公園

 四万温泉積善館へ向かう温泉道中の午前中にチャツボミゴケ公園と旧太子駅(きゅうおおしえき)の見学・見物に向かった。

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旧太子駅は、国道292号沿い「龍澤寺」の北側約300メートルのヘリポートを兼ねた広い駐車場に車をとめてのアクセスです。写真のように路線バス「旧太子駅」バス停が駐車場入口にあります。 旧太子線は、旧日本鋼管が戦時中に鉄鉱石を搬出するために開業した貨物専用線で、戦後旅客輸送も行われましたが、昭和46年(1971年)に廃線となりました。 現在は復元されたホームやレール、駅舎が当時の姿を再現しています。

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入場券の表と裏

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旧太子駅の説明板

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駐車場から下を覗いたホッパー跡

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旧太子駅ホームとホッパー跡

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塗装が新しい貨車は大井川鉄道からの譲渡

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チャツボミゴケ公園は四万温泉のある中之条町にあります。鉄鉱石の鉱床があり、昭和41年(1966年)まで露天掘りによる採鉱が行われていました。その露天掘りの窪み(俗称「穴地獄」)に自生しているのが「チャツボミゴケ」です。

チャツボミゴケは酸性の水の流れる所に生育。これほどまで広範に自生しているのは全国でも珍しく、本州では中之条町のチャツボミゴケ公園だけです。東アジア最大級の群生を形成し、その環境や生態系が評価され周辺の自然と合わせ2015年に芳ヶ平湿原と共にラムサール条約に登録されました。(積善館のHPより)

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遊歩道から見える褐鉄鉱の鉱脈

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穴地獄の木道からのチャツボミゴケ

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硫化水素を含む強酸性湧き水とチャツボミゴケ

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2020年8月21日 (金)

四万温泉・積善館・佳松亭

 例年のお盆休みの家族旅行に出掛けた初日は、創業は元禄七年(1694年)新湯川に架かる赤い欄干の慶雲橋を渡ると正面に、元禄四年建築当時まま日本最古の湯宿建築がある、重要文化財となっている。右側に1階にあるのが大正ロマネスクを用いた当時のままの「元禄の湯」がある。積善館はこの本館と以前宿泊したことがある桃山様式の和室のある山荘と更に奥の高台の松林に囲まれて佇む佳松亭がある。今回はこの佳松亭に宿をとった。

撮影日8月17日(月)

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積善館本館

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積善館佳松亭の玄関

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佳松亭のロビー

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佳松亭6階の客室 梅枝の3

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客室からの老松

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まずは最初に元禄風呂へ

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洗い場は右奥に一つしかない不思議、天然の蒸し風呂二つ

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扉を開けて撮影したタイル張りの蒸し風呂、熱くてピンボケ3回も

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佳松亭の庭園にある夕食前に有料の貸し切り風呂へ

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貸切風呂は二つ、丸い「積」と四角い「善」、「積」を予約

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部屋での食事

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この日の献立表、一部をコンデジ撮影

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カニと貝柱のジュレ

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立秋の頃の前菜盛り合わせ

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手前は甘鯛・煮麺・玉子豆腐・青柚子、奥に旬魚盛り合わせのお造り

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食後はまた温泉三昧

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岩風呂(混浴)本館1階

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佳松亭5Fの杜の湯

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杜の湯の露天風呂

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佳松亭から山荘への廊下

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山荘から本館へのトンネル

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山荘3階 山荘の湯 家族風呂

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朝の元禄の湯(本館1階)

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朝の散歩は本館玄関より

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赤い慶雲橋と元禄の湯(ヨシズの一階)

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朝のフォト散歩で橋の上から公衆浴場(AM9時より)

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午前八時の朝飯

積善館のお風呂は五つの温泉、誰もいない早朝5時などに撮影。

 

 

 

 

2020年8月15日 (土)

