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2020年10月

2020年10月31日 (土)

ナナカマドの赤い実とアカハラ

 日頃からお世話になっている「あきた森づくり活動サポートセンター」の「樹木シリーズ32ナナカマド」の解説をネットで見ますと、実を食べる野鳥・・・真っ赤な果実は、葉が落ちた後も残るので、野鳥を誘惑するには効果的。野鳥たちにとっては、食料が乏しくなる冬の貴重な食べ物である。ツグミ、ムクドリ、レンジャク類、カワラヒワ、ウソ、アトリ、ヒヨドリ、スズメ、カラスなど。 ・・・の記述があります。10月25日に戸隠森林植物園の八十二まなびや館前の散策路沿いのナナカマドの赤い実にツグミ科のマミチャジナイとアカハラが競って赤い実を採食していました。マミチャジナイは既にブログにUPしましたので今回はアカハラの番です。このナナカマドの解説を見て思い出したのは、十数年前に諏訪湖湖畔のナナカマドの赤い実を採餌するヒレンジャクの中にキレンジャクが2羽混在しているとの鳥友からの情報で諏訪湖まで遠征してブログに記載したことがあります。数年前の夏の知床峠では、ハイマツの中で白い花が目立つナナカマドの花弁をギンザンマシコが採食していました。真っ赤な紅葉の美しさだけでなく花も実も野鳥との思い出が多いナナカマドです。

撮影日10月25日(日)

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葉の落ちたナナカマドの赤い実を採餌しているのはツグミ科のマミチャジナイそれともアカハラでしょうか

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赤い実からチラリと覗いた顔はアカハラのようでした

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アカハラの雌雄はどちらでしょうか

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アカハラの雌と思われます

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こちらも雌のようです

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頭の暗オリーブ褐色から雄でしょうか

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ナナカマドの赤い実を咥えて採餌場所へ飛び出しの構え_dsc7616-2

ゴクーンと一飲みでした。

ナナカマドの赤い実と赤腹でした。

 

 

 

 

2020年10月30日 (金)

ムギマキとマミチャジナイの戸隠紀行

 日曜日の植物園駐車場(無料)満車であったが駐車場脇のスペースを見つけて駐車、こんなに混んでいる植物園駐車場は初めてであった。八十二まなびや前の広場ではナナカマドの赤い実を採餌するマミチャジナイとアカハラを十数人が撮影していた。仲間に入れてもらい30分程度撮影後に、みどりが池の右岸を通り、野生生物観察小屋から木道に入り、WCのある入口広場に出て、夏には通行止めであったが改装した新しい木道を小鳥の小径に向かう。木道の途中でツルマサキの実が成るポイントが2か所ありカメラマンが木道一杯に5~60人の盛況である、ここはムギマキが出ているらしい。人があふれる木道を素通りして小鳥の小径に入り、スギの森を抜けて外周の小径に突き当たる、左は鏡池へ1300m右折すると随神門まで250m、奥社に参拝する人通りの多い戸隠奥社参道の随神門前を横切り、ささやきの小径の橋を渡り戸隠牧場まで2・5kmの山道に入り、トチノキ・ハリギリ・キハダ・ミズキなどの大木・高木が鬱蒼と茂る戸隠社有林の夏緑広葉樹林のささやきの小径を200m進むとそこは昨年も訪れたムギマキのマイポイント。

今年の戸隠森林自然公園の蔓柾(ツルマサキ)の果実は熟すのが早かったのか?それともまだ早いのか!熟すと四裂し橙赤色の仮種皮に包まれた種子が顔を出す様子があまり見られないので蔓柾の果実不作の年回りのようです。ここで10時から14時まで一人で撮影、ムギマキは程々に出たが腕が落ちたのか、カメラとレンズの性能かムギマキが実をフライングゲットする写真が撮れず、木どまりの腹芸ばかりであった。14時ごろに中年女性が来たので入れ替わりに駐車場に戻ったのは15時であった。3時に起床して4時間の運転と4時間の撮影の疲れを癒しに戸隠神告げ温泉・遊行館(ユニークカン)に向かい初日を終える。

撮影日10月25日(日)

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ツルマサキの未熟の実ととムギマキ若鳥♀と思われる

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橙赤色の実を咥えた若鳥♀

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蔓柾の実は少ない、空になった白い仮種皮が目立つ

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この場面はなんだろうか?

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ムギマキの若い雄に雌が給餌なのか?

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ムギマキ成鳥雄が顔を出す

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枯れ木にムギマキ成鳥雄

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ムギマキ♂

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ムギマキ雌なのか雄若なのか?

