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2021年8月15日 (日)

物心が付いた頃の76年前の敗戦

 世間では「終戦記念日とか終戦の日」と呼ばれている今日の8月15日は私にとっては忘れもしない「敗戦の日」です。正午から1分間の黙禱の日です。
東京五輪のTV視聴率で開会式の次に視聴率が高いと思われた野球では金・銀メダルを争う日米決戦では日本が勝利して金メダルを獲得しました。この戦いの勝利投手は栗林、敗戦投手はマルティネス。あらゆる分野の戦いや試合では勝敗が付きものですが勝てば勝利、負ければ敗戦です、戦いには勝敗が付き物です、自然に終わるような終戦とは言いません。

1945年(昭和20年)8月15日は戦勝した連合国のポッダム宣言を受諾して無条件降伏をした敗戦の日です。日本政府はこの日を終戦の日としていますが戦争が自然に終わった訳ではなく、敗戦した日です。

あれから76年も経ち日本は高齢化が進みました。2020年総務省統計局が発表した「高齢者の人口」は、我が国の総人口(2020年9月15日現在推計)は、前年に比べ29万人減少している一方、65歳以上の高齢者(以下「高齢者」といいます。)人口は、3617万人と、前年(3587万人)に比べ30万人増加し、過去最多となりました。総人口に占める割合は28.7%と、前年(28.4%)に比べ0.3ポイント上昇し、過去最高となりました。男女別にみると、男性は1573万人(男性人口の25.7%)、女性は2044万人(女性人口の31.6%)と、女性が男性より471万人多くなっています。人口性比(女性100人に対する男性の数)をみると、15歳未満では105.0、15~64歳では102.7と男性が多いのに対し、65歳以上では77.0と女性が多くなっています。年齢階級別にみると、いわゆる「団塊の世代」(1947年~1949年生まれ)を含む70歳以上人口は2791万人(総人口の22.2%)で、前年に比べ、78万人増(0.7ポイント上昇)となりました。また、75歳以上人口は1871万人(同14.9%)で、前年に比べ、24万人増(0.3ポイント上昇)、80歳以上人口は1160万人(同9.2%)で、36万人増(0.3ポイント上昇)となりました。90歳以上の人口は男女計 244万人(総人口比1・9%)男62万人(総人口の1・0%)女182万人、95歳以上(敗戦時は20歳以上で太平洋戦争の実体験者と思われる年齢)男女計60万人(同0・5%)男11万人(0・2%)。物心が付くのは5歳頃からと言われるが当時5歳だった人達は80歳以上なり、太平洋戦争の実体験者の男は11万人の総人口の0・2%となりました。太平洋戦争を実体験していない世代は99%を占める時代となり戦争も遠い話となりましたが物心の付き始めた5歳の記憶は戦争が自然に終わった終戦ではなく、戦争に明らかに負けた敗戦の記憶です。ソ連が参戦してきた8月9日から満州国牡丹江市の開拓村から昭和20年12月に帰国するまでの4ヵ月間の艱難辛苦のの逃避行は物心が付いた5歳の引揚者の脳裏に未だに焼き付いています。

このブログも2006年6月1日の開始から15年経ちました、2006年8月15日に撮影したのは井の頭公園近くの水溜でツミの若鳥水浴びでした。




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終戦記念日の今日は三鷹市の街宣カーが正午からの黙祷を呼びかけていたので、正午の時報と伴に約15名の中年カメラマンは全員がその場で黙祷を捧げた、日本人の常識と大和魂はここでも生きていると感じた。(2006年8月16日のブログより)
2020年8月15日のブログ「敗戦記念日に思い出の廃線駅」 

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増毛駅
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増毛駅売店

 大東亜戦争(昭和20年の敗戦後の呼称は太平洋戦争および日中戦争)の戦中に満州国建国の国策に応じて昭和19年に4歳の時に父母と3歳の妹と家族4人で満州国に渡り、敗戦後に幾多の生死をともなう苦難を重ねながら奇跡的にも一家4人で昭和20年12月に博多港に引揚者として故国の土を踏んだのは5歳だった75年前である。物心が付いた5歳から時は流れ傘寿の真夏を迎えた。
8月15日は私にとっては敗戦記念日です。1945年8月9日に関東軍と軍属が逃げ去った後の黒龍江省牡丹江市で突然参戦してきたソ連軍を初めて見たのが5歳の時である、一般の日本人全員が赤い布切れを胸に付けられソ連軍に降服した証とされた、この日から親に足手まといになるから現地に置いていかれた同世代の多くの子供が中国残留孤児になった。この日を終戦記念日と言い換えているが満州で敗戦を迎えたものにとっては日本が連合国に降伏した敗戦日そのものである、この日から棄民(捨てられた民)となり、牡丹江から母に連れられて屋根のない貨車での移動や徒歩で広大な大陸を横断して朝鮮半島の釜山港に命辛々到着して、奇跡的にここで軍隊に召集されていた父に再会して、一家四人で引き揚げ船で博多港に入港してやっと日本の地を踏んだのは4ヶ月後の12月であった。今日は敗戦記念日。
お盆の日に父母の墓前で5歳の幼稚な記憶が甦るとともに感謝のお墓参り。

(過去の8月15日のブログより)


 

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