敗戦記念日に思い出の廃線駅

 大東亜戦争(太平洋戦争および日中戦争)の戦中に国策に応じて昭和19年に4歳の時に父母と3歳の妹と家族4人で満州国に渡り、敗戦後に幾多の生死をともなう苦難を重ねながら奇跡的にも一家4人で昭和20年12月に博多港に引揚者として故国の土を踏んだのは5歳だった75年前である。時は流れ傘寿の真夏を迎えた。
8月15日は私にとっては敗戦記念日です。1945年8月9日に関東軍と軍属が逃げ去った後の黒龍江省牡丹江市で突然参戦してきたソ連軍を初めて見たのが5歳の時である、一般の日本人全員が赤い布切れを胸に付けられソ連軍に降服した証とされた、この日から親に足手まといになるから現地に置いていかれた同世代の多くの子供が中国残留孤児になった。この日を終戦記念日と言い換えているが満州で敗戦を迎えたものにとっては日本が連合国に降伏した敗戦日そのものである、この日から棄民(捨てられた民)となり、牡丹江から母に連れられて屋根のない貨車での移動や徒歩で広大な大陸を横断して朝鮮半島の釜山港に命辛々到着して、奇跡的にここで軍隊に召集されていた父に再会して、一家四人で引き揚げ船で博多港に入港してやっと日本の地を踏んだのは4ヶ月後の12月であった。今日は敗戦記念日。
お盆の日に父母の墓前で5歳の幼稚な記憶が甦るとともに感謝のお墓参り。


最近は「はいせん」と入力すると「廃線」が出る時代、平成28年(2016)12月に、留萌市と増毛町をつなぐJR「留萌本線」が廃線となったことでも話題にのぼり、俄か鉄ちゃんとしてこのブログでも数回取り上げたことがある、線路と駅舎は現在も多くの観光客でにぎわう人気スポット、2018年に駅舎が開業時と同じ広さに復元された、まだ見学していない最北の造り酒屋・国稀酒造の見学と合わせて敗戦の日に廃線で話題になった平和の時代の増毛観光です。

撮影日7月2日

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廃線になった当時の増毛駅

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2020年7月2日 元の大きさに大きくなった増毛駅

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整備中の増毛駅ホーム

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ホーム欠落部分のコンクリートの修理、廃線駅の修理は初見

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増毛駅の記念碑

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大きくなった待合室の内部

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待合室内部 スタンプ台

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売店 ぐるめ食品

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お土産の陳列

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以前と同じ駅の看板と孝子屋の幕

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国稀酒造の入口

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「国の誉」から「国稀」に銘柄を替えたいきさつがあるらしい

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国稀酒造の売店

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試飲コーナーも興味なしとは情けない

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お酒以外もお土産多し

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高倉健の写真は「駅 STATION]のロケをここで行なったらしい

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なぜかバンダイナムコ?

日本酒が飲めないので試飲もせずにお土産は贈答品

 

2020年8月14日 (金)

狩りしたトリを捌くハイタカ

 巣立ちしたがまだ餌の捕れない若鳥のエサを狩りしてきたハイタカ♂がお気に入りの枝で毎日のように捌く様子です。時によってはハイタカ♀が取りにきますがそれも時々のようです、殆どの場合は♂が若鳥の給餌に行きます。

撮影日7月5~8日
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狩りをしてきた直後

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別の日に獲物を捌くようす

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ゴム紐のように引っ張っています

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これから給餌に飛び立ちます

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別の日の狩りの直後これから捌きはじめます

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別の機会では森の方を見て、捌いた後に♀を待って居ましたが♀が来ません

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獲物を持って飛び出しです

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給餌に向かいました

2020年8月13日 (木)

ポロトミンタラのSLポロト号

 ウポポイ開業日の見学の後に訪れたのはSL D51 333号機の静態保存地、今年はウポポイ見学で町内を訪れる観光客らをもてなそうと企画された白老駅とウポポイを結ぶ中間に町が整備した観光インフォメーションセンター「ポロトミンタラ」の敷地内となっていた。
撮影日7月12日 

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ポロトミンタラの駐車場からウポポイまで400mの案内板

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インフォメーションセンターから白老駅方面に向かってSL D51 333号機のテンダーが見える

 

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白い柵の中に野ざらし展示のD51 333号機

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その時白老駅13:35発札幌行き北斗9号の通過

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咄嗟の瞬間に北斗9号の最後尾とポロト号と撮影

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このD51 333号機の愛称はSLポロト号

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転轍機・転轍信号機もコーナーに展示保存

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ポロトミンタラ駐車場入口付近

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7月12日は、白老アイヌ協会がアイヌ民族の伝統料理のオハウ(汁物)を午前11時と午後1時に100食ずつ、無料で来場者に振る舞う。午後1時半頃の入場でしたのでこのオハウを馳走になる、サケ・昆布・ジャガイモ・大根などアイヌ民族のけんちん汁? 旨かった! 美味かった!!