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ムギマキ雄若なのか?

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ツルマサキに来たマミチャジナイ雄

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ツルマサキの実がないのか暗い葉の中から飛び出して行った

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コゲラも枯れ枝にとまり蔓柾の実をとりにやってきた

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エナガも枯れ木にとまりツルマサキに寄って来た

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コガラは欲張って嘴一杯に橙赤色の実を頬張り飛び去る

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まだ完熟していない四烈前のツルマサキの実を採餌するように見えるコガラでした。

橙赤色の四烈したツルマサキの実が少ない今年の戸隠でした。

 

 

 

 

 

2020年10月29日 (木)

ムギマキの腹芸

 腹芸の意味は 芝居などで役者がセリフや動作に出さずに表現する演技や、謀(はかりごと)を腹の中で企むこととか、仰向けに寝た腹の上で演じて見せる軽業や、宴会などで腹に漫画の顔を書いてこれを動かして見せる芸などがありますがこれらの役者や政治家の腹芸とは異なり、今年はツルマサキの実が不作の中で、ムギマキの腹しか撮れない不出来の腹芸です。
撮影日10月25日(日)

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雌なのか若なのか腹だけではわかりません

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雌成鳥だろうか、橙赤色の果実が見えず、空の仮種皮ばかりです

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ツルマサキの葉の中に♂の腹が見えました

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ツルマサキに絞殺されたのか枯れ木にとまる雄の腹

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ツルマサキの葉と実の無い仮種皮の中に若い雄のようです

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暗い葉陰に♂のムギマキ

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枯れ木の天辺から赤い実を目指すのかムギマキ雄

 

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ムギマキ若鳥

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ムギマキ若鳥雄の腹芸

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枯れ木からツルマサキの実を探す若雄

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10月25日10時~13時にムギマキが採餌に来た枯れ木に纏わりついたツルマサキです。今年は実が小さく少なく赤い熟れた実があまり見当たりませんでした。この付近の2,3本のツルマサキも同様に赤い実が少なくムギマキはこの枯れ木の樹木にとまり、数少ない赤い実めがけてフライングゲットしていましたので写真の殆どが腹芸の写真となりました。

 

 

2020年10月28日 (水)

マミチャジナイがナナカマドを貪る

 年齢を重ねて来ると野鳥の出番が少ないブログに成り下がりましたがまだ野鳥撮影は時々継続していますが北海道・信州戸隠とタカの渡りの白樺峠・渥美の森などに限られております。2012年に目標の400種を達成してから年々歳々の如く、野鳥撮影の機会が少なりなり、その代わりにカテゴリー(撮影テーマ)が増えました。最近は歴史の生涯学習として日本100名城のスタンプラリーに嵌っています。今回は、まだブログを始める1年以上前の2005年6月に初遠征してから15年以上も通っている野鳥の宝庫と言われる戸隠森林公園です。到着後最初に撮影した秋の旅鳥マミチャジナイの雌雄です。

撮影日10月25日(日)

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マミチャジナイ♂

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マミチャジナイ♀

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マミチャジナイ♀

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マミチャジナイ雄

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持ち逃げの飛び♀

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目先が黒いので雄と思われます

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ナナカマドの赤い実を採餌しながらバランスをとる

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マミチャジナイ♀

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赤い実をむさぼる雌

戸隠森林植物園の八十二まなびや前の広場、遊歩道沿いにナナカマドが十数本、赤い実を貪るマミチャジナイ雌雄でした。ここには同じツグミ科の留鳥のアカハラも赤い実を採餌していました。

 

 

 

2020年10月21日 (水)

日本100名城53二条城

 令和2年10月1日~4日までの和歌山県・奈良県・大阪府・兵庫県・京都府の二府三県を巡り、日本100名城を十ヵ所登城した殿(しんがり)の城は、昨年までは外国人観光客で混雑していた二条城はコロナウィルスの影響で外国人観光客が見えないので長い行列をするまでもなく開館時間の8:45から入城出来ました。

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撮影日10月4日

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二条城 御城印(スタンプと御城印は大休憩所売店にて)

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世界遺産元離宮 二条城 京都市パンフより抜粋・転載

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東大手門前

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東大手門

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東大手門(左下)

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唐門 秋の修学旅行シーズンの修学旅行生

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唐門前から二の丸御殿、次々に二の丸御殿見学者の列が途切れない

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唐門内側から二の丸御殿個人入口方向(二の丸御殿内は撮影禁止)

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二の丸御殿、左端の釣鐘 ↓

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緊急事態の時に周囲に伝えた釣鐘 ジャンジャン鳴らしたかは?

