鶴見台ツルおばあちゃん回想録
巣籠中の今回は15年前の六月と14年前の二月の鶴見台のタンチョウ撮影と思い出「鶴おばあちゃん」と呼ばれた渡辺トメさんの「釧路湿原国立公園指定20周年記念出版(ツルになった おばあちゃん)」の伝記と15年前に初めてお会いした時の思い出とフォト回想録です。
このブログを開始したのは野鳥撮影を始めた2005年3月の1年3ヶ月経過後(遅れ)の2006年6月1日でした。このブログを始めた直後の6月3日に横浜を発ち4日より3週間の初北海道撮影旅の五日目は釧路湿原鶴居村、6月8日に鶴居村下雪裡鶴見台でタンチョウの撮影と翌年2月に再び訪問したお馴染みの鶴見台です。



2006年6月8日撮影。飛んでくるタンチョウの衝突防止の黄色いカバー付き電線がある鶴見台・渡辺トメさん宅庭先の小高い丘に群れるタンチョウ。この鶴見台は観光バスが必ず立ち寄る処、外人観光客のバスもかなり多く来る。この日はシンガポールから来た中国系の子供連れの団体客が来た時は、生憎タンチョウが飛び去った後で、大型レンズの600mmが珍しいのか皆で覗きにくる。エプソン・フォトビューワーP2000に収録したタンチョウの写真を披露すると皆さん喜んでくれたので、国際親善をしたようだ。彼らがバスの戻った直後にタンチョウが飛来して来たのでバスまで行き、タンチョウが来たと教えてあげる、発車間際の観光バスが時間延長して乗客全員がタンチョウを観光。帰りに彼ら全員から謝謝と言われていい気分になった。私が自販機でお茶を購入したのを見ていたのか、手ぬぐいを頬被りしたおばあさんが「ありがとうございます」と近づいてきた。この人が鶴居村観光ガイド掲載の有名人だと直感した。この時が鶴おばあちゃんとの最初の出会いであった。その後数年間は鶴見台に行くたびにここの自販機で買う度に鶴おばあちゃんにボトルを向けて”買ったよ”と合図をすると喜んでくれた。自分の庭先に来るタンチョウを見に来る向かいのレストランの自販機を買う観光客の愚痴とマナーの悪い外国人の愚痴をこぼすことなどを聞くことが多かった。これが縁で観光客の居ないときは誰も見ていないからと自宅の庭先での撮影を勧めてくれたのでご自宅庭先での撮影は普段は撮れない小高い丘の後まで見える特別席の撮影が出来た。
国の特別天然記念物タンチョウの保護のため、給餌(きゅうじ)の草分けとして長年にわたって給餌活動を続けてきた北海道鶴居村の渡部トメさんが26日夜、老衰のため死去した。99歳だった。 渡部さんは、絶滅の危機に瀕(ひん)したタンチョウを守るため、自宅の牧草地を開放し、1962年から給餌活動を始めた。餌が不足する冬場、一輪車にトウモロコシを満載し、待ちかねたタンチョウに与えた。生前は「鶴のおばあちゃん」として村民や野鳥愛好家らから親しまれた。 長男正博さん(78)によると、給餌を始めたころは20、30羽だったタンチョウはその後、徐々に数を増やし、今では200羽を超すこともあるという。10年ほど前からは体が弱ったトメさんに代わって次男の繁博さん(71)が給餌を受け継いでいる。2001年には長年の給餌活動に対し勲六等瑞宝賞が贈られた。
渡部さんの死去を受け、大石正行村長は「鶴居村の名声を高められたことは村民の誇り。タンチョウを守り続ける遺志を受け継ぎ、子どもたちに広く伝えていきたい」とのコメントを出した。以下略
「鶴おばあちゃん」こと渡辺トメさんの伝記です。2007年5月12日発行 (話)渡辺トメ(文)伊藤重行(カラー写真)和田正弘 P44~63は三か国語訳(韓国語・台湾語・英語) 中西出版(株)
2007年5月21日初版発行・中西出版 表紙と帯 P44~63に渡辺トメさんの話を英語・韓国語・台湾語の訳付
35頁モノクロ写真の渡辺トメさんのタンチョウが給餌に来るお庭の入口の掲示板類
巻末の63頁に(渡辺トメさんに対する表彰)が記されています。
北海道文化財保護功労賞(昭和56年)
北海タイムス社会善行賞(昭和56年)
鶴居村文化功労章(昭和57年)
第33回NHKk紅白歌合戦審査員(昭和57年)
勲六等瑞宝賞(平成13年)
