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2021年12月

2021年12月23日 (木)

篠原八幡神社冬至の日

 真か嘘か800数十年の歴史のある地元の郷社である篠原八幡神社は日本の神社100選にも選ばれている由緒ある神社です。冬至の日の出が拝殿の神鏡に入ることでも有名です。12月22日の日の出とともに鳥居の中にオレンジ色の太陽が顔を出す。この鳥居から入射した光が拝殿の御神体の鏡に入り光輝く冬至の日。・・・のはずだったが2015年の冬至から当時の篠原八幡神社の宮司が代替わりしてから、冬至の日に神鏡に入光した陽光は拝めなくなり、拝殿の閉じたままのガラス戸に冬至の日の出が映るようになった。ガラス戸に映る陽光の遥拝となった。
12月22日冬至の日、新横浜の日の出は6時:47分。八幡山に鎮座する篠原神社の冬至の日の出を拝める時は、6:53から7時まで1分毎に篠原神社の鳥居に入る日の出と拝殿に映る冬至の陽光と境内の光景です。

日の出前の篠原神社拝殿
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日の出1分前(6:46)寒々している篠原神社
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日の出1分前の鳥居の方向、東の空が明るくなってきた、八幡山の丘の上に在る篠原神社の日の出は・・・
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鳥居に日の出の瞬間6:53、拝殿への入光を振り返り見る人
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6:53 閉じたままの拝殿のガラス戸に冬至の日の出が反射
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6:54鳥居から入る日の出を撮る人、拝殿への入光を見る人

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6:55鳥居からの冬至の光が参道を走る
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6:56 鳥居からの光が益々明るくなるが逆光で眩しい
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6:56 拝殿の方向は順光で明るく撮れるが鳥居の太陽は逆光
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6:57 眩しい冬至の日の出、カメラにも逆光の証が写る
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6:57 拝殿の撮影は順光、光はガラス戸から屋根の瓦に
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6:57 カメラも逆光が眩しく写る
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6:58 鳥居の中からの遥拝
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6:58 明るくなった拝殿の参拝者も増える
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6:59 鳥居から入る冬至の日の出が光り輝く
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7:00 冬至の日の出ショーが終演に近づく
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7:00 拝殿への光線
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鳥居の脇に在る冬至の日の石碑

この日は衰え始めた身体に融通が効くようにと願って、冬至に湯治の思いで柚子湯に入り風邪を引かないように、腰痛が治るように融通が利くように語呂合わせの縁起担ぎです。冬至に食べるカボチャは子供の時のトラウマ(母親が天婦羅で事故る)なので普段から敬遠しています。冬至に「ん」のつく食べ物を食べると運を呼び込めるという縁起担ぎがあるそうです、うどん・カンテン・ナンキン南瓜など。

 

2021年12月21日 (火)

空飛ぶ漁師の英名はオスプレイ

 5~60年前の昔、怪鳥と呼ばれた超音速旅客機(SST)と言えば世界初の超音速旅客機「Concorde コンコルド」を思い出す。10年位前から怪鳥と呼ばれるのは沖縄の米軍基地などで地元住民が配備反対運動を起こした事故率の高い怖い思いを残した米軍の垂直離着陸機MV-22 「Osprey オスプレイ」と陸上自衛隊に配備されたV-22オスプレイ。自衛隊では木更津駐屯地で飛行訓練を行っている。配備された目的は災害時などに主として迅速に島嶼に輸送する任務。V-22オスプレイは、回転翼機と固定翼機の特徴を併せ持ち、固定翼機が離着陸するための飛行場がない離島においても離着陸が可能です。 また、陸上自衛隊が現在保有している輸送ヘリ(CH-47JA)に比べ、最大速度が約2倍、航続距離及び飛行高度が約3倍と極めて高い性能を有しています。本来の配置先は佐賀空港が最適と考えていますが、佐賀空港の施設整備が整うまでの間の暫定的な配置として、木更津駐屯地に部隊を配置しています。「2020年8月 陸上自衛隊(V-22オスプレイの当面の運用について)防衛庁・自衛隊の資料より一部抜粋・編集」
本日のタイトルは英名オスプレイと言われる魚鷹(ミサゴ)の飛び込み狩りと空中の魚運びの様子です。
ミサゴ(漢字名 魚鷹、鶚、英名Osprey オスプレイ)は、タカ目ミサゴ科ミサゴ属に分類される鳥類。魚を好んで食べることから空飛ぶ漁師とも呼ばれる 。

相模川の空飛ぶ漁師ミサゴの飛び込みから空輸までの1分間

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ミサゴがドボンと飛び込んだあとに水中を探っている様子

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魚を鋭い爪で捕らえて引き上げるようです(水中の推定)

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水面から空中へ濡れた翼を思い切り羽ばたく

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大根を引き抜くように魚を持って飛び上がる瞬間

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鯔(ボラ)のような魚の腹を見せて引き上げた

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ミサゴ♂の全長から推定35cmのボラの捕獲に成功

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片足で運ぶ力持ち 怪鳥オスプレイがロープで荷物を吊り下げて飛ぶ空中空輸を想像

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まだ暴れる魚から水滴が飛び散る、オスプレイの空中空輸

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対岸の草むらの上をボラ運び

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対岸から水門の上を超える急上昇

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片足持ちで水門の上を超える

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両足で抱えて水門の上を越えてからUターンをしてきた

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片足持ちに切り替えた

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ミサゴ♂とすれば全長54cm、魚の全長は約35cm相当

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塒(ねぐら)に向かうのか?