 

 

2020年8月12日 (水)

7月12日ウポポイの開業日

 丁度一ヵ月前の7月12日はウポポイ(民族共生象徴空間)開業日となり、北海道の道の駅全てに、ウポポイ開業のポスターが張られていたので、ウポポイの関心が日増しに高まりこの日を心待ちにして道南の道の駅スタンプラリーをこの日に合わせて調整していた。最終のエリアとなった道南の道の駅のスタンプラリーを翌日のから始めた。

ウポポイは、北海道白老郡白老町にある「民族共生象徴空間」の愛称。主要施設として国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設を整備しており、アイヌ文化の復興・創造・発展のための拠点となるナショナルセンター。(ウイキペディア) 

SLの写真を撮り始めた2016年に「静態保存41・白老駅北展示場D51333号機」を撮影した当時はポロト湖畔にポロトコタン・アイヌ民族博物館と日帰り温泉ポロト温泉などの施設が開業していた、これがウポポイ施設の建設で二年前から閉鎖されていたが2020年7月12日開業したウポポイに引き継ぐ形となった。

ウポポイは、アイヌ文化の復興と発展のナショナルセンターです。

アイヌ民族は日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族です。日本語と系統の異なる言語である「アイヌ語」をはじめ、自然界すべての物に魂が宿るとされている「宗教観」、祭りや家庭での行事などに踊られる「古式舞踊」、独特の「文様」による刺繍、木彫り等の工芸など、固有の文化を発展させてきました。
ウポポイは日本の貴重な文化でありながら存立の危機にあるアイヌ文化の復興・発展のための拠点となるナショナルセンターです。また、我が国が将来に向けて、先住民族の尊厳を尊重し差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴として整備するものです。豊かな自然に抱かれたポロト湖のほとりで、アイヌ文化の多彩な魅力に触れることができます。愛称「ウポポイ」は、アイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」を意味します。(ウポポイHPより)

撮影日7月12日

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2020年4月24日のオープン予定日がコロナの影響で2回延期となり、7月12日の開業日となった。

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ポロト湖畔に国立アイヌ民族博物館・体験交流ホール などが並び建つ、当日の入場券販売はエントランス棟

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駐車場から5分程度歩いてウポポイの入り口へ

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塀のウポポイの看板

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チケット売り場へのアポローチが長い

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チケット売り場へ向かう

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入場料大人1200円

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メインの国立アイヌ民族博物館は事前予約制で中に入れず(事前調査不足)

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伝統的コタンの衣装

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刀を持った別のアイヌ衣装

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何処へ行っても予約制

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チセ内部見学も一時間待ち(コロナで入場制限)で入らず

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体験公流ホール前のモニュメント

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体験学習館は午後1時頃でも空いている時間は16:45まで待ち時間

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体験交流ホール前の行列

事前予約なしで入場したが建物内部は一度も入れずに建物外観だけを見て約1時間弱で出口に向かった、物珍しさとコロナの影響で当分の間は事前予約なしでは相当の待ち時間覚悟でないと何も見学・見物出来ないと悟る。近くの静態展示のSL D51 333号機を撮影して道の駅みたら室蘭に向かう。

 

 

 

2020年8月11日 (火)

初夏の思い出・シブノツナイ湖の小鳥

 北海道道の駅は7月14日に道南エリアの「なないろ・ななえ」を〆に五年連続完全制覇の達成。今年は道の駅スタンプラリーの傍らに野鳥撮影となった。6月21日は道北エリアの道の駅「わっかない」「さるふつ公園」「北オホーツクはまとんべつ」「マリーンランド岡島」と巡り、オホーツクエリアの道の駅「おうむ」「にしおこっぺ花夢」「おこっぺ」と鉄道遺産とオムサロ原生花園で野鳥撮影を行い「オホーツク紋別」「かみゆうべつ温泉チューリップの湯」でこの日最後のスタンプと旧上湧別駅の廃線駅と鉄道車輛の撮影、道北エリアとオホーツクエリアの9ヵ所のスタンプラリーと二ヵ所の保存車輛の撮影で一日が終わった。
因みに、出発した北海道の天辺の稚内港から上湧別温泉チューリップの湯までの距離はオホーツク沿岸から外れた道の駅「にしおこっぺ花夢」への寄り道往復約60kmを含めて国道238号線を約300km運転時間6時間のドライブであった。