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遠侍~白書院~遠侍の間まで撮影禁止でカメラを首にぶら下げて廊下を歩く(人生三度目の経験)

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京都市の黒書院三の間パンフの写真をスキャン、黒書院一の間と二の間は将軍と対面した部屋、三の間は対面相手が控えた部屋。

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黒書院に置かれてあった京都市のパンフ、三の間の天井画

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二の丸御殿の見学廊下

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写真撮影禁止の二の丸御殿から二の丸庭園へ

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二の丸庭園と二の丸御殿

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二の丸庭園

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二の丸庭園

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二の丸庭園からの二の丸御殿(一部)

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二の丸から本丸櫓門

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天守閣跡からの二の丸櫓門

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天守閣跡へ上る石段

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天守台跡の石垣

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天守閣跡からの内堀

 

 

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加茂七石

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北大手門

入城してきた東大手門から外堀を東南隅櫓方面へ

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東南隅櫓下の外堀にアオサギが近づいても逃げない採餌にご執心

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東南隅櫓を撮影して二条城を下城する、時間は午前10時

10月4日二条城見学は駐車場の駐車時間2時間弱の滞在で新名神・新東名・東名の440kmをトイレ休憩を含めて5時間のドライブして帰浜した。静岡県内の新東名では最高速度120km/時の区間では走行する車は殆どが140~150kmで飛ばしている車の流れに乗り走行するドライブも体験してきた。

来年4月に免許が切れる「認知機能検査通知書」が来たので3年前と同じ最寄りの菊名ドライビングスクールに予約を入れたが、なんと3月末まで予約でいっぱいでした。綱島のコヤマドライビングスクール横浜に電話予約するも何回掛けても繋がらず、車で予約に行くが予約日は1月17日にやっと取れたが運転教習所はどこも認知機能検査で混雑しているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月20日 (火)

日本100名城59姫路城(国宝・世界文化遺産)

 赤穂市の赤穂城から兵庫県をUターンして相生市を経由して、国道2号線などで約40km1時間の兵庫県姫路市に戻り、世界文化遺産・国宝の姫路城へ。姫路城大手前公園の駐車場に車を入れて、桜門橋を渡り大手門から三の丸広場で姫路城を撮影してから天守閣へとフォト散歩。

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撮影日10月3日

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12:20、姫路城大手前公園に車を入れて大手門に向かう。

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堀と石垣の上に姫路城が見えた

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桜門橋を渡り大手門へ

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姫路市の観光情報「ひめのみち」より

 

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大手門からの姫路城

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三の丸広場前からの天守閣

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三の丸広場からの姫路城天守閣

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菱の門

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三国堀

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狭間

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天守閣入口

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姫路城の天守閣に展示の軸組構造模型

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武具置き場

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暗くてボケた東大柱

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天守閣の階段

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天守閣内の神棚

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天守閣の鯱

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天守閣出口(入口)

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大工の源兵衛の看板付近からの大小の天守閣

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お菊井戸は底まで見えず

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怪談播州皿屋敷のお菊井

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明治・昭和・平成の鯱の変遷

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石垣の扇の勾配

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武者溜り

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百閒廊下

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下城途中の天守閣

世界文化遺産・国宝・姫路城 特別史跡姫路城跡のフォト散歩でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月18日 (日)

日本100名城60赤穂城

 朝来市の竹田城を8時半頃出発して姫路市経由して、約100km離れた赤穂市の赤穂城に到着したのは午前10時10分、1時間40分のドライブ。日本100名城60は播州赤穂のフォト城散歩。赤穂城は、正保2年(1645)に常陸の国笠間から石高53500石で入封した浅野長直の指示によって慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて寛文元年(1661)完成された赤穂城は、藩の家老で軍学師範でもあった近藤正純が設計をした。天守台のみ築かれて天守は建築されなかった。塩と赤穂浪士ゆかりの国史跡赤穂城跡。

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登城日10月3日

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日本100名城に行こうより、60赤穂城。

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現在地の歴史博物館前の無料駐車場に車を停めて、最初の行き先は大石神社に足を向けた。

