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2022年6月

2022年6月30日 (木)

日本100名城No.79今治城

 日本100名城No.79今治城、海を思わせる広大な海水の堀と高石垣が残る。慶長7年(1602)藤堂高虎が瀬戸内海に面する砂地に築城したのが今治城である。瀬戸内海の海水を引き込んで3重の堀を巡らせた海城であった。藤堂高虎は築城の名手として名高い戦国武将。7回も主君を変えた世渡りも上手。浅井長政が最初の主君、次は省略、その次は津田信澄(信長の甥)、豊臣秀長(秀吉の弟)、秀長の死後は豊臣秀吉、秀吉の死後は徳川家康、家康の死後は徳川秀忠に仕えた。

登城日5月23日

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御城印の藤堂氏家紋は藤堂蔦紋と松平 (久松)家の「六曜・六つ星」

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天守などの共通観覧券

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今治城案内図

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左は山里櫓と右上天守が覗く

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右端に鉄御門・武具櫓と堀

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城主の権威を示す今治城最大の巨石

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勘兵衛石の由来

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天守入口 観覧券売り場

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天守の階段

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天守からの眺望 「北」 山里櫓と右は今治港

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西 

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藤堂高虎公像と今治城天守

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史上初の層塔型天守の説明

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櫓巡りスタンプラリー①天守②御金櫓③山里櫓④鉄御門武具櫓

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①天守入口

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②御金櫓の入口

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➂山里櫓

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④鉄御門・武具櫓の入口

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武具櫓の内部1、石落とし

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武具櫓の内部2、格子窓

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格子から写した幅の広い堀(海水)

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蒼吹の井戸

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吹揚神社

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藤堂高虎公

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山里櫓と堀

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鉄御門・武具櫓と海水の堀

築城の名手と呼ばれ藤堂高虎の築いた広い堀と海城の今治城でした。

2022年6月29日 (水)

日本100名城No.67津山城

 日本100名城No.67津山城、岡山県四城目の津山城、中国地方は本州の西部に位置しています。今回の遠征は中国山地を挟んで日本海側の山陰地方と瀬戸内海側の山陽地方を巡りました。5月15日AM2:00に横浜を出発してその日の11時に鳥取県の日本100名城の鳥取城からスタンプラリーを始めて、5月16日に島根県の松江城月山富田城、18日に津和野城と山口県の萩城、19日に山口県の岩国城、20日に広島県の広島城、21日に広島県の郡山城福山城、岡山県の岡山城、22日に岡山県の鬼ノ城、備中松山城、津山城。8日間で中国地方五県の日本100名城13城を巡る旅でした。これらの移動の間は日本100名城近くの静態保存のSL探訪でした。

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旧国名は美作の岡山県津山市の津山城を最後に津山市から備後の尾道市まで約100Km90分で備中から四国の旧国名伊予の今治市へ渡る。ドライブ人生初めてのしまなみ海道(西瀬戸自動車道)を渡り、明日のブログは四国の伊予・今治城跡に向かいます。

登城日5月22日

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日本100名城に行こう 公式スタンプ帳

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日本100名城公式スタンプ帳 主な遺構と見どころ

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左の津山城御城印は森蘭丸の弟森忠政、津山藩主森家の家紋:鶴の丸、右は森氏の家紋「鶴の丸」と越前松平氏の家紋「三つ葉葵」の両方がデザインされている。

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史跡 津山城跡

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史跡 津山城跡石碑と石垣の前にある、忘れ去られた石

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津山藩藩祖 森忠正公像 信長の近習であった本能寺に宿泊中、明智光秀の謀反にあって戦死した森蘭丸の弟。

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津山城跡説明板

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津山城跡

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津山城跡 案内図

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切手門

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備中櫓側面

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備中櫓の入口

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備中櫓からの城下

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備中櫓の内部は畳の部屋でした

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備中櫓の説明図

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天守台石垣

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天守台跡

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天守台跡の地下部分、石垣のハート型(中央の石)

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天守台跡からの備中櫓

天守に代わり備中櫓が主役の津山城跡でした。

 

 

2022年6月28日 (火)

津山駅北口広場SL C11 80

 江戸時代の城下のシンボル津山城がある津山市に、昭和を彷彿させる地元で活躍した新たなシンボルの蒸気機関車を訪ねました。津山駅北口広場SL C11 80 津山市南小学校から移築再生された屋根なし、低い柵有りの静態保存、保存状態は屋根なしの欠陥である蒸気溜めなどに多少の雨だれ汚れが見られましたが全体的には保存管理は良好と思われます。

撮影日5月22日

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地元で活躍した蒸気機関車が地元の駅前にかっての雄姿を現す

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屋根なしによる雨垂れ汚れが見られます定期メンテはあるようです

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シリンダー・動輪・主連棒・連結棒などはメンテされています

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昭和10年日立製作所笠戸工場製、蒸気溜めに雨垂れ汚れ有り

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履歴と仕様の説明板、地元の津山線で25年間活躍したC11型

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銀色の連結器が眩しく、取り替えた後照灯・ナンプレなども美麗

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昭和を彷彿させるシンボルの屋根なし保存はやむなし

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JR津山駅北口広場に鎮座する昭和のシンボル C11 80号車

 

2022年6月27日 (月)

日本100名城No.68備中松山城

 日本100名城No.68備中松山城、山城に唯一現存の天守が残る堅城。主要な曲輪は階段状に配され、高石垣が強固な防御線を構成している。

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旧国名、備中松山城は現在の岡山県高梁市です

登城日5月22日

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日本100名城に行こう公式スタンプ帳

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主な遺構と見どころ

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御城印は徳川幕府が大政奉還した時の最後の城主、板倉雄静氏の家紋、九曜巴紋と右は猫城主のさんじゅーろーの御城印

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天守の管理事務所では猫城主のさんじゅーろーは昼寝をしていました。平成30年7月豪雨の後、備中松山城三の丸で保護された推定3歳のオス猫。備中松山藩の藩士から新撰組の隊長になった谷三十郎にちなみ「さんじゅーろー」と名付けられました。その可愛らしさと人懐っこさから観光客の人気ものです。

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山上に階段状に築かれた堅固な備中松山城天守まで攻め上る

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大手門跡

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足軽箱番所跡

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岩盤上に築かれた石垣と土塀

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二の平櫓と三の平櫓跡の岩盤上に築かれた土塀

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三の平櫓跡

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三の丸跡

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足軽番所跡

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備中松山城跡、重要文化財の備中松山城・天守・二重櫓・土塀

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黒門

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備中松山城復古図

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二の丸跡から見た天守(右)再建の五の平櫓(中)六の平櫓(左)

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ここは備中松山城券売所、入城料500円 天守が見えた

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備中松山城 標高430m小松山の岩盤上の本丸に建つ

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本丸東御門

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天守の内部 天守の構造掲示

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最後の城主 板倉勝静と漢学者山田方谷の解説板

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説明板が並ぶ天守内部の様子

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天守の御社壇

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天守から城下の景色

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天守内部の梁などの構造

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天守に上がる階段

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二重二階の天守、大きめの唐破風の出窓

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搦手門曲輪跡

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搦手門跡

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大手門北側に天然の岩盤上に堅固に築かれた高石垣

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小松山山頂に築かれた小振りだが現存する唯一の山城の天守であった。

 

2022年6月26日 (日)

総社市石原公園SL D51 889

 総社市石原公園 SL D51 889 石原公園に屋根付き・鍵あり金網フェンス付きで静態保存中。地元の伯備線で最期を遂げた縁のある保存機、新見機関区に在籍した地元にゆかりのあるデコイチを大切に保存しているようです。

訪問日5月22日
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屋根付き金網フェンスの中に鎮座、履歴説明板の後ろに鍵付き

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フェンスの鍵は掛かって中は入れずD51889号の履歴

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地元の伯備線で活躍したが前照灯が欠損していたD51889

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鍵が掛かっていたので雑草と金網の外からの撮影に終始

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屋根があるので保存状態は良好のようです

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キャブのガラスはない、鍵を開ければキャブ内に入れる保存です

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夏草が茂る中に炭水車、後照灯も壊れているようです

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屋根付き金網フェンスの中のD51 889

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総社市石原公園に佇むD51 889 でした。

2022年6月25日 (土)

日本100名城No.69鬼ノ城

 日本100名城No.69鬼ノ城(きのじょう)岡山県総社市の吉備高原南縁の鬼城山(標高約400m)の古代山城の登城、鬼を恐れたのか思わずスタンプを逆様に押して仕舞った。シマッタ!困った!