撮影日6月22日

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シシウドの花とツメナガセキレイ

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ハマナスとノゴマ

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コヨシキリの囀り

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ベニマシコ

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ノゴマ

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コヨシキリの囀り

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牧草のチモシーにとまるベニマシコ

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ノビタキ♀

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オオジュリン♂

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ノゴマ♂の給餌

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シシウドの花とツメナガセキレイ

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チモシーのノビタキ♂

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エゾニュウの花とオオジュリン

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ハマナスとノゴマの飛び出し

道の駅は午前9時よりスタンプラリーが始まる、まだ薄暗い早朝4時に道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯を出発して、238号をオホーツク紋別方面に17km走りシブノツナイ湖に30分後に到着、コヨシキリがしきりに鳴いていたが今年はツメナガセキレイが少なく野鳥撮影は7時頃に切り上げた6月22日の最初の道の駅愛ランド湧別に向かった。

 

 

 

 

2020年8月10日 (月)

道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯(鉄道遺産)

 道の駅かみゆうべつ温泉チュ-リップの湯は、北海道紋別郡湧別町にある北海道道712号緑蔭中湧別停車場線の道の駅である。ここには日帰り温泉施設チューリップの湯があり、地元や観光客が訪れている。また旧名寄本線・旧湧網線の鉄道が旧中湧別駅の駅跡に設置され、当時のホームや跨線橋、鉄道車輛などが保存されている。

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右端奥にチューリップの湯と駐車場、左にホームと腕木信号機

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跨線橋とホームは湧網線当時のままのこっている、車掌車と除雪車

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跨線橋とホームの側面の写真、撮影は夕方5時30分頃と遅く到着

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珍しい保線区の碑

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最寄りの道の駅は、愛ランド湧別14km、オホーツク紋別27km、この道の駅でチューリップの湯でドライブ疲れを癒し車中泊となった。

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かみゆうべつ温泉チューリップの湯の前にスタンプラリー

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かみゆうべつ温泉チューリップの湯の次にスタンプした道の駅

その前に早朝5時からシブノツナイ湖で撮影した野鳥を明日掲載します。

2020年8月 9日 (日)

オムサロ原生花園の野鳥

 オホーツク沿岸のスタンプラリーで「道の駅おこっぺ」から「道の駅オホーツク紋別」に移動中に途中のオムサロ原生花園で野鳥撮影に寄った、今年はスタンプラリーの傍ら(かたわら)に野鳥撮影を地で行くようなものとなった。

撮影日6月21日

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シシウドの花とベニマシコ

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シシウドの花とオオジュリン♀

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イネ科の雑草とカワラヒワ

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エゾニュウの花とノゴマの囀り

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ハマナスの花とノゴマの囀り

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ハマナスの枝にベニマシコ

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枯草のベニマシコ

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レンゲツツジの花とノゴマ

2020年8月 8日 (土)

道の駅おこっぺ 鉄道遺産

 紋別郡興部町幸町の道の駅おこっぺ に保存されている興浜南線の鉄道遺産、興浜南線(こうひんなんせん)は国鉄が運営していた鉄道路線である。浜頓別駅を終点とする興浜線の先行開業部分として、北海道紋別郡興部町の興部駅で名寄本線から分岐し、同群雄武町の雄武駅まで開通した。その後、全線開通を目指して延伸工事が行われたが、1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行により第一次特定地方交通線に指定され、1985年(昭和60年)7月15日に全線廃止となった。興部駅跡はバスターミナルを兼ねた「道の駅おこっぺ」となっている 興部駅跡はバスターミナルを兼ねた「道の駅おこっぺ」となっている。(ウキペディアより)

道の駅おこっぺの広い公園の一角には「興部交通記念館」が開設されている。館内には当時使用していた備品、乗車券、レール、時刻表、駅舎モデル、写真パネルなどが保存・展示されている。館外の敷地には綺麗なハマナスの絵とRUGOSA EXPRESSの文字を記された、キハ22形気動車キハ22 202、キハ22 251の2両が連結された状態で静態保存・展示され、前者が休憩所、後者がライダーハウスとして使用されており、「トレインハウス」と名付けられている。駐車場から直ぐにモニュメントとしてD51 365号機の動輪が保存・展示されている。

