続日本100名城・米子城の攻城
米子城は「日本100名城」ではありませんが「続日本100名城」です。ウィキペディアによると、続日本100名城(ぞくにほん100めいじょう)は、数ある日本の城のうち財団法人日本城郭協会が2017年に定めた名城の一覧である。同協会が2017年に迎える設立50周年の記念事業の一環として、2016年に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募し、2017年4月6日の「城の日」に発表。2006年に発表された日本100名城に続くものとして選定を求める声があった。選定は約500城の候補から6人の専門家が行い、前回100選で史実に即して復元されていないとして落選した城も選定された。(ウィキペディア 続日本100名城)
鳥取県の「続日本100名城」の米子城跡を攻城して来ました。米子城は、山名宗之により砦として築かれたのが始まりで、中村一忠が慶長七年(1602)に本格的な城を築いた。石垣や礎石などは城郭の形態をよくとどめていることや米子城に関する文献・絵図資料なども数多く残っていることから 平成十八年に国史跡に指定された。
米子市教育委員会発行 国指定史跡 米子城跡より転載
撮影日5月16日
山頂の本丸へ15分の案内図を見て、二倍の30分間を想定する
登山口に杖を発見して借用する、脚力の衰えを自覚、8:45
不揃いの石段を上り始める、歩幅は狭く足も上がらずの鈍足
標識が至る所にあり、目指す本丸へ攻城する進撃の気持ち
石垣が現れる 久しぶりの登山は足の疲労が始まる、ご苦労さん
崩れた石段、体幹が弱くなっているのでふらつくと危険個所
高石垣を目指す上りの石段、気持ちと脚力が一致せず
天守台の石垣が目前に現れる
番所跡のベンチに座り込む
天守台の石垣と登城への石段
鉄御門跡 御天守の入口を厳重にかためる鉄張の堅固な門の跡
本丸からの城下の風景9:15分頃 2倍の30分間で攻城
天守跡からは秀峰大山・日本海・市街地・中海などが一望できる
米子市教育委員会 国指定史跡 米子城跡より
天守の石垣は往時の姿をとどめている高石垣
下山しながらもう一度 天守台に名残を惜しむ
水手御門跡
水手御門跡の標識
よろけたり、つまづきながらも無事に下山する 8:45~9:30まで往復45分間、案内図では往復30分の1・5倍の時間で続日本100名城の米子城跡の攻城でした。我が脚力衰えたりといえども目的完遂!!
2006年6月1日にブログを開設して丸16年、本日から17年目に入ります。
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