登城日5月22日

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鬼ノ城のパンフにスタンプを押し直した

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総社市役所観光プロジェクト課のパンフ、鬼城山を鉢巻き状に巡り、全長2・8kmの城壁、一部に高石垣を配すが基本は高さ6mの版築土塁、城壁の内外両側に敷石を施す。

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復元の角櫓 横方向からの攻撃を意図した特殊な防御施設

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復元の角櫓の高石垣と版築土塁(版築とは壁土を特定の厚さで突き固める工法である)要所は版築土塁ではなく高石垣となっている。

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角櫓の上にある角櫓跡の説明板、右後方は西門

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角櫓の上から朝日に輝く西門を撮る AM6:25

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角櫓の版築土塁を上から見下ろす 

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復元した角櫓の上部

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城内から撮影した西門 盾が城外の方向を向いている

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城外より撮影した西門の盾(文様を見えるように高欄の外側に取り付けてある、本来は高欄の内側に置く防御の盾)

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西門の復元説明板

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城内から撮影した西門 城内側は版築土塁

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城外からの西門

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西門の高石垣

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西門に連なる版築土塁

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鬼ノ城の城壁の説明板(左半分は写真と思われるが破損)

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第0水門方向より撮影した西門 AM6:36ここから引き返す、城壁2・8Kmを一周する脚力の自信ががない。

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最後は学習広場に寄って撮影した眩しい西門方向 AM6:50

 

2022年6月24日 (金)

日本100名城No.70岡山城

  日本100名城No.70岡山城 「令和の大改修」工事に伴う岡山城(烏城公園)岡山城は、令和3年7月30日以降、「令和の大改修」工事を行います。工事期間中は安全確保のため、岡山城(烏城公園)の通行が出来ません。なお、リニューアルオープンは令和4年11月を予定しています。(岡山市HP)
5月21日は福山城に続いてお隣の岡山城も二城が続けて改修中でした。この日は早朝から山城の郡山城跡から攻城して、平城の福山城と岡山城の三城を一日で廻る忙しい日でした。

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岡山市のHPより

登城日5月21日

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日本100名城公式スタンプ帳

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日本100名城に行こう公式スタンプ帳の主な遺構と見どころ

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日本100名城公式ガイドブックより岡山城の見どころ

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岡山城と後楽園の位置関係の案内図、改修中の城内には入れず

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後楽園の名称は、岡山城の後ろに作られた園という意味で後園と呼ばれていたが「先憂後楽」の精神に基づいて作られたと考えらることから明治4年(1871)後楽園と改められた。

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赤い部分のリニューアル工事中は岡山城内には入れませんので赤い部分からは天守閣も撮れません、岡山城の撮影は月見橋か後楽園からの撮影になります

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左端に立入禁止の看板 本丸の大手(正面)

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右に立入禁止の看板

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左端に月見櫓、手前は旭川

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月見櫓と石垣

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岡山城200m 後楽園400mの案内図

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岡山城石山門跡 赤茶けた石垣が残る

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岡山城石山門跡の昭和20年(1945年)6月29日の岡山大空襲により焼失、石垣に残る赤茶けた焼け跡の説明板

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奥に天守、中に月見櫓

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改修中の天守閣の裏に工事の覆いが見える

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月見櫓 城外側の二階に「向唐破風」の「出窓」を撮る

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月見橋を渡り後楽園からの撮影へ

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岡山城へ100m後楽園へ150mの案内図

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月見橋から後楽園

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後楽園

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後楽園内からの岡山城 森の中から烏城が覗く

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後楽園内からの岡山城

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後楽園内から旭川越しの岡山城、烏城とも呼ばれる黒尽くめに金箔が映える岡山城でした。

 

2022年6月23日 (木)

福山市曙公園SL D51860

 福山市曙公園のSL D51 860  人気のない海の近くの野球場に隣り合ってる曙公園に、片屋根支柱付きの幅の広い高い金網フェンスの中にプラットフォーム付きで静態保存中。屋根上の支柱と腕木式信号機が赤く錆びているので、ここは海から近く塩害による腐食がある処のようですが屋根で保護されているSLの保存状態は良いと思われます。高い金網フェンスと履歴説明板が金網フェンス内にあり、SL撮影には不便でした。(福山市 福山蒸気機関車保存会) 

撮影日2022年5月21日

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変わった形の屋根と幅広い高い金網フェンスを始めて見ます

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屋根の上の外部は赤錆びだらけ、屋根の効果は充分に有ります

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野球場側の状態は支柱とプラットホーム越しです

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貨車ハウム88085は半分はみ出し、後ろにも腕木腕木式信号機

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高い金網フェンス越しに機関士側を85mmの望遠撮影_dsc5356-2

機関士側は植栽で全体の撮影は不可でした

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福山蒸気機関車保存会がメンテナンスされているようです

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金網越しの撮影はレンズの大きい一眼レフでは金網毎写ります

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金網の鍵、プラットホーム側の動輪・主連棒などが見れません

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このD51は製造が簡素化された戦時型。ボイラー上部の蒸気溜のカバーがカマボコ型になっています。塗装状態と配管の保存状態は良好です

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機関助手席側を85mmで撮影、窓枠なし、コック類・計器類は無事のようです。

高い金網フェンスで保護された写真の撮り難い静態保存でした。

2022年6月22日 (水)

日本100名城No.71福山城

 日本100名城No.71福山城は、築城400年記念事業の改修工事で天守には上れませんでした。スタンプと改修中の城を見て下城しました。

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福山城は徳川幕府から西国鎮衛の拠点として初代藩主水野勝成が中国地方初の譜代大名として1619年(元和5年)、備後10万石の領主として入封し、1622年(元和8年)に完成した城です。当時、中四国地方、九州地方は外様大名が多く治めており、福山城築城にはそれらの外様大名たちを牽制し、再び戦を起こさないようにする役割がありました。以降、水野家5代、松平家1代、阿部家10代の歴代藩主を通じて、幕末まで福山藩の政治の中心にとなりました。
1873年(明治6年)に廃城となり、多くの城の建物が取り壊されました。さらに1945年(昭和20年)8月の空襲により国宝に指定されていた天守と湯殿も焼失することとなりましたが、その後、1966年(昭和41年)に市制50周年事業により天守と湯殿、月見櫓が復元されました。

2022年8月で築城400年を迎える福山城の改修工事「令和の大普請」が進んでいる。元の姿に戻そうと行われている大規模な工事には、地元・福山市民の熱い思いが込められている。(  福山城築城400年記念事業実行委員会より)

登城日5月21日

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日本100名城に行こう公式スタンプ帳

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日本100名城に行こう公式スタンプ帳の主な遺構と見どころ

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令和の大普請御城印    福山城御城印は初代藩主の水野勝成と水野家5代の水野沢瀉(みずのおもだか)と阿部家10代家紋の鷹羽紋

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福山城築城400年記念の金文字の御城印、5月20日は100日前、今日の6月22日はあと67日となる。

撮影日5月21日

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立入禁止の看板 左下の矢印は初代藩主水野勝成像の案内

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福山城築城400年記念の改修工事中で思うような写真は撮れず

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立入禁止の看板が遠くにある

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改修工事中の天守閣の覆いを仰ぎ見ると取り外しが始まっていた

