日本100名城No.87名護屋城
日本100名城No.87名護屋城。天下統一を果たした豊臣秀吉は、大陸出兵を目指すようになった。その足掛かりとして朝鮮半島に近い東松浦半島北端に築かれたのが、名護屋城である。全国の諸大名も陣屋を築いたが秀吉の死によって文禄・慶長の役が終わると名護屋城は廃城になった。
登城日7月14日
日本100名城に行こう公式スタンプ帳
主な遺構と見どころ
豊臣秀吉好みの金色の御城印は五七桐紋、この御城印は名護屋城跡遊撃丸出土の五七桐紋飾瓦の拓本。右の朱色の御城印も同様です。
名護屋城跡と豊臣秀吉の朝鮮出兵の文禄・慶長の役の説明
名護屋城跡 是より攻城開始
東出丸跡
大手口跡
水手郭口跡
三の丸の馬場
本丸大手
本丸
本丸の石碑
本丸の説明
月斗の句碑
月斗の句の説明 太閤が 睨みし海の 霞かな
天守台跡 360度の大パノラマ
名護屋城天守台跡の石碑
天守台跡からの玄界灘の眺望
各大名の陣跡の説明図 佐竹義宜の陣跡も中央付近に見える
天守台跡 左横の本丸多聞櫓跡
搦手口
太閤道
名護屋城跡博物館内の黄金の茶室(金ノ御座敷)、三畳の茶室の柱・敷居・鴨居や壁・障子の骨、板も全て金。秀吉は名護屋城に運ばせ茶会を催した。
黄金の茶道具、台子や風炉・水指・茶碗・柄杓などの茶道具はいずれも金
派手好みの豊臣秀吉の金の茶室と茶道具の説明
秀吉の死後は文禄・慶長の役が終了して名護屋城も廃城となった。
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