古いニュース・弘前城公園の花筏
最近は老後崩壊の風が吹き始め年々老活やら終活の未来の望みが薄くなり、現状はコロナ禍の巣籠でホームステイの現在は生活の楽しみが乏しくなり、鳥撮り16年・ブログ開設から15年の積み重ねにより過去の記録だけは豊富にある。このブログも三千六百回以上更新して、写真は四万七千枚以上公開したが過去はあまり思い出せないが後悔はしていない。PPK100(ピンピン生きて100でコロリと逝く)目指して、余生の波に身を任せ、漂いながら勝手気ままに老活の海を航海してみたい気がする。天声人語ならぬ独断と偏見人語の夢なのか現(うつつ)なのか。
さて、20年前の二昔の2001年6月退任後の翌年2002年から2005年までの4年間は桜の名木と名所撮影の「桜活」が趣味であった。2005年3月から野鳥撮影の「鳥活」に宗旨替えした年でもあるが桜への未練が残り、2005年5月4、5,6日と「みちのくの三大桜名所」青森県弘前市の弘前公園、秋田県仙北市の角館、岩手県北上市の展勝地の3ヶ所のうち角館のサクラと弘前城公園のサクラ観光旅行へ出発した。先日は角館武家屋敷のシダレザクラと桧木内川堤のソメイヨシノ桜のトンネルをNHKの古いニュースのように、16年前にタイムスリップしたブログを公開したが今回は弘前城公園しか見られない花筏の特集です。桜が北海道へ北上する本州最後の桜名所、日本三大桜名所(吉野山の山桜・高遠城址公園のタカトウコヒガンザクラ)と弘前城公園のソメイヨシノ。弘前城は日本に現存する12天守の一つ、現在は天守下の膨らんだ石垣の修理で天守閣は2014年から曳屋で移動されていますが、修理移動前は赤い下乗橋と天守閣と🌸の撮影が名所となっていた弘前城公園桜撮影の名場面は過去のブログで公開済なので今回は散った桜の花筏にスポットを当てました。弘前城の濠は三方に三重に巡らされ、潔く桜が散り始めると一面が花筏で染まる有名な外濠と内濠、ボート遊びに興じる人々と緩やかに流れる花筏が見られる西側の西濠で囲まれております。外堀通りにある「津軽藩ねぷた村」の駐車場に車を入れての観光のはじまりでした。
過去の記憶を顧みて、現在のコロナ禍を生き抜き、緊急地震速報に身構え未来を想い、時空を超えた旅に思いを馳せる。
過去の記憶を顧みて、現在のコロナ禍を生き抜き、緊急地震速報に身構え未来を想い、時空を超えた旅に思いを馳せる。
撮影日2005年5月4・5・6日
外濠に面した津軽藩ねぷた村の駐車場に車をとめて、外濠の🌸吹雪の中を歩きながら外濠を埋める桜の畳なのか絨毯なのか花筏を見て現(うつつ)を抜かす。
外濠の花筏、サクラ色の絨毯のような花筏は満開後数日間しか見られない貴重な瞬間、横浜から角館武家屋敷経由でのみちのく観光の絶景を満喫したのがほんの数年前のように思える。名物の花筏でボケたのか?
桜吹雪の散り際を楽しむ観光客と外堀通りの花筏
外濠を埋める夕方の花筏
夜間の花筏 D2Xの内蔵ストロボでは光量不足のようです。
古木の桜と昼間の外堀通りの花筏
外濠の水面に映る桜と春風に舞い散る桜と花筏
外堀通りを桜の散り際と花筏を愛でながら観光する
外濠の1/2に花筏と堰
外濠の行灯と花筏
散る桜 散った桜は 花筏
ゆったり流れる外濠の花筏、花の命は短く、時の流れは早い
下乗橋からの曳屋前の天守と石垣の花筏
内濠、奥に下乗橋、右に曳家前の天守、石垣の下に花筏
夜間の下乗橋と花筏
早朝の石垣の下で内濠を清掃をするボートと花筏、白鳥が餌を求めて近づく
西濠の遊覧ボートと花筏
西濠の花筏はボートの波に七変化
内濠の花筏は、まだ、まだら模様
内濠の花筏は春風に押されてどこえ行く
内濠の花筏は流れに添って山盛り、花盛もありのようです。
16年前の弘前城公園でしか見られない名物の花筏、時空の旅は如何でしたか。天守が元の石垣の上に戻る2023年以降の花筏の時季が待ち望まれます。
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