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天守台石垣

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徳川家康の譜代大名 水野勝成之像

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初代藩主 水野勝成之像の解説板

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東坂三階櫓跡と多聞櫓跡の明治時代の古写真と古地図

 

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立入禁止区域が多く思うような遺構が撮れず

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鏡櫓前の東坂

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鹿角菜櫓跡(ふのりやぐらあと)

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鏡櫓

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鏡櫓

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天守を覆う幕の取り外しが始まっていた

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右下の案内矢印の案内に従い、管理事務所に行き、スタンプを済ませて御城印を購入して改修工事中の福山城を振り返りながら見所の遺構など満足な写真が撮れなかったが改修中ではやむ得ないと諦めている。400年記念日の8月22日まで今日からあと67日を数えることになっている。

2022年6月21日 (火)

日本100名城No.72郡山城

 100名城No.72郡山城は14世紀の中ごろから地頭として吉田荘に土着した毛利氏が築いたが、築城期は不明。その後16世紀中期に、毛利元就が城の拡大を強化を図った。広島城に本拠を移す前は山城の郡山城が毛利氏の本拠地であった。

登城日5月21日

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御城印の家紋は毛利家の「一文字三星紋」

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AM6:00人の見えない駐車場に車を置いて、ここから攻城開始

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毛利元就墓所参道の案内図、時計回りに本丸を目指し攻城する

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毛利元就墓所参道から郡山城跡を一人で攻め上る武者の気持ち

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案内図の洞春寺跡

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毛利元就の墓所の石段

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毛利元就の墓 

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毛利一族の墓所、12代元就、13代隆元、14代輝元

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郡山城跡(本丸)登山口 AM6:20 ここまで20分

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郡山登山道の石碑を左へ

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本丸へ530m

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左 釣井の壇跡 右 本丸

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釣井の壇跡

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御蔵屋敷跡案内図拡大

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本丸へ

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土塁跡

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三の丸

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二の丸跡

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御本丸跡 AM7:07 攻城開始から1時間7分

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郡山城跡案内図

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郡山の山頂本丸跡から下方の二の丸、三の丸、

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郡山城本丸跡 山頂本丸曲輪群を中心に大小合わせて270段

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本丸跡から下城を開始する、厩(うまや)の壇跡

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次は勢溜の壇跡

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尾崎丸堀切の深い堀切を確認して麓の清神社へ下山する

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清神社まで下山して境内の神木の杉から三矢の訓跡の碑

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三本の矢の人形を前日に撮影していた

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毛利元就公像

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高田市歴史民俗博物館で郡山城跡のスタンプラリーを完了

朝6:00~8:50 2時間50分の毛利家一族が築いた郡山城跡の攻城でした。随所に旧跡への案内板や説明図があり、それなりに時間が掛かりましたが年寄りの単独登山でも迷子にならずに済みました。次は平城の福山城です。

 

 

 

 

2022年6月20日 (月)

広島市安芸区瀬野川公園D51720

  広島市安芸区瀬野川公園SL D51 720 屋根なしの低い柵の中で静態保存中。 野ざらし保存により雨だれ汚れ跡が目立つ。キャブ内に入りませんが、 キャブ内出入り自由のためか部品・計器類の欠損・破損などが推測されます。 保存状態は屋根なしのためあまり良くないが掲示板の管理者による定期的メンテナンスは行われてものと思われます。

撮影日2022年5月20日

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広島市安芸区瀬野川公園の良好な環境だが屋根なし保存

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SL D51720 に近づく

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斜めに展示した説明板にこのSLの履歴と仕様など

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瀬野地区の急坂で後押しの活躍と吐き出す黒煙の被害などの記録

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大人が跨げる高さだが年寄りは跨ぐのは危険でキャブ内は見ず

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煙室扉にも雨だれ汚れ

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機関助手側の撮影、遠目にも雨だれ汚れ模様が見える

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雨だれ汚れが目立つが動輪・主連棒などは塗装の汚れはない

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白筋のような雨だれ汚れの近撮影

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テンダーにも数筋の雨だれ汚れ

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昭和18年7月(1943)日立製作所笠戸工場製

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製造履歴と設置管理者

 

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機関士側は一番雨だれ汚れの目立つ、定期メンテの時期だろうか

ここから安芸高田市の日本100名城の郡山城に向かう。

2022年6月19日 (日)

広島市こども文化科学館SL C59161

 広島城登城の後は広島城と原爆ドームの中間あたりにある至近距離数百メートルの広島市こども文化科学館のSL C59161号車の訪問。

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建物の看板に「5-Days(ファイブ・デイズ)こども文化科学館」前に屋根なし、柵なし、キャブ内出入り自由の静態保存車の撮影です。塗装などの整備状況から定期的に保存整備している。現在の保存状態は屋根なしの割には良好ですがキャブ内を見ると過去には部品や計器類などの盗難が相当あった模様です。当日は幼稚園児のSL見学会の最中でした。

撮影日2022年5月20日

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幼稚園のSL見学会?C59161前で順番に記念写真を撮影中でした

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組毎の順番に撮影後、先生の引率で去りましたので撮影開始です

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C59161 屋根なし柵なしキャブ内出入り自由の静態保存

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昭和21年日立笠戸工場製、キャブのガラス、扉は欠損している。

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圧力計や水位計などの計器類が全て欠損している

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窓枠なし、運転席の速度計などの計器類が欠損している

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焚口戸が半開き

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テンダーは目立つ汚れなどはないようです

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デフは凸凹している上に何回も塗装した厚塗りの形跡があります

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先輪の形状が前後で異なる形をしている

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屋根なし保存のためにシリンダーに少し雨垂れ汚れがあります

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C59 161の仕様と履歴 1946年戦後の製造です

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塗装の落ちと雨だれ汚れがありました

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雨垂れ汚れが目立ちますので定期メンテナンスが近いようです

2022年6月18日 (土)

日本100名城No.73広島城

 日本100名城No.73広島城(鯉城)の広島は安芸の宮島観光とともに平和記念公園・原爆資料館・原爆ドームなど過去に数回訪れている。日航機墜落大惨事のあった昔の夏休み、当時小学5年の息子と訪れた時は原爆ドームの近くにあった広島市民球場が彼の一番の思い出になっているようです。広島は現役時代に会社の広島工場と営業所に出張で数回訪れてお得意先のマツダ(株)の工場に数回訪問している広島県のマツダ向け生産販売拠点であった。広島への出張や三度の観光で広島城はお堀からは何度も見ている城郭でした。今回はスタンプラリーが目的で紙屋町交差点近くの駐車場に車を預けて、平櫓・多門櫓・太鼓櫓の堀から御門橋を渡り表御門から二の丸を抜けて攻城・登城した。

登城日5月20日

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広島城のスタンプ

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広島城の見どころ 日本100名城に行こう公式スタンプ帳

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広島城の御城印、毛利家の家紋は上の「一文字三星紋」福島正則の家紋は中の「福島沢瀉(ふくしまおもだか)、浅野家の家紋は下の「丸に違い鷹の羽紋」。鯉城の紋は広島カープのカープの「C」に似ているものがたくさんあった!!