このフォト伝記が発刊されたのは2007年5月でその後の表彰記録は不詳です。この3ヶ月前の2007年2月15日~22日の二度目の北海道撮影旅、初めての冬の北海道撮影旅行でした。
釧路湿原の5つのエリアの中で一番広い観光バスが良く立ち寄る鶴見台に午前10時半頃、苫小牧に戻る直前に寄りました。晴天の下でタンチョウが数十羽が、トウモロコシの採餌・鳴き合い・威嚇・飛立ち・着地などの動作があちこちで見られました。
600mmで撮影した鶴見台の看板
夏に見えた小高い丘の草地は真っ白い雪に覆われここにトウモロコシが撒かれていた
この時期(2月3月)は求愛ダンスが見られる
求愛デイスプレイは鳴きあいや求愛ダンス
雪裡川下流の塒のある音羽橋方面から鶴見台に飛んでくるタンチョウ
次から次に舞い降りて来るタンチョウ
衝突防止の電線カバーを飛び越えてトウモロコシを啄みに降りて来たタンチョウ
鶴見台には名物おばあさんの渡部トメさんがいます、ここの地主でもあり、この鶴おばあちゃんの管理する自動販売機で飲み物を買うとご機嫌が良い、行く度に自販機でお茶かコーヒーを買って、このおばちゃんに買ったよと挨拶すると、ありがとうございますと返事が返ってくる、ここの鶴おばあちゃんです。
15年前に初めて鶴見台で撮影した6月のタンチョウと14年前2月に初めて撮影した鶴見台冬季のタンチョウのフォト回想録。鶴おばあちゃんと呼ばれた渡辺トメおばあちゃんのフォト伝記・写真集。朝日新聞デジタルの今年で三回忌の渡辺トメさんの訃報記事でした。
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: 伊藤重行様
拙ブログにコメントをありがとうございます。
フイリップス殿下の英国王室にも届けられた名著の
編纂様からの直接コメントをいただきまして光栄です。
コロナ禍で15年間続けた北海道旅行が残念な年ですが
長年訪問した「ツルになった おばあちゃん」の思い出の地
鶴見台に早く行ける環境になることを楽しみにしています。
ありがとうございました。
投稿: ケン | 2021年7月 5日 (月) 11:56
「ケンさんの探鳥記」を発見しました。拙者の編纂した『ツルになったおばあちゃん』が出ていてビックリしました。トメさんは鶴居村の宝であり、日本の宝です。あの本は来村したフイリップス殿下の英国王室にも届けています。拙者にとってトメさんは永遠です。伊藤重行
投稿: 伊藤重行 | 2021年7月 4日 (日) 16:34
: Masami 「Saitou」様
いつもお世話になっております。今回はかなり昔の貴重な釧路の体験コメントをありがとうございます。
2007年5月に発刊された鶴見台の渡辺トメさんの物語「ツルになった おばあちゃん」の本の「ツルに出会うことになったの巻」9頁に、40年前に下節理小学校のグランドで鶴に餌巻きしていたが生徒が二人になり閉校になった後に、餌巻きの小学生の代わりにツルおばあちゃんが鶴見台で餌巻きを始めた苦労話と重なる部分がありましたので感動しています。
ありがとうございました。
投稿: ケン | 2021年4月17日 (土) 11:06
昭和48年釧路のユースホステルから、毎日駅から鶴居村か阿寒町 へ、駅のちかで、おにぎりかって、バスで鶴居村役場でおりて、15分歩くと、伊藤さん、すぐみなみに、2畳位の掘っ建てごやにつつく。タンチョウは10羽ー20羽14時に伊藤サンガエ差撒くと少しふえる。お前たちがいるとしずかに、タンチョウがえさが、くえない、かえれといわれる、かえれないので、小屋
の中からさっえいする。たしか、鶴見台はまだなく、近くのしよう学校で子供👶がえさまきしてた。昭和49年に廃校になり
、おばあちゃんの家のまえでまくようになり、音羽橋はさっえいしやはいません。すこしたつと。民宿ができるのでそれからですね。バスのはなしにもどります。正月休みでバスはやすみ。阿寒町へさっえいにいってました。あれから随分たちました。
投稿: Masami 「Saitou」 | 2021年4月16日 (金) 03:24