日本100名城16箕輪城
群馬県高崎市箕郷町の日本100名城16箕輪城は山上に多数の曲輪が展開した、深く幅の広い大堀切が城郭の東西を横切り南北に二分する巨大な平山城跡である。築城年代は15世紀後半~16世紀前半頃、永禄10年(1567()、天正15年(1587)、天正18年(1590)。築城者は長野業尚、武田信玄、北条氏邦、井伊直政。主要城主は 長野氏、武田氏、織田氏、小田原北条氏、徳川氏。(公式ガイドブック日本100名城P59箕輪城より)
山中に大きな溝の大堀切や土を盛り上げた土塁や石垣などの遺構が残る箕輪城跡を一万歩も歩き、痛めていた左ひざの痛みが増し足を引きずりながらの攻城でした。
攻城日11月5日
長野氏時代はここが大手口だった。搦手口より箕輪城を攻城開始
二の丸
本丸馬出
箕輪城跡
本丸(四方を空堀に囲まれていた厳重な曲輪であった)
大堀切(幅30m現況でも深さ9m)
郭馬出(かくうまだし)東西52m、南北27mの広い馬出
復元 郭馬出西虎口門(かくうまだしにしこぐちもん)
三の丸
三の丸門跡と石垣
鍛冶曲輪の石垣
虎韜門(ことうもん)の石垣
東の搦手口から攻城して西の大手門にあたる虎韜門口に出て来た
古い箕輪城大手虎韜門口(おおてことうもんくち)の表示板
帰路は東西に横切る大堀切の中を登って郭馬出西虎口門へ戻る
大堀切の石垣は雑草に覆われて石垣が見えない
正面に大堀切の土橋と掘り出された石垣が見える、シャッターの故障か?(撮影中に時々起こるピンボケの現象です、本人と共にカメラもボケる)
大堀切の底を登りきると、そこは再び郭馬出西虎口門に戻る
ここから郭馬出(かくうまだし)→本丸→本丸馬出→二の丸→搦手口の駐車場に戻り9時~11時まで2時間の探索をした箕輪城跡を後にして群馬県太田市の金山城跡に向かった。
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