« 狩りしたトリを捌くハイタカ | トップページ | 四万温泉・積善館・佳松亭 »

2020年8月15日 (土)

敗戦記念日に思い出の廃線駅

 大東亜戦争(太平洋戦争および日中戦争)の戦中に国策に応じて昭和19年に4歳の時に父母と3歳の妹と家族4人で満州国に渡り、敗戦後に幾多の生死をともなう苦難を重ねながら奇跡的にも一家4人で昭和20年12月に博多港に引揚者として故国の土を踏んだのは5歳だった75年前である。時は流れ傘寿の真夏を迎えた。
8月15日は私にとっては敗戦記念日です。1945年8月9日に関東軍と軍属が逃げ去った後の黒龍江省牡丹江市で突然参戦してきたソ連軍を初めて見たのが5歳の時である、一般の日本人全員が赤い布切れを胸に付けられソ連軍に降服した証とされた、この日から親に足手まといになるから現地に置いていかれた同世代の多くの子供が中国残留孤児になった。この日を終戦記念日と言い換えているが満州で敗戦を迎えたものにとっては日本が連合国に降伏した敗戦日そのものである、この日から棄民(捨てられた民)となり、牡丹江から母に連れられて屋根のない貨車での移動や徒歩で広大な大陸を横断して朝鮮半島の釜山港に命辛々到着して、奇跡的にここで軍隊に召集されていた父に再会して、一家四人で引き揚げ船で博多港に入港してやっと日本の地を踏んだのは4ヶ月後の12月であった。今日は敗戦記念日。
お盆の日に父母の墓前で5歳の幼稚な記憶が甦るとともに感謝のお墓参り。


最近は「はいせん」と入力すると「廃線」が出る時代、平成28年(2016)12月に、留萌市と増毛町をつなぐJR「留萌本線」が廃線となったことでも話題にのぼり、俄か鉄ちゃんとしてこのブログでも数回取り上げたことがある、線路と駅舎は現在も多くの観光客でにぎわう人気スポット、2018年に駅舎が開業時と同じ広さに復元された、まだ見学していない最北の造り酒屋・国稀酒造の見学と合わせて敗戦の日に廃線で話題になった平和の時代の増毛観光です。

撮影日7月2日

Dscn99260_20200815120901

廃線になった当時の増毛駅

_dsc3209

2020年7月2日 元の大きさに大きくなった増毛駅

_dsc3211

整備中の増毛駅ホーム

_dsc3218

ホーム欠落部分のコンクリートの修理、廃線駅の修理は初見

_dsc3217-2

増毛駅の記念碑

_dsc3225

大きくなった待合室の内部

_dsc3230

待合室内部 スタンプ台

_dsc3231

売店 ぐるめ食品

_dsc3235

お土産の陳列

_dsc3232

以前と同じ駅の看板と孝子屋の幕

_dsc3248

国稀酒造の入口

_dsc3258

「国の誉」から「国稀」に銘柄を替えたいきさつがあるらしい

_dsc3249

国稀酒造の売店

_dsc3250

_dsc3251

_dsc3253

_dsc3255

試飲コーナーも興味なしとは情けない

_dsc3259

お酒以外もお土産多し

_dsc3260

高倉健の写真は「駅 STATION]のロケをここで行なったらしい

_dsc3261-2

なぜかバンダイナムコ?

日本酒が飲めないので試飲もせずにお土産は贈答品

 

« 狩りしたトリを捌くハイタカ | トップページ | 四万温泉・積善館・佳松亭 »

鉄道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 狩りしたトリを捌くハイタカ | トップページ | 四万温泉・積善館・佳松亭 »

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
顔文字教室
無料ブログはココログ
フォト