   



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広島城のスタンプ    鯉城と広島東洋カープの説明書

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史跡広島城跡の現在地の右にある紙屋町交差点付近の駐車場に車を入れて現在地付近の堀端で撮影。

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堀端から手前の平櫓・多門櫓と奥の角に見える太鼓櫓と堀を撮る

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御門橋袂(たもと)から御門橋・表御門と右に平櫓

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御門橋と二の丸表御門(復元)

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二の丸表御門(復元)の歴史

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二の丸内部の表御門と平櫓の石段と入口

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平櫓内部より多門櫓・太鼓櫓の内部

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二の丸からの太鼓櫓(中央)と多門櫓(右手前)

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二の丸跡の説明板

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中御門跡と史跡広島城跡の石碑

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天守閣礎石

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天守閣礎石の説明

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広島城(復元)登城口と内部は博物館となっている

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広島城

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発掘された金箔の鯱瓦の展示品

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石落としの説明板

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石落とし

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天守閣の石落としと忍び返しの説明

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天守への階段

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天守に上る階段からの展示品の一例

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天守からの風景

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天守からの堀の風景

広島城復元天守から内堀周辺の光景でした。スタンプは1階ミュージアムショップに設置してあり、御城印もここで販売しておりました。

2022年6月17日 (金)

岩国市SL公園SL D51 103号機

  岩国市SL公園(旧岩国市第一街区公園)SL D51 103号機は岩国城から5~6分のJR岩国駅近くにあるSL公園に保存、侵入防止の高い鉄条網フェンスの中に野ざらしの野天で塗装の下から全身が赤錆びた状態で鎮座していた。一見して何年も塗装や整備がなされていないほったらかしと思われる最悪の保存状態であった。

撮影日2022年5月19日 

 

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SL公園の片隅に野ざらし展示

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ここはSL公園(元町第一街区公園)の表示板は綺麗な看板

 

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侵入禁止の鉄条網で囲まれた物々しい保存に反した赤錆びたデフ

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金網のフェンスも同じように赤錆びている、キャブ内は撮れず

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煙室扉ハンドルが欠損、金網越しの撮影、白字のナンプレは後付け

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誰も居ない公園に「錆びたナイフを思わせる」D51 103

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D51 103の説明板はSLの錆びた姿に似合わず新品のように綺麗 

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後照灯周囲の白塗装も錆で汚れ、ナンプレを鉄条網越しに撮影

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野天展示の錆びた蒸気機関車に比して綺麗な説明板が対照的

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窓枠も欠損、金網内にハシゴ、昔はキャブ内出入り自由であった?

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写真も思うように撮れない、盗難防止なのか事故予防なのか厳重な金網と鉄条網に囲まれた屋根なし保存。最後に保存整備に構われないカマとデフの錆びを写してSL公園を寂しく去ることにした。

2022年6月16日 (木)

日本100名城No.74岩国城

 日本100名城No.74 岩国城。岩国城の外堀となっている錦川に架かる錦帯橋を渡った最初の日は、37年前のお盆休みの日航機墜落事件のあった年に当時小学5年の息子と二人で山陰・山陽を観光していた時に錦帯橋を渡って見物しているが山城の岩国城天守は錦帯橋から眺望しただけであった。2010年2月には錦帯橋の上流、錦川でコウライアイサの番を、8時間粘って初見初撮りした時はいつものように一人旅の撮影旅であった。10年前の2012年11月は山陰観光と石見銀山が世界遺産に登録された年に夫婦旅で岩国観光に立ち寄り、錦帯橋を観光したがこの時も山上に小さく見えた天守を錦帯橋の上から眺めただけであった。今回の岩国市は日本100名城の岩国城の登城とスタンプラリーが目的。四度目にして初登城の岩国城となった。岩国城ロープウェイ駅近くの有料駐車場に車を入れてからロープウェイで登城する。

登城日5月19日

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岩国城は、初代岩国領主吉川広家(きっかわひろいえ)によって慶長13(1608)年に作られた山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山に位置していました。
三層四階の桃山風南蛮造りでしたが、築城後7年で一国一城令により取り壊されました。現在の天守は、昭和37(1962)年に再建されたものです。

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岩国城の見どころ 日本100名城に行こう公式スタンプ帳

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岩国城御城紋 吉川氏の家紋は吉川九曜紋

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岩国城ロープウェイ・チケット自動販売機 AM9:30発乗車

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岩国城ロープウェイ乗り場からの錦帯橋

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ロープウェイで山上駅へ 15分間隔で運転

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岩国城まで徒歩10分とあるが大釣井、石垣など見ながら20分

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大釣井の遺構

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大釣井の説明板

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空堀の遺構

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空堀の説明板

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旧天守台

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コンクリート造りで復元されている岩国城天守

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南蛮造りの天守と呼ばれている

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下から見上げての撮影

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城郭案内図

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天守の入口

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城内の展示品

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毛利元就の3人の息子と孫の系図

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城内展示物の一部

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天守から下の風景

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天守から城下の錦帯橋方面 24mmレンズ

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85mmレンズの錦帯橋

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AM10:40 岩国城ロープウェイで下城する、過去何回も渡って観光した錦帯橋は今回は眺望のみの観光となり、SL公園(旧元町第一街区公園)のSLを撮影後に岩国市滞在2時間半の短い滞在で次の広島城へハンドルを向けた岩国観光であった。

 

 

 

2022年6月15日 (水)

防府市鉄道記念広場防石鉄道2号車

 防府市鉄道記念広場防石鉄道2号車と客車2両。今まで見たことがない豪華なプラスチック製の長い屋根付きの静態保存。ところが同じような仕様と形のSLを北海道沼田町で見学している。そのSLは日本最古の小型蒸気機関車で準鉄道記念物と指定されている「明治22年に九州鉄道がドイツから輸入したクラウス15号蒸気機関車」で現在は明治鉱業昭和炭鉱の専用車庫に保存されている。
防府駅西方の高架線脇の鉄道記念広場に静態保存されている防石鉄道の車両。先頭からドイツ・クラウス社製の2号蒸気機関車・ハ6号客車・ハニフ1号客車。防府市指定有形文化財(客車2両は附指定)。この蒸気機関車は、防石鉄道(大正8年(1919)~昭和38年(1963))の三田尻(防府)と堀(山口市徳地)間の運行で使用されていた車両です。蒸気機関車は、長さ7.8m、高さ3.6m、幅2.4m、重量23.1t。明治27年(1894)ドイツ・クラウス社製で、川越鉄道(現:西武鉄道)で導入されたものを大正7年(1918)に譲り受け、川越鉄道時代の2号車番を残して使用されました。2両の客車は、明治32年(1899)に平岡工場(東京)で製造されたものと、大正7年(1918)枝光鉄工所(福岡)で製造されたものです。

撮影日2022年5月18日

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防府市鉄道記念広場1

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防府市鉄道記念広場2

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プラスチック製の屋根の下で大切に静態保存されている

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ドイツ・クラウス社製2号蒸気機関車

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屋根の側面がある面から側面を撮影、風雨も保護する側屋根です。

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下からキャブ内の撮影

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キャブ内で撮影 出入り自由 

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運転席からの前方向

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圧力計が壊れていた

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焚口は開くことが出来る

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小型のシリンダー

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客車

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プラットホームが設置してある

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客車の内部をガラス越しに撮影

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防石鉄道OB会による記念碑に78年のあゆみが刻まれています

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機関車仕様がボケました、仕様がないです

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この小型蒸気機関車の履歴の最後は地元で活躍し貢献している

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防府市鉄道記念広場

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明治27年(1894)ドイツ・クラウス社製

以下の写真はご参考です。

撮影日2018年7月撮影地 北海道沼田町

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北海道沼田町の明治鉱業昭和炭鉱・クラウス15号蒸気機関車

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明治22年にドイツから輸入・クラウス15号蒸気機関車の側面

2022年6月14日 (火)

熱海温泉伊東園ホテル熱海館

 熱海温泉伊東園ホテルズ熱海館は熱海駅から2,3分の交通至便な温泉ホテルで新幹線で新横浜駅から熱海駅まで30分弱、熱海駅から徒歩2~3分の至近距離にあり、特別天然記念物の「北投石」を使用した温泉と岩盤浴が売りの温泉宿であったが、コロナで看板の岩盤浴が休止している。今年は1月8日に家族で宿泊しているので6月11,12日の土日の宿泊は娘親子と家族の6人で今年2回目となる。コロナ禍になってからはこの熱海館売りの岩盤浴とサウナは休止しているが近場の熱海温泉として2012年から10年間に10回程家族で来ている温泉宿であります。