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大石神社参道の両側に四十七士の石像

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大石神社本殿入口の大石内蔵助像

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赤穂大石神社 赤穂歴代藩主、赤穂義士らを祀る神社

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大石神社御朱印

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赤穂城跡縄張り図

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車の駐車場近く、左は米蔵風の歴史博物館の建物、清水門跡

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三の丸清水門跡の石垣、右は赤穂市歴史博物館

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清水門跡の説明板

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土橋と本丸門

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櫓門と桝形

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この日は櫓門内部を公開していた

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本丸 坪庭池泉

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天守台 天守は築かれなかった

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本丸厩口門

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厩口門より左手の東隅櫓方向

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大手隅櫓より大手門方向

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大手隅櫓

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播州赤穂城跡と赤穂大石神社のフォト散歩でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月17日 (土)

日本100名城56天空に浮かぶ竹田城

 10月1日中秋の名月の翌日2日は十五夜であった、ビールを飲みながら見上げた望月の満月を満喫した。但馬守護山名氏によって築かれた竹田城は、戦国時代に毛利氏と織田氏との間で争奪戦が繰り広げられ、天下人となった豊臣秀吉によって完成される。
10月3日、日本100名城3日目の攻城は朝来市の竹田城、夜明け前に着いたが既に上の駐車場は満杯で下の駐車場にとめる。頭にヘッドランプを付けて天空の城へ歩き出す人々の声が賑やかに響く駐車場であった。暫く駐車場で待機してから初めての登城なので明るくなった5時45分から一般車通行止めの車道を上り始める。竹田城跡料金所までに単独で登っていると11組の男女二人ずれに追い抜かれ、逆に下山してくる人数は33人を数えた、暗いうちにから登城して日の出とともに雲海の竹田城を観光した人の方が多かった。ここは9月~11月の晴れた風の弱い日の日の出に雲海が見られるらしいが天守台跡に辿り着いたのは7時過ぎであったが曇り空であった。上り始めた時に駐車場の警備員が昨日は雲海が見られたが今日は見られないと言っていたのを思い出した。

撮影日10月3日

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情報館「天空の城」パンフより、雲海に浮かぶ竹田城跡

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情報館「天空の城」パンフより

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情報館「天空の城」パンフより抜粋・転載

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案内図右下現在地の「山城の郷」の下のを5:45に出発して一般車通行止めの車道を竹田城跡を目指して上り始める

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5:52分 明け方の逆光の中で山上の竹田城跡を写す雲が多い

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拝観料金所に6:30分、ここまでとぼとぼ歩いて45分も掛かる

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情報館「天空の城」パンフ、竹田城縄張り

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料金所から縄張りの中を歩き始め穴太積みの石垣の北千畳へ

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竹田城跡縄張図

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北千畳へ

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算木積みの石垣

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天守台

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一の丸にて、背景の石垣は天守台跡 警備員から「竹田城を歩く」名城探訪のパンフのコピーを頂き記念撮影までしていただく

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本丸から眼下後方の南千畳を望む

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天守台にて、親切な警備員の撮影 後方は南千畳?

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本丸の石垣

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二の丸からの天守台

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南千畳からの天守台(右)

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天守台の観光客

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下山途中(出口)からの天守台

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下山途中で見つけた道路際の写真(トリム)

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下城途中に見つけた写真(トリム)

駐車場から歩き始めて登城と竹田城址見学で約75分、出口から駐車場まで下城時間45分、往復120分の全国屈指と言われる山城遺構の竹田城跡の攻城でした。

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家紋ごとの御城印、左から最初の山名家、中は山名家と赤松家、右は最後の赤松家の家紋

 

 

 

 

2020年10月15日 (木)

日本100名城57篠山城

 明石城の次は同じ兵庫県内の二つ目の篠山城へ、明石城を14時に下城して丹波篠山市(2019年5月1日より市名変更、篠山市⇒丹波篠山市)の篠山城(ささやまじょう)まで約80kmのドライブ、15時30分頃に篠山城跡の駐車場に到着して早速復元された大書院へ攻城開始する。篠山城は慶長14年(1609)に、天下を盤石なものにしようとした徳川家康が豊臣方の拠点である大阪城を包囲するとともに、豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を牽制するために山陰道の要衝であったこの地に築いた城。縄張りは北東隅に隅欠きのある「回」の字型。

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入城料400円で大書院内のスタンプ設置場所でスタンプ

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兵庫県篠山市は令和2年5月1日より丹波篠山市に市名変更

登城日10月2日

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駐車場からの内堀と高石垣と復元された大書院の屋根が見える。

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大書院へのアプローチ・北廊下門の案内図と史蹟篠山城跡の碑

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国指定史跡 篠山城跡 

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表門跡

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中之門跡

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鉄門跡(くろがねもんあと)左の屋根は復元大書院

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資料館入口(左の大書院見学入口)

