日本100名城30高遠城
昨年七月信州の日本100名城の上田城・松代城・小諸城・松本城を巡り五城目の高遠城のブログをUPしていないことに気付きましたので、登城から一年以上経過していますが日本100名城30高遠城を掲載することにします。高遠城の築城者に名を連ねる武田信玄は、天文14年(1545)三峰川と藤沢川の段丘上にある高遠城を攻略し、その後大規模の改修を行った。三峰川の断崖を背に本丸と、それを囲むように二の丸、三の丸が配された「後堅固」の構えの縄張りであったが、武田勝頼の実弟仁科盛信が城主のとき、織田信長軍に攻められて一日で落城した。本丸をはじめ、各曲輪はすべて空堀で区切られていた。野鳥撮影を始める前に全国の桜を追いかけていた時代に、その名残の空堀から桜の名所となっタカトウコヒガンザクラの撮影の思い出がある高遠城址である。
登城日令和元年7月18日
公式ガイドブック日本100名城30高遠城より
高遠城大手門
伝、高遠城大手門
広大な空堀の一部
勘助曲輪
天下第一櫻の碑
二ノ丸跡
桜雲橋
桜雲橋 下は空堀
桜雲橋」と問屋門
問屋門内の石垣
織田信長軍の攻撃に落城した信玄の五男仁科五郎盛信の戦い
本丸跡
南曲輪址
白兎橋
法幢院曲輪
春には城内を埋め尽くしたコヒガンザクラの桜の名所となった高遠城址でした。
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