撮影日6月11,12日

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新幹線熱海駅の下りホームのガラス越しに熱海館が見える、熱海館までは熱海駅駅前出口から熱海館までは新幹線ホーム長さよりも短い距離にある。

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ラスカ熱海のJR熱海駅出入口

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ラスカ熱海に沿って平和通りへ

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伊東園ホテル熱海館の看板の下を通り

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平和通り入口前の軽便鉄道

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平和通りの午後13時頃の人通り

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熱海館の手前にある手湯「福々の湯」

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熱海館入口チェックインは3時から、それまで時間つぶし

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來る度に昼食をとる磯寿司、熱海館前の寿司店は毎回30分待ち

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家族6人旅の昼飯はそれぞれ好みの寿司、自分は生ビールと握り

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食後は熱海館の入口でコロナ対応の検温とアルコール消毒

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受付のフロント

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いつものように柳葉敏郎の出迎えで自分のサイズの浴衣選び

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本館エレベーター前

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エレベーター内、マスク着用と手指の消毒

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エレベーター内の消毒アルコールの設置

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別館3階の大浴場、本館地下1階は岩盤浴休止中でこちらが人気

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脱衣場

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洗い場の一部

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別館大浴場

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大浴場の湯口

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サウナはコロナ禍で休止中

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水風呂も空っぽ

温泉はAM6:00-10:00 PM15:00-24:00

早朝5時起きで6:00開場前の大浴場の写真撮影でした。中国・四国の日本100名城とSL訪問旅ブログの合間に熱海温泉でした。

 

 

 

2022年6月13日 (月)

山口市小郡総合支所前SL D51 813

 山口市小郡総合支所前の駐車場に屋根なし、フェンスなし(跨げる低さのチェン有り)キャブ内は出入り自由の静態保存。保存状態は並み。

撮影日2022年5月18日

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小郡総合支所の駐車場前SL D51 813

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前照灯の欠損と枠の白色と煙室戸の白色ハンドルに違和感

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D51型式蒸気機関車は昭和11年から造られ旅客、貨物の輸送に活躍し「デゴイチ」の愛称で呼ばれている日本の代表的な機関車です。
このD51813蒸気機関車は昭和18年9月30日に誕生し約145万キロ走り西日本各線で活躍しました。最近動力の近代化が進むにつれ蒸気機関車がだんだんと姿を消すようになり昭和50年3月廃車となりました。

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[昭18・三車] 昭和18年三菱三原車輛製作所製造銘板

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立派な銘板がありますが手前のチェーンが邪魔して真面に写せず

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斜めからチェーンの支柱を避けながら撮影

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後照灯のレンズは無事です

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黄色に違和感あり、キャブ内は出入り自由のためか計器類に欠損

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黄色い配管色は珍しいが違和感があります

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銀色塗装の逆転機ハンドルとブレーキハンドル

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運転室

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レールが白色塗装

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山口市小郡総合支所駐車場前のSL静態保存のD51 813

2022年6月12日 (日)

山口県立博物館SL D601

 蒸気機関車 D601 D60型1号機の貴重なトップナンバー 山口県立山口博物館敷地に屋根なし柵なし(低いチェーンあり)の野ざらしの静態保存。県立博物館での展示ですのでそれなりののわりに保存状態です。キャブ内出入り自由のため計器類の欠損が多いようです。博物館の保存らしく子供向けの説明板が各所付いていますので初めての鉄ちゃんでも興味を覚えます。

撮影日2022年5月18日

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D60形式1号蒸気機関車について

D60形式1号蒸気機関車は、昭和2年3月、9900形式161号機関車として川崎造船所で誕生し、東海道線や山陽本線などで活躍していましたが、昭和26年10月、山口線の津和野機関区に配属となり、昭和41年10月まで約15年間、山口線の旅客・貨物の輸送に活躍してきました。
一方、動力の近代化がすすむにつれて、蒸気機関車はだんだん姿を消すようになり、このD60形式1号機関車も昭和41年12月1日、廃車になりました。

蒸気機関車は、将来貴重な存在になるものと思われますので、山口県では青少年の育成に役立たせるため、山口線を走ったこの由緒ある機関車を、日本国有鉄道から借り受け、県立山口博物館に展示することにしました。

昭和43年9月1日 山口県 展示車両前のプレートより

撮影日2022年5月18日

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山口県立山口博物館横に鎮座するD601号機の正面です。前照灯のガラスレンズがあるのか、ないのかよく分かりません、白い枠も欠損しているようです。

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D601 説明板

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信号機も併設してあります、デフの上の集煙装置が目立つ

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山口県のシンボルマークがデフに有りアクセントになっている

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動輪・元空気溜・コンプレッサー・SLのイラストなど説明板有り

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蒸気機関車の動く仕組みの説明板の拡大

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シリンダー・主連棒・動輪の説明板

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後照灯の灯具の中は空っぽに見え、シールドビームが入って無い

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圧力コックの説明、圧力計が欠損している

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逆転機の説明板と赤い釜焚口の塗装が新しい、注水器の説明板

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機関士座席前は撮影不能

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注水器の説明板と機関助手席

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デフの山口県シンボルマークが凛々しく見える

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蒸気溜め器・砂溜・シリンダー安全弁・シリンダーなどの説明板

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山口県立博物館前のD601

2022年6月11日 (土)

日本100名城No75萩城

 日本100名城No75萩城跡の登城は二度目です。10年前の2012年11月28日のブログ「萩城跡と厚狭毛利家屋敷」を見ると、「この日の朝は萩城址のある指月公園と駐車場前にある旧厚狭毛利家の長屋の観光から一日が始まった。 広島に居城を置き中国地方8ヶ国の大大名112万石、五大老のひとりであったが1600年の関が原の天下分け目の戦に西軍について敗れ、周防・長門の二ヶ国に36万千石に減封された毛利輝元の築城である。萩城址の石垣につわぶきの花が見える。」と写真がある。この時に萩城址と旧城下の関連施設を見物済であり、今回は扇の勾配を持つ天守台への再訪と本丸入口のスタンプが目的の登城となった。

登城日5月18日

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天守台石垣が残っていますが、明治の天守古写真をコンピューター処理で着色した「日本100名城に行こう」の萩城の写真

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萩城御城印、毛利元就の家紋は「一文字三星紋:いちもんじみつびしもん」と「長門沢瀉紋:ながとおもだかもん」の毛利家の二つの家紋がある。

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築城者の毛利輝元は10年前と変わらずどっしりと構えていた

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築城者の毛利輝元の履歴も変わらず10年前と同じ

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萩城趾と内堀に映える美しい扇の勾配の天守台石垣も相変わらず

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萩城跡説明板

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出来るだけ明るく拡大してみました

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天守台の脇に続く大規模な石段(雁木)

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天守台に上る石段

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天守台からの内堀(指月山方向を背に)天守台扇の勾配の石垣

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天守閣跡の基礎石

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天守台脇の石段(雁木)と天守台を撮影した史跡萩城趾石碑の方向

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天守台上からの指月山方向の内堀

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天守台からの指月山、山頂には要害が築かれていた

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萩城天守の古写真

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石垣の巨石

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内堀

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海水を取入れる内堀

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内堀の外側からの内堀と石垣

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内堀と石垣

今回は天守台と内堀と石垣を主に見学した萩城跡でした。

2022年6月10日 (金)

日本100名城No66津和野城

 日本100名城No66津和野城跡を攻城する前に太鼓谷稲成神社に参拝、10年前の2012年11月に夫婦で山陰旅行した折に津和野の宿「よしのや旅館」に宿泊して太鼓谷稲成神社を参拝している。ここは日本五大稲荷のひとつである。京都伏見稲荷の千本鳥居に似ている商売繁盛・開運・厄除け・福徳円満の成就で奉納された1000本の鳥居が九十九折れのトンネルとなり、山腹に抱かれた朱塗りの本殿まで続く中を夫婦でふうふう言いながら登って参拝した。今回は登城前に津和野城跡観光リフトの上に在る太鼓谷稲成神社の駐車場に車を停めて、十年ぶりの参拝をして御朱印と津和野城の御城印をいただく。ここは津和野城の鬼門鎮護の神社。