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手前資料館、奥に復元された大書院

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南面からの大書院

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復元された大書院広間

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復元された大書院広間

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展示のポスター類

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内部の手作り甲冑の出品展示など

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本丸跡

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本丸内の天守台石垣

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天守台からの下の内堀

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天守台石垣と堀

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篠山城御城印、青山銭紋は六代にわたった城主青山家の家紋 

 

 

 

 

 

2020年10月14日 (水)

日本100名城58明石城

 大坂夏の陣で豊臣氏が滅び四年後に西国の豊臣恩顧の大名に備えるために二代将軍秀忠が小笠原忠真(おがさわらただざね)に築城を命じた西国を睨む明石城。
千早城の大阪府南河内郡千早赤阪村の山中にある金剛山麓を午前9時に出発して、堺市・大阪市内・尼崎市・西宮市・神戸市内など大阪湾沿いに国道2号線などの一般道を明石市まで午後1時過ぎ約4時間の長時間ドライブで明石城西入口の協会駐車場に到着する。本丸跡・天守台跡はあるが天守閣を建てた記録はなく、左右2つの現存三重櫓などが主な遺構。

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案内図の右下の西入口の協会駐車場に車をとめてJR明石駅前の正面公園入口(案内図の現在地)から明石城址を攻城開始する。

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10月1日は中秋の名月、2日のこの日は満月で明石城観月会

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左は坤櫓(ひつじさるやぐら)右は巽櫓(たつみやぐら)

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JR明石駅前の正面入口付近の堀

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堀と坤櫓

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堀と坤櫓

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坤櫓(ひつじさるやぐら)の三重櫓

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巽櫓(たつみやぐら)の三重櫓

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坤櫓の下から続く長い大名行列のような遠足

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巽櫓付近の案内図

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日時計と坤櫓(ひつじさるやぐら)

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案内図の現在地付近、巽櫓右側の石垣

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巽櫓への桝形の石階段

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三重櫓の巽櫓(たつみやぐら)、明石城は天守閣は造らなかった

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巽櫓の右側、城内方向の二層以上は窓(挾間)が一つもない

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天守台跡

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天守台跡からの坤櫓

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天守台石垣と坤櫓

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剣豪宮本武蔵は明石城に魅せられて15年間も過ごしたそうです

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明石城の宮本武蔵の設営した庭園

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明石公園サービスセンターのスタンプ設置場所にてスタンプ

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ここでも最近御城印を発売開始していた

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10月2日明石城址の攻城記録でした。

 

 

2020年10月13日 (火)

日本100名城55千早城

 大阪城攻城の翌朝の10月2日早朝に大阪府南河内郡千早赤阪村の楠木正成が築いた山城で鎌倉幕府軍を翻弄した千早城(城跡は千早神社が建つ)を目指した。

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日本100名城に行こう「公式スタンプ帳」より

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千早城登り口の各種の案内図や説明板

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7:23、右の手すりのある急階段が千早城への登り口

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登り始めた手すりのある急階段を上り切り振り返る

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石段の途中に千早城跡に建てた千早神社の鳥居がある

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登城の途中に楠木正成の名がやっと読める石碑

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やっと千早城跡が見えて来た、ここが四の丸?

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石段を上りきると千早城の標識、ここまで560段の石段

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四の丸跡

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更に300m千早神社への石階段が上に続く

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史跡 千早城址

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千早神社

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標高634m

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本殿(本丸跡)ここで8:00になる上り始めて37分

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本殿の左前の木の根元に「本丸跡」がポツンと置いてあった

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賽銭箱に菊水の紋

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下山後の8:30に登り口の急階段を撮影、下山時間は30分

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千早駐在所前の登り口から千早城跡(千早神社)まで上り約40分下り30分弱で登城(参拝)して、金剛山麓「まつまさ」でスタンプを押して、千早城の御城印(500円)を入手する。

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千早城御城印と説明文

 

 

 

2020年10月12日 (月)

日本100名54城大阪城

 日本100名城54大阪城は昭和6年に鉄骨鉄筋コンクリートの復元天守。現役の頃から何回か見学したことがあるが現役引退後は初の登城となった。昔は大手門・桜門・蛸石(最大の石)などの西の丸から天守閣に上ったが今回はその裏側にあたる東側から天守閣を目指した(スタンプ設置場所の天守閣1階インフォメーション)

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撮影日10月1日

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この地図はJR森ノ宮駅が左下隅にある。左側は南、右側は北、地図の上は西、下は東を示す。森ノ宮駐車場に車を入れて3:34に現在地から天守閣目指して歩き出す。市民の森から記念樹の森を抜けて東外堀に出る。