撮影日6月21日

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D51  1365の動輪のモニュメント

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ハマナス特急 RUGOSA EXPRESS

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無料の左 ホテル 右 サロン

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旧名寄本線と旧興浜南線の駅地図

この「道の駅おこっぺ」にはサロベツ原生花園などと北海道の天辺、「道の駅わっかない」を6月21日出発してオホーツク沿岸沿いの道の駅をスタンプラリーしながら「道の駅オホーツク紋別」の手前にあるオムサロ原生花園での野鳥撮影に行く前にスタンプラリーした道の駅でした。

2020年8月 7日 (金)

ハイタカの幼鳥

 5羽の幼鳥が巣立った札幌市内の公園でハイタカ♂の狩りしてきた餌をハイタカ♀親から給餌をうけたり、直接♂親が給餌に来るのを待つハイタカの幼鳥と思われます。

撮影日7月3~5日

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喉下の三日月班と太い眉斑のあるハイタカ幼鳥

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2020年8月 6日 (木)

廃線から33年線路に白樺の大樹

 5年前の2016年に旧計呂地駅のSL C58139号機をブログに掲載したが旧湧網線は北海道紋別郡上湧別町(網走支庁管内)の中湧別駅で名寄本線から分岐し、サロマ湖、オホーツク海、能取湖等の沿岸を巡って網走市の網走駅に至る。過疎化やモータリゼーションの進展で1987年3月(昭和62年)湧網線の廃線に伴い廃駅になった。
網走市を起点、終点稚内市、経由地紋別市などオホーツク沿岸沿いに走る、国道238号線のサロマ湖沿いにある、旧湧網線の旧計呂地駅(湧別町字計呂地)をそのまま保存した交通公園となっている。蒸気機関車C58139とスハ4517とオハ6291の二両の客車、ホームと旧計呂地駅舎の鉄道資料館などが見学できる。SLに連結した客車と元保線区詰所であった「駅長の家」に宿泊することができる。

撮影日6月22日

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廃線の旧湧網線路に白樺が生えている謎、網走方面から後方は旧計呂地駅のホームと駅舎

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成長の早い白樺は33年間放置され朽ちた枕木の生まれ変わりか?白樺の化身か?気のせいか樹の精だろうか?枕木がずれる程の生命力があらわれている

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白樺から一面二線のホームと駅舎・跨線橋方向へ戻る、転轍機の付近

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ホーム近くに1923年製ベルギー製のレールが敷かれている

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ホームから見た網走方向の線路の中央に白樺が見える

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右端に宿になるシャワー設備のある駅長の家

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網走方面のホームの端に計呂地駅の沿革碑

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ホームから計呂地開拓百年記念碑

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ホームにSL C58139とスハ4517とオハ6291の二両の客車

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SL C58 139

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営業時には無かった低い跨線橋が見える、鉄道公園開設時に製作ようです(ボランティア駅長の説明)

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機関室は鍵がかかっているがボランティアの駅長に見学を希望すると開けてくれる

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管理下にあるので計器類は完備している

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二両の客車のうち一両は座席を外して宿泊が出来る

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C58 139 と記念撮影(ボランティア駅長の撮影)

 

 

 

2020年8月 5日 (水)

道の駅あいおい 鉄道車輌

2020年7月14日に北海道道の駅完全制覇したなかに、廃線駅跡や鉄道車輛を保存している道の駅がある。道の駅「あいおい」は網走郡津別町にある国道240号線の道の駅。旧相生線北見相生駅跡に設置され鉄道車輛数台と当時の駅舎・ホームが保存されている。

撮影日6月26日

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網走郡津別町道の駅「あいおい」のスタンプ

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道の駅の駐車場に入る時にエゾシカの親子が駐車場から国道240号線を横断していくところに遭遇、自然豊かな道の駅

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ここの名物のクマヤキをロコソラーレの4人のオホーツクール

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道の駅「あいおい」は相生鉄道公園は旧相生線の北見相生駅跡、背景の青いトレインは スハフ 42 502

 

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相生鉄道公園の案内板

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気動車 キハ 22 69

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キハ 22 69

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ルピナス咲く線路の キハ 22 69

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スハフ 42 502 倒れているのは遮断機

 

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トラ 74509

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ワフ 29500

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排雪車 形式700

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全ての車両が綺麗のは昨年の寄付金による再塗装

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ホームと駅舎

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旧駅舎の入り口

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旧駅舎内

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相生線 美幌~北見相生

 

 

2020年8月 4日 (火)

