日本100名城No.86大野城
日本100名城No.86大野城。大野城とは、大宰府政庁跡の北側背後に聳える四王寺山に築かれた古代山城である。城は亡命百済人の指導による朝鮮半島の築城技法によって造られた。 百済復興をかけ、663年に朝鮮半島で起こった白村江の戦いにおいて大和朝廷は、新羅・唐の連合軍に敗れた。連合軍が日本に来襲することを恐れた大和朝廷は、朝鮮半島から近い九州を中心に様々な防衛施設をつくった。そのうちの太宰府の北側の守りとして四王寺山(大野山)に築かれたのが朝鮮式山城の大野城である。
特別史跡 大野城跡 大野城市教育委員会 パンフレット
登城日7月13日
日本100名城に行こう公式スタンプ帳
主な遺構と見どころ
1350年前の古代山城
新羅からの来襲を防ぐ防衛網の一つ
最初の遺構は道路の右側に現れた百閒石垣
石垣の下に排水口
百閒石垣の標識付近からの百閒石垣(百閒:180mの石垣)
百閒石垣の説明
焼米ヶ原 大野城跡と四王寺跡説明板
焼米ヶ原 大野城跡四王寺跡の石碑
尾花礎石群
尾花礎石群
大野城跡 増長天地区の説明板
増長天地区の高床建物跡
増長天地区高床建物跡・四ヵ所と土盛・石垣・右奥に鏡ヶ池
手前の二ヵ所、石垣の奥二ヵ所の四ヵ所の高床建物(倉庫)跡
太宰府口城門 案内標
太宰府口城門跡
七世紀に造られた百閒石垣・焼米ヶ原・尾花礎石群・増長天地区・太宰府口城門跡などの古代朝鮮式山城の大野城跡でした。
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