訪問日5月18日

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太鼓谷稲成神社の正面屋根の軒先左端に津和野城跡の石垣が見える、津和野城跡への観光リフトの開業時間9時までの間に太鼓谷稲成神社の参拝

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日本100名城に行こう 公式スタンプ帳よりImg010-3_20220605222301

太鼓谷稲成神社の御朱印    津和野城の御城印、上から築城者の吉見氏の家紋「二つ引き」千姫事件で改易の坂崎直盛の旧姓宇喜多氏の家紋は「二つ重ね笠」、亀井氏の家紋「角立て四ツ目結」津和野城は、吉見氏14代319年間、坂崎氏1代16年間の後は、明治維新まで亀井氏が11代225年にわたり城主として在城。


撮影日5月18日9時スタートの観光リフトに乗って登城開始

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リフト乗り場の無料駐車場に車をおいて、9時からスタートするリフトに乗り、リフト降り場まで約5分間位の周囲の風景見物、ここから城跡までは徒歩20分、往復40分程度が標準らしいが年寄りの実際は往復約1時間かかりました。スタンプはリフト乗り場にありました。

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津和野城跡登城案内図、登り口にあった杖を狩りて仮設階段を上る

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リフトを降りた後、15分ぐらい歩いたと思われるあたりに、織部出丸に辿り着き、その後は二ノ丸、三ノ丸を通り、三十間台(本丸)前まで、リフトを降りてから30分ぐらいかかり、三十間台には上らず、国道9号線からの撮影を予定した。

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案内板 中世山城 津和野三本松城址 より拡大

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東門跡

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東門跡の説明板

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東門跡の石垣

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津和野城の別名三本松城

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馬立跡と台所跡の石垣

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津和野城跡の説明板がいろいろある

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津和野城跡石垣 

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西櫓門跡

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津和野城跡の中国自然歩道の道しるべ

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三の丸にあたる場所(馬立・台所・海老櫓)

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津和野城跡案内板

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天守台の標柱

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天守台の石垣

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三十間台の石垣 

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三本松城(津和野城)出丸

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三本松城出丸の説明

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津和野城跡を巡りスタートした観光リフトに戻って来た、この後は駐車場に戻り国道9号の大鳥居付近から三十間台が遠望出来る場所に移動する

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国道9号線からも石垣の眺望が素晴らしい。山城の難攻不落が窺えます。赤い大鳥居の近くの9号線を山口方面に向かう場所で津和野城址を遠くから撮影出来る場所を聞いていたので三十間台には足の負担からあえて上らず、ここで野鳥撮影用の150~600mmレンズとD500で津和野城跡を150mmで撮影。最高所の石垣は本丸の三十間台でその右が太鼓丸。

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300mmで撮影、三十間台と太鼓丸の石垣

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600mmで撮影した国道9号からの本丸の三十間台の左の石垣、津和野城は島根の天空の城と呼ばれて、秋から冬にかけて気温が下がって、山間部ではたまった湿気が冷やされ雲海が見れることもあるそうです。今回は望遠レンズでの撮影で満足する。


 

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2022年6月 9日 (木)

ツバメのお宿は道の駅

 ツバメのお宿は道の駅。風景用のレンズで写した道の駅「シルクウェイにちはら」の沢山のツバメの巣を撮りました。ツバメを守る人にもツバメにも優しい道の駅です。三泊目の車中泊をした朝はツバメの鳴き声で目を覚ます、津和野城を訪問する朝の道の駅でツバメの撮影。9号線の道路沿いの島根県鹿足郡津和野町池村。

撮影日5月18日AM6時

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道の駅シルクウエイにちはら HPより

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道の駅シルクウェイにちはら、人影の少ない早朝に飛ぶツバメ

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長い屋根付きの通路の上は天敵のカラス除けの五色のリボン

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木造の梁と軒桁にツバメの巣と天敵のカラス除けのリボン

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ツバメの巣の下にはフンの落下を受ける篭が多数ぶら下がる

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人にもツバメにも優しい道の駅シルクウェイにちはら

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軒桁や梁の下に篭をぶら下げて人にも優しいツバメの巣

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ツバメの天敵カラス除けのリボンがずらり、ツバメはスイスイ

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ツバメの巣とフン受けのプラスティック篭があちこち

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ツバメは法律で守られています。「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」(略称:鳥獣保護管理法)があります。これによって、ツバメなどの野鳥は守られており、都道府県知事の許可がなければ、卵やヒナがいる巣を壊すことは違法になります。これに違反した場合、1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられます。
(日本野鳥の会のツバメをまもろうより)

 

2022年6月 8日 (水)

和鋼博物館駐車場SL D51488

 月山富田城の登城の後は、45号線を足立美術館の前を通りJR安来駅近くの、日本刀の原料となる玉鋼を生み出す「たたら製鉄」の日本で唯一の総合博物館。この和鋼博物館の駐車場に屋根付き柵なし保存のSL D51 488号機です。津和野駅前のD51194とブログアップの順序が後先になりました。

撮影日5月17日

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和鋼博物館の駐車場とSL D51 488

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和鋼博物館駐車場のSL D51 488

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SL D51 488号機の前に掲示の「たたら製鉄」の説明板があるがD51488の車歴がないようである。

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開館中の撮影では駐車場の車が入ります、前照灯が壊れています

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シリンダーの雨だれ汚れが目立ち錆なども浮き出ています

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キャビンもかなり傷んでいる、赤ナンバープレートの下に[昭15・郡工]の銘板がある。昭和15年は同い年で国鉄郡山工場製のようです。

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屋根付きフェンス無しの静態保存は博物館の駐車場と同居です

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後照灯も欠損、赤ナンプレのテンダーも錆と雨垂れ汚れが目立つ

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侵入禁止の鎖の外から撮影したがこれが限度で内部の欠損は不明

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信号機も併設していた

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かなりの期間補修作業していない様子です

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たたら製鉄の博物館の保存にしては、錆びと汚れが悪すぎる感じがする。玉鋼の和鋼博物館を見学を中止して次の目的地へ

2022年6月 7日 (火)

津和野駅開業百周年記念の D51194

 津和野駅前のSL D51 194号機は、津和野駅開業が8月5日に100周年を迎える新しい緑ナンプレなどで外観などが綺麗に整備されていました。屋根なし柵なしホームなしの静態保存です。津和野には10年前に山陰の小京都・津和野観光で夫婦で訪問でしたが、今回は中国・四国の日本100名城スタンプラリーと静態保存SL訪問旅の四日目でした。

訪問日5月18日晴天 午前七時撮影

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新しい緑ナンプレのD51 194号機 

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D51 194号機のキヤビの緑ナンプレと製造銘板

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緑色のナンプレ、[昭14・大宮]の製造銘板、津和野駅開業100周年のsince1922.8.5の表示

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津和野駅前の非公式側 一本だけの白線が引き締まります

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正面も新品の緑ナンプラが輝く

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油で磨かれているようです

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公式側はキャビ内が見学できるようになっています

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D51デコイチの説明板 194号機履歴の表示板はありません

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運転席の窓から撮影、新しい窓の窓枠

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機関士席の計器類は完備してブレーキハンドルも磨かれています

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圧力計やバルブコックなども綺麗に整備されています

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テンダークーラーと注水器の銘板とハンドルコック

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動輪や主連棒・連結棒なども油で磨かれています 

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油で磨かれ光っています、今にも走り出す構えに見えます

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駅前道路からのD51 194と改装中の津和野駅舎です

 

2022年6月 6日 (月)