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3:40 逆光の東外堀、東外堀を右の北方向へ進む

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 青屋門と桝形が見えるまで歩き出して14分

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青屋門

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青屋門の説明板

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青屋門から内堀を渡る極楽橋の袂(たもと)に着く

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内堀の南方向を映す、記憶ではこの橋を渡るのは初めてのようです、堀の石垣が屈折して横矢を掛けるようになっている防御の石垣。昔、大阪城に来たときは大手門から入城したが今回は反対側の東側から登城となった。

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極楽橋を渡り桝形の石垣の上に見える天守閣を撮る

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山里丸の説明板には淀殿、秀頼母子が自刃した・・・部分に赤い線・・・お節介な悪戯書き

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刻印石広場

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刻印石広場

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天を見上げながらの金ピカ天守の撮影

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左はエレベーター、中央残念石、右端は天守閣入場口とチケット販売口(スタンプ設置場所1階インフォメーション)ここまで40分歩いて時刻は16:05分

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小豆島で割られたままで用材石として使われずに石切丁場に放置されていた石を残念石と呼ばれる

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残念石、16:30分で天守閣入場締め切り、財布を車に忘れて来たので小銭入れは500円弱のみ、車に戻る時間がない!天守閣の入場料600円が無いので窓口でスタンプのみ押す。本当に残念意志のアクシデント

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真田幸村の活躍が縁をもつ大阪城と上田城の友好城郭記念碑

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天守の撮影に没頭

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天守に舞うカラスの群れ

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夕方になると何故かカラスが天守に群れる?

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数寄屋前楼跡付近からの石垣と天守

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帰路の極楽橋

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青屋門の内側

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石垣の上に赤い彼岸花を見て大阪城を去る

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帰りの道順、この地図は北は左、南は右、上は東、下は西

車で来阪は初、勝手の判らない大阪城の天守はJR大阪城公園駅の方がはるかに近かった。森ノ宮駐車場で2時間700円、明日は楠木正成の大阪府千早赤阪村の千早城へ

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月11日 (日)

日本100名城62和歌山城

 奈良県の日本100名城61日本一の山城・高取城跡の次は和歌山県の日本100名城62・紀伊徳川家の威光を示す城は昭和33年に鉄筋コンクリート造で復元された城を攻城する。主な遺構は岡口門、岡口門続土塀、追廻門、西の丸庭園(紅葉渓庭園)石垣、堀。

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登城日10月1日

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「日本100名城に行こう」より転載

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登城日10月1日 和歌山城の御城印

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歴代の城主、初代の豊臣家から江戸時代の初代徳川頼信~14代茂承まで

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史跡 和歌山城パンフレットより

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不明門跡の駐車場に車をとめて、天守閣に向かって新裏坂を昇ると上から忍者が降りて来たスナップ

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忍者とすれ違う前の石段で印を結ぶ気の利いた忍者、表坂上りではヘルパー2級取得者のおもてなし忍者が歩行困難者を登城サポートするそうです

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坂の途中で小天守閣を撮影

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天守閣入城前に今度は女忍者くノ一が現れる、和歌山城は忍者のおもてなしの城

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天守閣への入場券を購入、わかやま歴史館へも入れる

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左は天守閣への入口

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天守閣内部の鯱の展示

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葵の屋根瓦、この他に甲冑・槍・刀剣・火縄銃などの展示を割愛

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天守閣三階からの風景

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天守閣から本丸御殿跡へ移動

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本丸御殿跡から望む天守閣

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二の丸広場から御橋廊下(おはしろうか)へ

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御橋廊下の外観、殿様とお付きの人・奥女中が二の丸と西の丸を行き来するために徳川期の橋、斜めにかかる廊下橋(平成18年に復元)

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御橋廊下の内部、靴を持って洗濯板のような斜面の廊下を渡る

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西の丸庭園(紅葉渓庭園)

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西の丸跡からの天守閣

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北内堀沿いの通りをフォト散歩・御橋廊下と天守閣

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北内堀

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一の橋と大手門

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①野面積み石垣②砂岩打込みハギ石垣③花崗岩打込みハギ石垣

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野面積み石垣

時間の都合で西の丸のわかやま歴史館と遺構の岡口門を飛ばして不明門の駐車場に戻る。10月1日この日の三城目の大阪城に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月10日 (土)