足環をつけたアカモズ

 今まであまり足環の標識に気付くことは稀であったが石狩浜のアカモズ撮影中に警戒音のように「ギチギチギチ・・・」と鳴かれたのでカラーリングの足環に気付いた。足環の標識についてネットをみると山科鳥類研究所・鳥類標識調査(バンディング)・カラーリング・国別のカラーリング(右足にアルファベットと番号)「日本:黄色地に黒文字」「韓国:赤色地に白文字」「台湾:青色地に白文字」「香港:緑色地に白文字」の足環についてのキーワードが掲載されている。

撮影日7月10日

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ギチギチギチ・・・右足の上黄色・下青色、左足はよくわからない

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真剣にギチギチギチ・・・と警戒の鳴き

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右足のカラーリングは見える

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左足の足環は青と黒

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初めて両足のカラーリングを確認、右黄色と青、左緑と黒

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思いキㇼ拡大して確認、カラーリングだけで文字は見えないようです

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柏の葉の防風林

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柏の木の中でも足環は確認された

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飛び降りる時にも確認

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この子は足環が見えない

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柏の中でも足環は確認

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足環が見え難いが・・・

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飛び立つなかで足環の確認

カラーリングのアカモズでしたでしたが右足と左足のカラーリングの意味は調査未了です。

2020年8月 3日 (月)

サッポロから来たSL9643号機

 2016年までサッポロガーデンパークに屋外展示されていたSL9643号機が2017年にニセコ駅の転車台(ターンテーブル)のある敷地内に移動されてからブルーシートに覆われたままで3年経ちましたが今年の7月に三度確認しに現地を訪れた処、昨年10月から一般公開されたそうですが当方は5年前に最後に見た待ちに待った9643号機を7月に再び見ることが出来ました。

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五年前のサッポロガーデンパークに屋外展示の9643号機

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展示場所はサッポロガーデンパークの日ハムファイターズの室内練習場の前
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函館本線ニセコ駅

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ニセコ駅敷地内ニセコ大橋を背景に屋根のある屋外展示場所

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函館本線の脇に並行して走るような姿

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豪雪地帯には屋根は必須、塗装中のようです

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1990年に新得駅から移設された転写台も2919年10月に鮮やかに再塗装済み

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転車台の後方(函館方面)からの撮影

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ニセコ町鉄道遺産

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サッポロから廃車予定の9643号機を引き取りニセコ駅に設置したのは井門コーポレーション

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9643号機の機関室を覗く

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9643の脇に函館方面の信号機とニセコ大橋が見える

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新たに設置した線路にニセコ駅の旧名狩太、この線路にニセコ町鉄道協会などによるクラウドファンディングの募金でニセコエクスプレス キハ183-5001が近々にやってくるそうです。また楽しみが増えました。

 

 

2020年8月 2日 (日)

五年連続北海道道の駅完全制覇

 野鳥撮影の傍らに北海道の道の駅スタンプラリーに参加して八年目となる。今年はコロナウィルスの影響でスタンプラリーの開始日が二ヵ月遅れの6月19日が解禁日となり、例年と逆で道の駅スタンプラリーの傍らに野鳥撮影となった。八年前は40ヵ所の道の駅をスタンプした、七年前には10ヵ所増えて50ヵ所をスタンプラリー、六年前はそれが70ヵ所となり半分以上の道の駅をスタンプラリーで巡ったことになる。五年前の平成28年2月末現在、全国の「道の駅」数は1079、そのうち北海道には117駅であったが初めて全駅を完全制覇して認定書を頂いた。毎年のように道の駅が新規登録されて縁起の良い、増益のように増駅されている。昨年の2019年は123番目の道の駅「北オホーツクはまとんべつ」、124番目の「あびらD51ステーション」の二駅、今年の2020年は125番目「遠軽森のオホーツク」126番目「るもい」127番目「かみしほろ」が新規開業したのでこの五年間で十駅が増駅となった。ところが帰浜後の調査では全国の道の駅は7月1日現在1180駅、北海道では7月22日Newオープンした128番目の「ガーデンスパ十勝川」ここは2,3年前からモール温泉の足湯を利用していた処であり、ここから音更のカワアイサ撮影に出かけた宿泊地が道の駅に昇格した。十勝川周辺にあるモール温泉のホテルが数軒立ち並ぶ温泉の中心地になる。今年は7月14日に最後の道の駅 函館港に近い「なないろ・ななえ」で完全制覇の認定を受けた。