日本100名城No65月山富田城

 松江城の次に登城する予定でしたが松江市から隣の安来市に行く予定が出雲市の道の駅キララ多岐で夕日の撮影と宿泊をしたので、出雲市多岐町から9号線で松江市に戻り、45号線を走り安来市広瀬町の月山富田城まで約70km約2時間も戻り時間とガソリンをロスしました。富田城(とんだじょう)の攻城はとんだことになり、島根県安来市でしまらねえ~事になり、これが安来名物のドジョウ掬い踊りのように((´∀`))ケラケラと笑い飛ばすことが出来るかどうか。

写真100kbx30枚=3Mb

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日付は翌日の5月17日です、登城日も間違えるミス続きImg005-3_20220605124301

毛利氏も攻めあぐねた尼子の巨城(日本100名城に行こう)

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山中鹿之助の宿願成就祈願  富田城の御城印、上から尼子氏の「平四ツ目結」真ん中は吉川氏の「丸に三つ引き両紋」下は堀尾氏の「分銅紋」それぞれの家紋

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現在地から頂上の15.本丸までの案内図

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矢印の方向、攻城開始はAM8:47

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石垣の下に山中御殿と本丸登山口の矢印

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こちらの方が分かり易い、月山富田城跡の案内図と矢印の方向

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軍用道路で攻城は610m

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奥の方に石垣が見える

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案内図にあった親子観音(しんし観音)の説明

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七曲り、山城攻めは足が疲れます、決して足軽ではありません

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案内図に描かれていた七曲りの石段

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案内図の七曲りの上にあった山吹井戸跡、井戸らしい面影なし

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案内図の三ノ丸へ疲れた足では 山中御殿はスルー

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途中で諦めたくなる程の上り石段、上り切る意志は石より固し

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左は二ノ丸跡、右は本丸跡へ、これが「段築」と呼ばれる石垣

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三ノ丸の石垣(段築:だんちく)と呼ばれる

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案内図にある西袖ヶ平(にしそでがひら)

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本丸へ110mの案内板、二ノ丸は下山の時に寄ることにする

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本丸の石垣

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本丸跡8:47の攻城開始、9:34に到着、ここまで47分

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本丸跡(上って来た方向)堀切の先は二ノ丸跡

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本丸の奥、高さ190m月山の勝目高守神社、尼子時代は代々城内の守り神であった

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二ノ丸跡の説明板

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二ノ丸跡から本丸方向を望む、この間に見所の深い堀切がある

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二ノ丸からの風景

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本丸の石垣

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塩谷口の石垣と石段

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塩谷口の石垣と石段

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見どころと言われる深い堀、狭間堀跡

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狭間堀跡の深い堀切の下は竹林の竹の子が若竹に成長中

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スタンプ場所、安来市立歴史資料館約2時間の行程後にスタンプ

疲れてくると肝心なスタンプを忘れそうになることが度々起こる、ここはシッカリとスタンプをしてきた。

2022年6月 5日 (日)

道の駅キララ多岐の夕日と落日

 道の駅キララ多岐のキララビーチに沈む夕日を午後七時頃のサンセットタイムに夕日が沈む直後からの落日を手持ちで撮影しました。道の駅キララ多岐があるのは島根県東部の出雲市。日本海に面して走る国道9号線沿いにあり、山陰道・出雲ICから約12分。参拝した出雲大社とSL撮影の旧大社駅から20分ほどの場所です。日本海に沈む夕日は「日本の夕日百選」にも選ばれ、この夕日を見るためだけに来る人もいるそうです。オレンジ色の夕日と日本海に沈む落日をカメラで追ったが落日は物悲しい思いがする。このブログも落日が来ない事を祈るばかりです。

撮影日5月16日PM7:00~7:10分

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キララ浜の夕日、これはオリジナルの画面、以下は4倍にトリム

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オレンジ色に染まる空と海と

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夕日の陽光がカメラに迫って来るようだ

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キララ浜に夕日が迫る

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落日寸前

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落日のはじまり 7:07

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落日

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半分も沈んだ

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落日の寸前

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米粒になった落日

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落日のショウタイムは3分 7:10

2022年6月 4日 (土)

旧大社駅のSL・D51 774号機

 出雲大社参拝後に大社町の重要文化財旧大社駅保存修理(仮設・解体)工事中のために(国の重要文化財に指定されている美しい木造駅舎。歴史的な価値も高い内装や鉄道グッズは見れません) 旧大社駅ホーム 島式・相対式ホーム2面3線の3番線 に保存中の昭和49年11月30日に本州を最後に走った車歴のSL D51 774号機を撮ってきました。

撮影日5月16日

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旧大社駅舎の半解体修理を行うための素屋根(駅舎を覆う屋根付きの囲い)及び工事仮設物の建設と駅舎の解体・調査の工事中。歴史ある駅舎内は見学出来ません。

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工事内容は旧大社駅舎の半解体修理を行うための素屋根(駅舎を覆う屋根付きの囲い)の中は見えません。駅舎と2面3線の3番線ホームにD51 774

 

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旧大社駅三番線ホーム上から撮影のD51 774

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ホームからキャビン内に入れます。[昭17・気車]の銘板

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塗装作業は地元の小学3年生のようです

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圧力計が二つありません

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釜焚口の塗装が白く新しい

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運転席の計器類とブレーキ

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よく見たら速度計の針がありません

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ホーム上からの撮影 照明灯のガラスがない、長編成用のホーム

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以下は線路に降りての撮影です、屋根なし保存が勿体無い

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[昭17・気車]の銘板、レールが白塗装されています

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錆びた引き込み線の上からテンダーの撮影

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シリンダーと動輪

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動輪・主連棒・連結棒と白塗装のレール

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線路に降りての撮影です、全体的に新しい修復状態でした

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D51 774の車歴

多くの参拝者を運んだこのD51774は以前、出雲大社の神苑に保存されていたそうです。

2022年6月 3日 (金)

三度目の出雲大社 参拝

 三度目の出雲大社の参拝、最初は37年前の会社の一週間の夏休みを利用して小学5年の息子と二人で山陰・山陽の観光地をドライブ旅行中に、1985年8月12日の日航ジャンボ機123便のあの大惨事の日に出雲大社を参拝してから、この日は日御崎海岸の民宿に向かっている最中にラジオから大惨事のニュースが聞こえていた。民宿のお母さんに話すとTVのSWを入れていた日航機大事故の日であった。二度目は2012年11月に家内と山陰観光旅行で安来市の足立美術館の庭園を観光後に出雲大社に参拝している。今回は松江城の日本100名城スタンプラリーと保存SL撮影旅の途中でルート上の出雲大社へお参りした。

参拝日 5月16日

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出雲大社の御朱印

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夕方四時に西神苑の松の参道に入る、幟を片付け始めていた

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松の参道からムスビの御神像が見えた

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ムスビの御神像、出雲大社の御祭神”大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)”が、幸魂奇魂(さちみたま・くしみたま)を拝戴される様子を表した像なのだそうです

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大国主大神像

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銅鳥居

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銅鳥居脇の出雲大社境内案内図

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拝殿参拝、一般的な神社と異なり「二礼四拍手一礼」

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八足門より御本殿に参拝「二礼四拍手一礼」

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奉納された酒樽

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神馬

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神牛

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松の参道横に出雲大社のウサギたち、10年前はいなかった!

