漁夫歌人の和歌とまじない歌
渥美半島に鷹の渡りを撮影に来たがタカの撮影よりも伊良湖岬の観光に興味が湧いた一週間であった。道の駅伊良湖クリスタルポルトの駐車場から伊良湖灯台へフォト散歩の際に「漁夫歌人 糟屋磯丸」の銅像と人物像の由緒を読んで糟屋磯丸の足跡を三ヵ所を歩いた。まず始めは伊良湖岬の道の駅駐車場から伊良湖岬灯台へ、次に伊良湖シーサイドゴルフ俱楽部近くの「磯丸園地」へ、三ヵ所目は磯丸の祠を祀る伊良湖神社へのフォト散歩であった。
私は俳句や川柳は多少の理解出来るが日本文学の和歌や万葉集にはまったくの門外漢であるが磯丸のまじない歌や和歌にはなにか心に響くものがあった。
伊良湖岬の漁師歌人 糟屋磯丸は、 明和元年(1764)5月3日~嘉永元年(1848)5月3日。江戸時代末期の歌人。愛知県渥美半島の先端、伊良湖(いらご)の漁師であった磯丸は、母の病気が治るようにと毎日お参りしていた伊良湖明神(神社)で和歌を知る。既に30代半ばであったが、このころはまだ文字の読み書きができなかった。「無筆の歌よみ」と呼ばれたのはそのためである。 純真・誠実な人柄ゆえの飾らず素朴な歌は人々に愛された。また、磯丸の祈りが明神様に通じてか、長い間重い病気で苦しんでいた母親の病気が全快し、さらには伊良湖の大火事の際、磯丸の家だけ焼けなかった不思議も重なり、図らずも磯丸は人々から神仏のようにあがめられることとなる。こうして、磯丸に歌を詠んでもらえば災難から救われるという噂が立つようになり、病気の治る歌をはじめ、安産、家内安全、商売繁盛、大漁祈願、魔よけ、虫よけなどの「まじないの歌」を数多く求められて詠んでいる。(愛知県総合教育センター糟屋磯丸の資料より)
道の駅伊良湖クリスタルポルトの駐車場から「いのりの磯道」をフォト散歩
恋路が浜1・1km、伊良湖岬灯台0・6kmの観光案内
糟屋磯丸の銅像座像と由来の石碑、人物像の由来など
糟屋磯丸の人物像を紹介する由来書
人物絵の部分を拡大
石畳の祈りの磯道両側の石に磯丸の和歌が刻まれている、左は改装中の伊勢湾海上交通センター
改装中の伊勢湾海上交通センター、初めて来た時はこの屋上から鷹の渡りを撮影した記憶が蘇る
いのりの磯道
道の駅駐車場から600mに伊良湖岬灯台、日本の灯台50選の伊良湖岬に映える白亜の灯台、磯丸の歌碑がロマンチックに並ぶ
恋愛成就のまじない歌
病を治すまじない歌
家内安全のまじない歌
伊良湖遊歩道(いのりの道)磯丸歌碑群の磯丸の和歌
歌碑群の次は伊良湖シーサイドゴルフ俱楽部近くの磯丸園地へ
芭蕉の句碑の近く、伊良湖シーサイドゴルフ俱楽部ゴルフ場の西、国道R259から宮下信号から少し北に入った所に漁夫歌人糟谷磯丸の園地があります。
磯丸園地入口の漁夫歌人 糟屋磯丸の来歴、ここには「夏ころもきてもみよかしいらこ崎 すずしき浪のよるの月かげ」と刻まれた歌碑が設けられています
磯丸園地の石碑「夏ころもきてもみよかしいらこ崎 すずしき浪のよるの月かげ」と刻まれた歌碑があります。後ろのホテルは伊良湖シーパーク&スパ
伊良湖神社は糟屋磯丸の偉業を知らぬ時に参拝した記憶があったのでR259の伊良湖神社北の信号からあまり人の訪れのない伊良湖神社に辿り着くことが出来た。
伊良湖神社境内の磯丸を霊神として祀る祠と石碑
伊良湖神社境内にある磯丸霊神祠(いそまるれいじんほこら)右と糟谷磯丸旧里碑(かすやいそまるきゅうりひ)左
磯丸霊神と呼ばれるようになって生家の庭に祀られていた祠が現在は、磯丸霊神祠が伊良湖神社境内に祀られている
伊良湖神社境内にある磯丸霊神祠
伊良湖岬の漁夫歌人の糟屋磯丸の偉大な足跡を3ヵ所のフォト散歩でした。
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