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開始日が4月24日→5月7日→6月19日と二度も延期された。4月に苫小牧で十日間道の駅の解禁を待ったが延期されたので6月に再度と苫小牧に渡り6月19日の道の駅の解禁日を待った。

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7月15日の朝、函館の朝市で全駅完全制覇を一人で祝杯を挙げる、ウニ・イクラ・イカの三色丼で腹を満たし、4時間後に函館FT港より青森へ向かう日程であった。

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7月31日に郵送されてきた認定書、傘寿の記念にコロナウィルスの逆境の中で挑戦した五年連続完全制覇認定書を確認した時は”やった!”の独り言を吐く

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昨年の四年連続完全制覇認定書 過去のブログよりコピー

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一昨年の三年連続完全制覇認定書

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四年前の二年連続完全制覇の認定書

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五年前の2016年初めて完全制覇した認定書

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7月31日に北海道地区「道の駅」連絡事務局からの郵送文書

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同封されてきたきた2020年のステッカー

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今年使用した道の駅シーニックドライブマップの表紙

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今年使用したスタンプラリー帳 127駅のスタンプを完了、今年はコロナの影響でスタンプラリー開始日が二ヵ月遅れの6月19日、特別ルールで100駅以上のスタンプで完全制覇が認定されるがスタンプ帳に125駅しか捺印欄がなかったが7月11日オープンした「るもい」と127番目の「かみしほろ」が予備ページに押印してきた。

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スタンプラリー帳の道南地区15駅のスタンプ日「あがり(最終)の道の駅なないろ・ななえで認定を受ける」翌日函館FT港より青森FT港へ向かう

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道央エリア1、13駅のスタンプラリー最後のスタンプラリーエリアとなった

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道央エリア2、21の道の駅、フォレスト276大滝は改装休業中

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道央エリア3 10の道の駅 苫小牧の道の駅ウトナイ湖が皮切り

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道北エリア 24駅の道の駅 6月19日ウトナイ湖を出発して日本海の道北てしお までスタンプラリーの初日に疾走する

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十勝エリア 14駅 例年ならば音更の役場の池でカワアイサを一週間待つが今年は町役場の新築工事で素通りする

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オホーツクエリア 21の道の駅

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釧路・根室エリア 隣の道の駅が遠い7駅

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2020年5月1日の新規開業

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2020年Newオープンした、「かみしほろ」のスタンプ

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7月11日にNewオープンした「るもい」のスタンプ、6月中のオープンが公表されていたが6月19日、7月2日、7月11日と三回も足を運んだ留萌の道の駅

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7月11日オープンした日の道の駅のスタンプ

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道の駅の名称はるしんふれ愛パーク、因みに留萌信用金庫の愛称が「るしん」

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7月11日マスコットは数の子を背負ったKAZUMOちゃん

縁起物の数の子で今回のブログを完了します。

 

 

 

 

2020年8月 1日 (土)

赤腹(アカハラ)のさえずり

 石狩浜のアカモズの営巣地で明るい林や野原などで、地上でよく見かける採餌するアカハラが雑木林の中の灌木で営巣しているようです。ツグミ科のアカハラは地上を数歩飛び跳ねるように歩いては、立ち止まり、この動作を繰り返し落ち葉をかき分けたり、土をほじくってミミズや昆虫類の幼虫を採食する姿をよく見かけますが梢の上で囀るのか、威嚇で鳴くのか、”キョロン、キョロン、ツイー”と囀るアカハラを棘のある枝葉の中で初見でした。

撮影日7月3日石狩浜

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棘が見えるのでハリエンジュ(ニセアカシア)と思われる枝の上にいたアカハラ

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今までアカハラは地上で採餌する様子しか見ていないので青葉の中では新鮮な感じがする

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6月に白い花が咲いていた棘のあるハリエンジュ(ニセアカシア)の枝葉の中で囀るアカハラも珍しい光景

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囀っていたので雄のようです

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囀っていますが近づくな!と形相が威嚇しているように見えます

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棘のあるハリエンジュの枝の上で囀りの後ろ姿

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羽ばたきながらの囀りは威嚇のポーズ?に見える

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”キョロン、キョロン、ツィー”と何回も鳴く

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ハリエンジュから防風林の柏の木に移り囀る

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この柏の中はアカモズも営巣していると思われます

枝葉の中で威嚇のように見えたアカハラの囀りでした。

 

 

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