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出雲大社のウサギたちに近づく

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出雲大社のウサギたちを側面から撮影

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「出雲大社のウサギたち」の場所は西神苑「現在地」

この日の宿泊地、夕日のスポット道の駅キララ多岐に向かう

 

 

松江市北公園SL C56131

 国宝松江城の見学のあとは「俄か老人の鉄ちゃん⇒”俄老鉄”」として2017年から北海道で鳥撮りの合間に始めた、静態保存のSL撮影だが今回の遠征では日本100名城の近辺や日本100名城探索ルートにあるSL保存地での撮影を行う。
松江城から数百メートルの近距離にある松江市総合体育館隣の松江市北公園に静態保存のSL C56131号機の撮影を行った。

6月2日は横浜開港記念日で横浜市立の学校は休校日 。昨夜はドカーンと夜空に上がる花火の音が聞こえてきました。横浜スタジアムのプロ野球中継のTVでも夜空に開く花火が映し出されて開港記念日を祝っておりました。横浜港は1858年7月29日(安政5年6月19日)に締結された日米修好通商条約(安政五ヶ国条約)に基づき1859年7月1日(安政6年6月2日)に武蔵国久良岐郡横浜村(横浜市中区の関内付近)に開港された。当初は生糸貿易の中心港として、後に京浜工業地帯の工業港、東京の外港として発展した。昨日で横浜開港163周年を迎えた (SNSより)

撮影日2022年5月16日

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夏草の中にSL、黒煙を吐いて汽笛を鳴らして爆進していたかっての蒸気機関車が今は夏草の雑草なかに取り残されていた。「夏草や兵のどもが夢の跡」の芭蕉の句を思い起こす。

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公園の片隅に屋根なしで置かれていた。「ちどり」のヘッドマークについての説明もC56131の車歴などの案内看板などがない。前照灯に目が行くがガラスや反射鏡などが欠損していた。


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公式側 低いフェンスの中は動輪なども撮り易い

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「ちどり」のヘッドマークが際立ち目立ちます「ちどり」とは?

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公式側のキャビンは屋根とC56131銘板の周囲が錆で朽ちて穴があいてボロボロ、[昭13・日立]の銘板を確認、二つ年上の蒸気機関車の年老いた姿に哀れみ感。

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スポーク型の動輪や主連棒・連結棒などの赤と白の塗装

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後尾灯も破損、レールと連結器の白塗装に違和感

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バック運転の時に視界を確保する特徴あるC56の切り欠きテンダー

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キャビンには腐食が無いように見える、胴回りの4本塗装も目立つ

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若い人ならばその気になればキャビン内も見られると思われる

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草に埋もれて誰に問うのか?四つのテスト。Ⅰ真実かどうか Ⅱみんなに公平か Ⅲ好意と友情を深めるか Ⅳみんなのためになるか 我が身のテストも同感と反省

老鉄ちゃんには車歴の案内板が欲しい静態保存のC56131でした。

2022年6月 2日 (木)

日本100名城No64松江城

 日本100名城No.64松江城は10年前の2012年に夫婦連れで山陰・山陽を旅行した際に松江城の登城と松江城を見物した時は重要文化財であったが今は国宝に昇格している。当時は登城のあとに大手前堀川遊覧船乗場からぐるっと松江堀川めぐり。50分間の城下町・水の都松江の十六の橋をくぐる船上からの見物の思い出があります。今回は日本100名城のスタンプラリー帳を携えての一人旅。

撮影日5月16日

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公式スタンプ帳 日本100名城に行こう

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逆光の堀尾吉春公銅像

国宝・松江城は、松江開府の堀尾吉晴が5年の歳月をかけて完成した、慶長5年~寛永10年初代藩主堀尾忠氏・2代忠治、寛永11年~14年京極忠高、寛永15年~明治4年まで徳川家康の孫・松平直政から定安まで10代234年間出雲国を領した。石垣は自然石をほとんど加工せずに積み上げた頑丈な積み方で野面積(のづらづみ)と言われる。松江城は千鳥城ともいい、全国に現存する12天主のひとつ。場内に展示されていた甲冑は誰のものか不明、柱は松の一本柱の外側に板を揃えて寄せ合わせ、これに鉄輪で締めて太い柱が作られている。天守から撮影した松江城下、宍道湖などが望める。

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5月16日 松江城登閣券 表面

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松江城登閣券 裏面

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国宝 松江城天守 右奥に天守閣が見える、ここから登城開始

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三ノ門跡

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天守閣に向かって登る

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二ノ門跡

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天守閣への登城の順路矢印

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天守閣への入場門、本丸一ノ門

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国宝 松江城天守の天守閣附櫓で天守入口の防備を固くしている

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全国に現存する十二天守の一つ、天守の平面規模で2番目、高さで3番目、古さでは5番目です。ここの天守受付窓口でスタンプが設置してありました

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最初は鉄砲狭間

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城内の井戸

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塩蔵?

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天守最大柱

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天守の屋根に葺かれた鬼瓦

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石落とし

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松平直政公初陣の像が展示してある

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太鼓櫓に収められていた太鼓、太鼓を打って時を知らせた

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歴史を物語る角がすり減った階段

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天守から下を覗いた、上ってきた階段の様子

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天守に登りつめたら最高の眺望が待って居た、ここまで約1時間

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天守から城下の眺望

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天守の鬼瓦と東の風景 

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天守からの写真が展示してあった 東

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ネットの中の天守の棟札を撮影

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天守にある国宝指定書の掲示

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天守から降り口の階段、下りは上りよりも怖い!

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石垣紋の説明

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分銅紋は松江城を築いた吉尾家の紋です

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分銅紋の石垣 ここまで城めぐりは約2時間の行程でした

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堀川めぐり大手前広場乗船場より堀越しに石垣の撮影

10年前はここから松江城を一周する堀川めぐりの乗船をしたが今回は日本100名城のスタンプラリーで天守の登城とスタンプが目的でした。

2022年6月 1日 (水)

続日本100名城・米子城の攻城

 米子城は「日本100名城」ではありませんが「続日本100名城」です。ウィキペディアによると、続日本100名城(ぞくにほん100めいじょう)は、数ある日本の城のうち財団法人日本城郭協会が2017年に定めた名城の一覧である。同協会が2017年に迎える設立50周年の記念事業の一環として、2016年に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募し、2017年4月6日の「城の日」に発表。2006年に発表された日本100名城に続くものとして選定を求める声があった。選定は約500城の候補から6人の専門家が行い、前回100選で史実に即して復元されていないとして落選した城も選定された。(ウィキペディア 続日本100名城)

鳥取県の「続日本100名城」の米子城跡を攻城して来ました。米子城は、山名宗之により砦として築かれたのが始まりで、中村一忠が慶長七年(1602)に本格的な城を築いた。石垣や礎石などは城郭の形態をよくとどめていることや米子城に関する文献・絵図資料なども数多く残っていることから 平成十八年に国史跡に指定された。 

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米子市教育委員会発行 国指定史跡 米子城跡より転載

撮影日5月16日

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山頂本丸へ15分の案内図を見て、二倍の30分間を想定する

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登山口に杖を発見して借用する、脚力の衰えを自覚、8:45

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不揃いの石段を上り始める、歩幅は狭く足も上がらずの鈍足

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標識が至る所にあり、目指す本丸へ攻城する進撃の気持ち

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石垣が現れる 久しぶりの登山は足の疲労が始まる、ご苦労さん

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崩れた石段、体幹が弱くなっているのでふらつくと危険個所

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高石垣を目指す上りの石段、気持ちと脚力が一致せず

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天守台の石垣が目前に現れる

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番所跡のベンチに座り込む

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天守台の石垣と登城への石段

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鉄御門跡 御天守の入口を厳重にかためる鉄張の堅固な門の跡

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本丸からの城下の風景9:15分頃 2倍の30分間で攻城

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天守跡からは秀峰大山・日本海・市街地・中海などが一望できる 

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米子市教育委員会 国指定史跡 米子城跡より

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天守の石垣は往時の姿をとどめている高石垣

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下山しながらもう一度 天守台に名残を惜しむ

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水手御門跡

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水手御門跡の標識

よろけたり、つまづきながらも無事に下山する 8:45~9:30まで往復45分間、案内図では往復30分の1・5倍の時間で続日本100名城の米子城跡の攻城でした。我が脚力衰えたりといえども目的完遂!!

2006年6月1日にブログを開設して丸16年、本日から17年目に入ります。

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