日本100名城No.71福山城
日本100名城No.71福山城は、築城400年記念事業の改修工事で天守には上れませんでした。スタンプと改修中の城を見て下城しました。
福山城は徳川幕府から西国鎮衛の拠点として初代藩主水野勝成が中国地方初の譜代大名として1619年(元和5年)、備後10万石の領主として入封し、1622年(元和8年)に完成した城です。当時、中四国地方、九州地方は外様大名が多く治めており、福山城築城にはそれらの外様大名たちを牽制し、再び戦を起こさないようにする役割がありました。以降、水野家5代、松平家1代、阿部家10代の歴代藩主を通じて、幕末まで福山藩の政治の中心にとなりました。
1873年(明治6年)に廃城となり、多くの城の建物が取り壊されました。さらに1945年(昭和20年)8月の空襲により国宝に指定されていた天守と湯殿も焼失することとなりましたが、その後、1966年(昭和41年)に市制50周年事業により天守と湯殿、月見櫓が復元されました。
2022年8月で築城400年を迎える福山城の改修工事「令和の大普請」が進んでいる。元の姿に戻そうと行われている大規模な工事には、地元・福山市民の熱い思いが込められている。( 福山城築城400年記念事業実行委員会より)
登城日5月21日
日本100名城に行こう公式スタンプ帳
日本100名城に行こう公式スタンプ帳の主な遺構と見どころ
令和の大普請御城印 福山城御城印は初代藩主の水野勝成と水野家5代の水野沢瀉(みずのおもだか)と阿部家10代家紋の鷹羽紋
福山城築城400年記念の金文字の御城印、5月20日は100日前、今日の6月22日はあと67日となる。
撮影日5月21日
立入禁止の看板 左下の矢印は初代藩主水野勝成像の案内⇦
福山城築城400年記念の改修工事中で思うような写真は撮れず
立入禁止の看板が遠くにある
改修工事中の天守閣の覆いを仰ぎ見ると取り外しが始まっていた
天守台石垣
徳川家康の譜代大名 水野勝成之像
初代藩主 水野勝成之像の解説板
東坂三階櫓跡と多聞櫓跡の明治時代の古写真と古地図
立入禁止区域が多く思うような遺構が撮れず
鏡櫓前の東坂
鹿角菜櫓跡(ふのりやぐらあと)
鏡櫓
鏡櫓
天守を覆う幕の取り外しが始まっていた
右下の案内矢印の案内に従い、管理事務所に行き、スタンプを済ませて御城印を購入して改修工事中の福山城を振り返りながら見所の遺構など満足な写真が撮れなかったが改修中ではやむ得ないと諦めている。400年記念日の8月22日まで今日からあと67日を数えることになっている。
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