日本100名城61高取城

 渥美半島の渥美の森展望台でタカの渡りを撮影後の午後3時に伊良湖岬と鳥羽を結ぶフェリー航路で鳥羽港に渡り、道の駅の飯高駅で車中泊した翌朝に奈良県唯一の日本100名城の高取城のスタンプ設置場所の高取町観光案内所「夢創館」に向かい午前9時丁度に到着するが開館時間は9時30分であった。近所のおばちゃんが夢創館のスタンプ設置場所を教えてくれたので開館まえにスタンプを押して高取城に向かう。途中に壺坂霊験記で知られる壷坂寺の前を通過する。車道の行ける行き止まりに車を止めて、標高584m山城の高取城跡の本丸目指して9時25分から攻城を開始して10時5分に本丸跡に登城する。

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夢想館で入手した高取城跡への地図

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車道の行き止まりまで走り二基の仮設トイレのある処から高取城跡の本丸跡へ上り始める。タカの渡り撮影の白樺峠や渥美の森展望台並みの登りがキツイ攻城となった。

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午前九時 開館前の夢創館、右手のベンチの奥にスタンプを押す

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夢創館入口の掲示物のトリム

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夢創館入口の司馬遼太郎の街道をゆく・高取城の抜粋文

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人気のない車の行き止まりに駐車

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ここから標高584mの高取城跡の攻城を開始

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史跡 高取城跡の説明板をトリム

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上り始めると直ぐスギ林の中に石垣の城跡があらわれる、スギ花粉症なので春先には攻城出来ない山城

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石垣崩壊につき落石注意の標識がそこかしこにある

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上り始めて10分壺坂口門跡に着く

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壺坂口中門跡

 

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本丸へ200mの標識に安堵する、560m二の門跡はスルー

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大手門跡

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十三間多門跡

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日本三大山城説明板(大和高取城・備中松山城・美濃岩村城)

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十五間多門跡

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新櫓跡と太鼓櫓跡(右)

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御神木と高取城址

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高取城址と御神木

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本丸の一角

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本丸の説明板

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本丸からの麓の景色

標高584mの日本一の山城・高取城への上り40分のフォト攻城ウォークでした。

 

 

2020年10月 9日 (金)

恋路ヶ浜の番のホオジロ

 渥美半島・伊良湖岬・恋路ヶ浜。恋路ヶ浜は海岸線の傍らを通る渥美サイクリングロードが「日本の道百選」に、白い砂浜が「日本の渚百選」に、海岸の松林が続く風景が「日本の白砂青松百選」に、潮騒の音が「日本の音風景百選」にそれぞれが「日本の百選」に4つも選ばれています。(参照:伊良湖観光ガイド)
この恋路ヶ浜の傍らに群生する
海浜植物ハマゴウの群落地でホオジロの番が採餌していました。恋路ヶ浜の由来は、その昔、高貴な身分の男女が許されぬ恋がゆえに都を追放されこの地に暮らした事にちなむという伝説の地で留鳥ホオジロの番が海浜植物ハマゴウの中で夏鳥のノビタキと共生するかのように暮らしていました。

撮影日9月29日 

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恋路ヶ浜のハマゴウ(青紫色の花)と留鳥のホオジロ雌雄

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恋路ヶ浜の海浜植物ハマゴウの花とホオジロ番

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ホオジロの番 ♀(左)♂(右)

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ホオジロ♂

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ホオジロ♂の採餌

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ホオジロ♀

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ホオジロ♀

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草地に降りたホオジロ♂

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草の葉を採食するホオジロ♂

タカの渡り観測地・伊良湖岬恋路ヶ浜の留鳥ホオジロ雌雄でした。

 






2020年10月 8日 (木)

恋路ヶ浜のハマノビ

 渥美の森展望台のタカの渡り撮影から午後4時過ぎに移動してきたのは、「伊良湖岬の渡り鳥を記録する会」がタカの渡りをカウントしている伊良湖岬・恋路ヶ浜の大駐車場。目の前の潮騒の浜辺におりるとそこには花期が6~8月と言われる青紫色の小さい花がチラホラ残る海浜植物の浜香(ハマゴウ)の群落地。このハマゴウの葉の上に潮騒の海を背景に南に渡る時期が近いと思われる冬羽のノビタキが見えました。
伊良湖の花・ハマゴウとノビタキでハマノビです。

撮影日9月29日

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恋路ヶ浜の青い海とハマゴウとノビタキ

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胸を反らしてハマゴウの上にとまるノビタキ

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海浜植物ハマゴウの群落地のノビタキ

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ハマゴウの葉に座るように見える

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伊良湖の花・青紫色のハマゴウの残花とまだ残るノビタキ

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昆虫を見つけたのか飛び出すノビタキ

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ハマゴウの花とノビタキ

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ハマゴウの花を見詰めるかのように

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おや!エサかな?