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両足持ち空中持ち運びのトリム、塒なのかそれとも採食場所へ

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ドボンと急降下の飛び込みから1分間80枚の連写から空飛ぶ漁師ミサゴの狩りと空輸でした。

撮影日2011年11月25日、撮影地はこの日に虎斑木菟(トラフズク)を撮影した相模一之宮寒川神社周辺の相模川

 

 

2021年12月17日 (金)

カワセミの平均寿命は二年

 動物の平均寿命と最高齢・長寿情報を伝える「動物の寿命図鑑」によれば、カワセミの寿命は長寿情報では21年、野生のカワセミは7年、最初の数ヶ月で約半分が命を落としてしまうため、それらを考慮にいれると寿命は2年程度といわれる。
撮影2005年9月10~15日 晩節の三番子の給餌
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餌を強請る9月に巣立ちしたカワセミ三番子の幼鳥
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三番子への給餌
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池の中の笹薮の給餌
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左端は餌捕りの練習で笹の葉を咥えている
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巣立ち三番子にオイカワを給餌するカワセミの親
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カワセミ三番子(三回目の繁殖)の魚の頭を先に給餌する
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給餌を待つ巣立ち幼鳥、この年の三番子は四羽の記憶があるが?
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池周辺に巣立ち幼鳥のいる処へ給餌する
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巣立ち雛に順番に、公平に、給餌する右端の親♂、親は一生懸命に子育てしていました。

人間の平均寿命と比べると空飛ぶ宝石と言われるカワセミの平均寿命は約2年とは儚(はかない)ですね。美鳥薄命でしょうか。3月から8月にかけて年に3回も繁殖するカワセミ。巣立ち直後は親鳥が頻繁に給餌しているが巣立ち後は増加傾向と思われていましたが野生の環境は厳しく、巣立ち幼鳥の約半数が成鳥まで成長しない運命でした。

2021年12月11日 (土)

江の島断崖のハヤブサ

 16年前に野鳥撮影入門した時の古い写真です。今年の5月4日「16年前の江の島ハヤブサ初の繁殖」ブログの二話目にあたります。16年前の2005年5月から七ヶ月後の12月9日に撮影した古(いにしえ)の江の島断崖のハヤブサです。この当時はブログを開設していませんので初ブログなのか、在庫のブログなのか何方ともいえます。

江の島・断崖絶壁の巣穴で繁殖するハヤブサの子育てを最初に撮影したのは野鳥撮影をデビューした2005年5月からでした。この年の3月に日本野鳥の会に入会してから、ハヤブサが営巣する岸壁方向へと荒波をよけながら磯伝いに岩礁を上ったり下りたりして、差し迫る波のタイミングを見計らって波を避けながら、ハヤブサが営巣する岩場のポイントまで進むのに一苦労でした。野鳥撮影デビューから3年間も通った危険なハヤブサ撮影地の遠い昔の記録です。磯渡の江の島のハヤブサ撮影を卒業してからは信州・越後・北海道などのハヤブサ撮影に切り替えたが初めてのハヤブサ撮影地の忘れ難い思い出となっている回想フォト録です。

撮影日2005年12月9日

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断崖の枯れ木、ハヤブサやトビなどの止まり木

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獲物の隠し場所

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飛び出し

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お気に入りの止まり木

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断崖絶壁からの飛び出し

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爪を出して狩りの飛翔

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小鳥を捕獲したようです

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お気に入りの止まり木へ

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飛び出し

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江ノ島上空の飛翔

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絶壁の巣穴

16年前の12月に江の島断崖絶壁に営巣していたハヤブサを当時の解像度の落ちるD2Xと640レンズで撮影、重たい三脚を担いでの冒険的な撮影でした。

2021年12月 5日 (日)

一写一会のシャンポ(写歩)

 過去にこのブログではフォト散歩と称していたが、カメラを持ちぶらぶら歩いての散歩を シャンポ(写歩)と名付けてみました。

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薬師池のオシドリ♂

シャンポ(写歩)をはじめて八十歳を過ぎても毎日が健康で元気に楽しく過ごすことが日課の目標になったと思えるようなった。人生100年時代を迎えて元気でいる今頃の私の人生は散歩のようなものだろうか。
広辞苑第七版に散歩は「気晴らしや健康のためにぶらぶら歩くこと。散策。」とあり、似たような行動の徘徊は「どこともなく歩き回ること。ぶらつくこと」とあり、どちらも同じようなことであるが徘徊には「徘徊症」の項目があり、どこともなく歩き回る症状。統合失調症。認知症。などが広辞苑にある。
あちこち徘徊しながらシャンポすることもあるが、シャンポしながらあちこち徘徊することもある。被写体を見つけながらぶらぶら歩くシャンポ(写歩)は只の散歩や徘徊とは違うのである。

