日本100名城20佐倉城
鹿島台地西端の川や急崖に囲まれた要害の地に、地元豪族の千葉氏が中世の城郭を築いたといわれる。慶長15年(1610)に土井利勝が入封して大修築し、石垣を用いずすべて土塁で曲輪、掘割などを築城した。以後、江戸の背後を固める城として代々譜代大名の居城となった。(日本100名城ガイドブックより)
千葉県佐倉市城内町官有無番地の佐倉城址公園では国立歴史民族博物館の方が大きな建物と目立つ場所に建築されていた。この場所は佐倉城の椎木曲輪(侍屋敷)跡であであった。歴博(国立歴史民俗博物館の略称)の駐車場は満杯であったが散歩を終えた地元の車が出た直後に駐車して、歴博正面の石段を上り正面扉から入館して受付のスタッフにスタンプの置いてある佐倉城址公園管理センターの場所を尋ねてから佐倉城跡の探訪をはじめた。
佐倉城跡公園管理センタープレハブ小屋の内部、スタンプ押印台と佐倉城天守閣の模型と明治時代に撮影された元藩士による櫓や門などの写真が展示されていた。これらについて専任スタッフの親切な説明を聞いてから佐倉城跡の探訪を始める。
現在地は公園センターの駐車場の一番奥の角
空堀と土塁
日米修好通商条約の調印に奔走した二人、タウンゼント・ハリスと佐倉藩主・老中首座・堀田正睦(まさよし)の像
日米修好通商条約150周年記念に完成、平成20年6月14日
子規の句碑
正岡子規の佐倉城跡の俳句
一の門跡
土塁の説明板
天守台址
佐倉城天守台跡(上の画面で左端に見える)
佐倉城の夫婦モッコク
銅櫓跡
銅櫓跡の銅櫓の写真
佐倉城の礎石
二の丸門跡の写真
出丸址への下り坂
出丸跡と水堀
角馬出の空堀(右側が馬出部)
馬出空堀
佐倉城は巨大な角馬出を持つ土の城であった。最近は佐倉城跡よりも歴博(国立歴史民俗博物館)を探訪する人がはるかに多いようである。現在の企画展は10月6日~12月6日「性差(ジェンダー)の日本史」ー治める・はたらく・性を売るー の人気が高いようである。
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