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採餌の飛び出し!

海浜植物の宝庫・伊良湖岬のハマゴウと南方へ帰る前のノビタキでした。

 

 

2020年10月 7日 (水)

渥美の森展望台のタカ類

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愛知県田原市の渥美の森展望台、前方のタカが飛んでくる大山の夜明け、タカが近くを渡るのを期待する日の出のひと時に撮影。

撮影日9月30日

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ハチクマ成鳥♂

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ハチクマ成鳥♂

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ハチクマ♂

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ハチクマ幼鳥

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ハチクマ♂

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ハチクマ♂

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展望台の上空、大きいサシバをモビングする小さいツミ

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ノスリ

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サシバ成鳥♂

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ミサゴの獲物はスズキかな?

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ミサゴが大きな魚を抱えて真上を行く

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ノスリ

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チゴハヤブサ、7月に北海道のサッカーグランドでチゴハヤブサの営巣を撮ってきたがもしかするとその時に繁殖したと空想するチゴハヤブサが目の前を翔ぶ。夢想の合間に飛び去る黒い鳥は幻想なのか?妄想なのか?。

 

 

 

2020年10月 6日 (火)

渥美の森サシバの渡り

 渥美半島の渥美の森展望台に上りサシバの渡りを撮りました。例によってタカの渡りの撮影場所までの山登りは年々歳々厳しく苦しくなってきました、撮影装備もできる限り小型軽量にしています。

撮影日9月28~30日

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渥美の森展望台への上り坂の中程、駐車場から展望台までの距離はゆるい坂は380m、きつい坂は300m、いつも緩い方の坂を30分掛けて上る。

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渥美の森展望台(南面) 標高100m 展望台では三脚使用禁止

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サシバ幼鳥

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サシバ幼鳥

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サシバ

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サシバ幼鳥

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サシバ幼鳥

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サシバ♂

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サシバ♂

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サシバ幼鳥

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サシバ幼鳥

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サシバ幼鳥

明け方の空・青空・白い雲、曇天などの様々な空の中を高く遠くを渡るサシバでした。写真は全てトリミング済。

 

 

 

 

 

 

2020年10月 5日 (月)

御城印は日付の空白多し

 三年前の北海道から始まった日本100名城スタンプ・ラリーであるが今年の夏あたりから御朱印人気にあやかったのか、日本100名城でも御城印が流行りだしたようです。9月27日~30日まで昨年と同じように渥美半島・渥美の森展望台でタカの渡りを撮影後に伊良湖岬よりフェリーで鳥羽に渡り、翌日の10月1日~4日まで奈良県・高取城→和歌山県・和歌山城→大阪府・大阪城→大阪府・千早城→兵庫県明石市・明石城→兵庫県篠山市・篠山城→兵庫県朝来市・竹田城→兵庫県赤穂市・赤穂城→兵庫県姫路市・姫路城→ここからUターンして翌日の10月4日に今回の城旅で十城目の京都府・二条城のスタンプを済ませて、京都市内1時間程度の滞在で新名神・新東名・東名の440kmを5時間かけて帰浜する高速ドライブであった。日本100名城には必ずしも御城印があるとは限らないようです。

登城日10月1日~4日

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御朱印は必ず日付入り、御城印はこれが空白なのが不満なり

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楠木正成の千早城址は白樺峠や渥美の森よりもキツイ上りの急階段であった、御城印の登城日欄がないようである

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上の家紋は初代城主小笠原忠正、下は越前松平家の三つ葉葵、日付は「十」と「二」のゴム印で自分で捺印する、最低でもこれくらいは完備してほしい!

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六代にわたって篠山城主の青山家の青山銭紋、登城日十月二日

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左から築城主 山名宗全の家紋、中央は山名氏と赤松氏の家紋、右は最後の城主赤松広秀の三枚セット、登城日10月3日早朝6時、雲海の見えない運が無かった日

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赤穂城跡には御城印はない、大石神社の御朱印を薦められた、この後の姫路城では御城印は九月一か月間の限定販売で十月から販売していなかった

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昨年までは日本100名城では中国人や外人などで一番混んでいたので入城まで長い行列であったが日曜日にも関わらずコロナ禍で空いていた。8:45分から入城して二の丸御殿(本丸御殿は保存修復工事中)と二の丸庭園と本丸の天守台址を見学して10時に退城して京都を後にする。

後日、今回攻城した日本100名城についてブログを作成する予定です。

 

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