「散歩」に着目したのは、小学5年から25歳まで京王線の国領駅近くの都営住宅に住んでいた地元の馴染により、東京都調布市国領町出身の愛称純ちゃん”無責任男”とか”Mrテキトー”こと高田純次の冠番組・テレビ朝日・月曜~金曜の9:55~10:25に放送されている紀行・情報・通販の番組「じゅん散歩、一歩一会」を見る機会が多いからである。番組後半のMC新山千春と愛華みれ のテレビショッピングコーナーも興味があります。

この散歩シリーズ番組は高田純次で第三弾であり、歴代散歩人の初代は故地井武男さんで私があちこち野鳥撮影を始めた頃「ちい散歩」の番組の中で「公園などでブランコに乗る姿」を今でも懐かしく思い出します。当時は同世代の好きな俳優さんでしたが70歳の若さで急死されて「ちい散歩」は惜しまれながら終わりました。二代目の散歩シリーズは自分より3歳年上の地元神奈川出身の俳優・シンガーソングライター・タレントの若大将こと加山雄三の「若大将のゆうゆう散歩」でした。「ちい散歩」は庶民的な感じで好感を持てたが若大将のゆうゆう散歩は上から目線の雰囲気がした三年半であったが高田純次の「じゅん散歩」になってから元の散歩番組の雰囲気に戻った気がします。

 

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一写一会のシャンポ(写歩)逆光の薬師池

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薬師池公園の標柱付近から浮島を写した時の紅葉

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右端はカワセミ撮影のカメラマン

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やくし茶屋

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やくし茶屋付近から太鼓橋を写す

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紅葉の旧荻野家住宅(東京都指定有形文化財)

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薬医門の紅葉

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入園してきた太鼓橋方面、昔は椿の花とカワセミのポイント

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藤棚とやくし売店、売店前で地元の野菜も販売している

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藤棚前の薬師池の紅葉、モミジとカワセミのポイント

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薬師池の紅葉とオシドリと水鳥

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薬師池の紅葉のオシドリ♂

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薬師池のオシドリ♂

紅葉の薬師池のシャンポ(写歩)でした。

2021年12月 1日 (水)

温故知新のモミカワ

 町田薬師池公園 四季彩の杜は、1982年「新東京百景」、1998年には「東京都指定名勝」に指定、2007年に「日本の歴史公園100選」に選定されました。江戸時代の古民家などがあります。園内の案内板によると薬師池は戦国時代の1577年滝山城主 北条氏照の支配時代からの由来があります。

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紅葉の時期に薬師池に初めて訪れたのは野鳥撮影を始めた16年前の2005年12月3日に撮影した紅葉とカワセミの写真がありました。これを自分史的には「温故知新の紅葉と翡翠」を温故知新のモミカワと洒落てみました。温故知新は「過去から現在を知る」「歴史や経験から学ぶ」過去から学べることは多く、このような考え方が温故知新で自分史にも多数の出来事があります。
この時期の薬師池はモミカワの最盛期を思い出した。モミカワ
とはモミジxカワセミ=通称モミカワ 薬師池の売店がある藤棚付近が昔の撮影場所であった。

2005年12月3日撮影、ブログ開始は2006年6月1日、当時のカメラはニコンD2X、レンズは600mmF4

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2005年12月3日の薬師池の紅葉

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以上の8枚が2005年12月3日撮影の薬師池のモミジとカワセミ。この時は紅葉の木とカワセミのツーショットは一枚もありませんでした。

カワセミの寿命は、Webでは平均約2年という記述も多くみかけます。最初の数ヶ月で約半分が命を落としてしまうため、それらを考慮にいれると2年程度になるそうです。野生で7年の記録もありましたがこれは稀な例と思われます。

現在の薬師池のカワセミはそれから何代目なのか知る由もありませんが興味があります。

2021年11月29日に撮影した薬師池のモミジとカワセミです。

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強い光の中の売店前藤棚付近の紅葉

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目の前の紅葉に飛んで来て池面を凝視、600mm手持ち撮影

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まだ雌雄の判別がわかりません、カメラマンが大勢駆けつける

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150~600レンズを600から150に縮小して紅葉を入れる

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光の強い対岸の紅葉の中に飛ばれたのを撮影

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飛んで行った藤棚の前の紅葉に移動して逆光の中で撮影

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トリム まだ雌雄の区別が分かりません

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ようやく逆光の中で嘴の下が赤く見えるので♀のようです。11:16に紅葉の枝に飛んで来てから一度は対岸の藤棚の前に移動するも11:19までの3分間、一度も池に飛び込まず、やくし茶屋の方向に飛び去って行った。

16年前と今回のモミカワ撮影の変化はモミジの中のカワセミが主役でした。タイトルの温故知新のモミカワはチョット大袈裟だったかな?

 

 

 

 

 

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