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2021年6月 5日 (土)

湯沢から鎌倉へ結の蔵

 11年前に一番下の孫・小2(7歳)翔君と桜が咲き始めた春休みに臨済宗・鎌倉五山(建長寺・円覚寺・壽福寺・浄智寺・浄妙寺)をお参りした時の今小路にある鎌倉五山第三位壽福寺(じゅふくじ)の11年前の山門の写真です。この時は今小路の「結の蔵」の存在は知りませんでした。

今回の主題は日本酒が飲めない、25歳からビールを飲み始めてビール一辺倒の一生と思われる小生が飲めない日本酒の酒蔵に縁があったお話です。
このブログが縁でITとCADに精通しているコンサルタントのハトコとメル友になる、
祖父同士が兄弟で、親同士が従兄弟(いとこ)で自分とは六等身の縁戚関係になる「再従兄弟:はとこ」です。彼は廃業する前までの秋田県湯沢市の高久酒造の銘酒「小野之里」を取り寄せて愛飲していたそうです。この高久酒造酒蔵が古都鎌倉に「結の蔵」として17年前に移築再生された資料を一年前に頂いていました。
今回は孫の練習ドライブに鎌倉・今小路の建造物は寿福寺しか記憶にないのでナビにここを運転練習の目的地にした。

 

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大学一年生(18歳)となり春休みに運転免許をとりましたので、私の七人乗りのホンダ・スパーダで翔君の運転で初心者マークを付けて鎌倉までドライブをして来ました。運転席に身長180cmの新米ドライバー、隣の助手席に運転歴60年のベテラン爺さんです。久し振りに爺としての孫の面倒をみました。私の祖父は明治10年に本籍地の秋田県湯沢で誕生して、私が荒川区三河島で誕生した6年前に他界しておりますので祖父を知りません。

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普段貼っている高齢者マークの代わりに初心者マークを前後に貼ってのドライブです。(運転席に少し覗いているのは高齢者マーク)

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6月2日、家から小一時間で約30kmの今小路の寿福寺に到着、当日の寿福寺総門は団体の観光客(見学ツアー?)で蜜でした。門前にある駐車場に駐車して本日の目的地の結の蔵へ徒歩で見学へ、今小路を鎌倉駅方面に向かって歩き出す。

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ここは巽神社 寿福寺から200m 鎌倉駅まで400m

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巽神社前の今小路の案内表示、鎌倉駅方向へ⇨結の蔵へ約30m

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今小路の隣は横須賀線、四輪車通行不能の今小路の歩行者と二輪の踏切

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今小路踏切から鎌倉駅ホーム方面、新宿湘南ライン上下線の待機線にNEX車輛

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今小路に面してここが結の蔵、説明板が見える、重そうな土蔵の戸前が開いてある

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結の蔵の民家再生奨励賞の下に由来の説明板、酒蔵の今は賃貸住宅

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結(ゆい)とは、主に小さな集落や自治単位における共同作業の制度。一人で行うには多大な費用と期間、そして労力が必要な作業を、集落の住民総出で助け合い、協力し合う相互扶助の精神で成り立っている。(ウイキペディアの結の説明)

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結の蔵正面の右側は「0設計室」の移築再生設計事務所 詳しくは下記

URL:http://www.o-sekkei.com/

タイトル:一級建築士事務所 O設計室:民家再生・新築住宅 (o-sekkei.com)

 

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左側はファブラボ鎌倉、21世紀型の学習環境を促進する実験工房

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今小路を観光客を乗せた人力車が通る鎌倉の風景に馴染む結の蔵

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今小路より路地に入り、結の蔵左側面の写真

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結の蔵左側面二階の扉 結の蔵移築再生の一部始終 👇

「結の蔵、民家移築再生はこうして行われた 高久酒造酒蔵」

www.o-sekkei.com/works/photos/04_yuinokura/yuinokura.html

結の蔵は元々秋田県湯沢市の銘酒「小野之里」で著名な高久(たかく)酒造の酒蔵であった。移築前の蔵から発見された棟札には明治21年と記されており大正14年の湯沢市大火や地震・風雪に1世紀以上耐えてきた蔵である。2尺(60cm)間隔に並んだ5寸5分(17cm)角の栗や桧の柱、長さが10間(18m)もある1本物の杉丸太の棟木など構造は雄大であり状態も良かった。さらに大火から蔵を守った厚さ1尺(30cm)の土壁や3か所の巨大な戸前(蔵戸)の仕上げも見事であった。座敷になっていた部分に使われていた総漆塗りの格子戸も精緻なデザインで魅力的だった。

昨年7月北海道の帰路に湯沢図書館でコピーしてきた湯沢の酒造小史

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湯沢図書館の収蔵本。 現在、湯沢市には、日本酒をはじめとした酒類を製造する蔵元が4社あります。全国的に酒の消費が減り、酒蔵の数も年々減少しています。湯沢市も例外ではありません。かつて、最盛期には20を超える銘柄が湯沢の繁華街でも楽しめたものです。今もなお、先人から受け継がれた味を守りながらも、時代を先行する美酒を醸し続ける蔵元です。両関酒造「両関」、秋田銘醸「美酒爛漫」、(株)木村酒造「福小町」、秋田県醗酵工業「一滴千両」の四社です。

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ゆざわの 酒造小史 1頁目は藩政時代、2頁に明治時代、3頁に大正時代、4頁に昭和(現代)の酒造の小史、この2頁の明治時代に高久多兵衛(高砂)は髙久家の本流で「多兵衛」は長男家が継承する屋号でした。高久多吉(小野之里)は分家で次男家の屋号です。40年以上昔に生前の父の指示で湯沢市の東山寺に参拝して本家を訪問した時には酒造業は廃業しておりましたが分家多吉の「小野之里」は繁盛している様子でした。

湯沢図書館で閲覧した「湯沢市史」の第二章 酒造 の685頁に「明治七年湯沢町柳町の高久多吉が母方である帯屋市兵衛酒造店を継ぎ小野之里を売出し名声たちまち遠近にきこえ、年を逐うて需要が殖えていった。」の記述後に
「同年前森町伊藤仁
右衛門が酒造店を開業し両関を出した」の記述もありました。

孫の運転練習のコースは、横横高速を朝比奈ICで下りて鎌倉霊園の曲がりくねった上り坂を通り、鶴ヶ岡八幡宮で若宮大路を左折して、二の鳥居前で若宮大路を右折して新米ドライバーに難しいすれ違いがやっとの狭い道に入り、小町通を横切り、鎌倉駅の手前の横須賀線踏切を渡り今小路に出て右折して結の蔵を素通りしてから北条政子・実朝の墓がある鎌倉五山第三位の寿福寺に無事に到着した。今小路を徒歩で鎌倉駅方面に歩き寿福寺から3~4分約250mの結の蔵へ、移築再生した酒蔵は、今小路に堂々と構える遠い親戚の高久酒造の酒蔵でした。
帰路は鶴岡八幡宮の横を通り、一般道の走り方を教えて45分で家路に無事着き爺としての役目を果たしました。

書き忘れました、酒好きだった父親への供養に、苦手な日本酒を死ぬまでに一度は飲みたいと思います。それも秋田県湯沢の日本酒を!

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