初めて北の大地を走った義経号としづか号
北海道・小樽・手宮が起点となった北海道最初の鉄道・官営幌内鉄道では、アメリカから輸入された蒸気機関車たちが活躍しました。 京都鉄道博物館の梅小路蒸気機関車庫の1番車庫に動態保存中の「義経号」は明治13年(1880)はアメリカのH・Kポーター社から「弁慶号(さいたま市鉄道博物館に保存中)」とともに輸入された。輸入された全8両のうち、明治18年(1884)に6番目に輸入されたのが「しづか号」でこれらの三両の蒸気機関車が北の大地を初めて疾走した現存する鉄道記念物である。
撮影日2022年5月27日
義経号を動態保存する京都鉄道博物館・梅小路蒸気機関車庫
梅小路蒸気機関車庫左から右へ扇形の車庫①~⑳20両の蒸気機関車の機関車庫、左端の①車庫は一番存在感のある車番1番の義経号の車庫です。
車番1番の義経号 は1880年(明治13)にアメリカのH・K・ポーター社から輸入し、弁慶号(さいたま市の鉄道博物館に保存中)とともに北海道で最初に走った7100形蒸気機関車。1923年(大正12)民間工場の入換え用に払い下げとなり、改造されて働いていたが、国鉄開業80周年記念事業の一つとして、1952年(昭和27)国鉄鷹取(たかとり)工場で復原され、同工場で動態保存されていた。1991年(平成3)から2014年(平成26)までは交通科学博物館(大阪市。2014年閉館)に保存展示されていた。2016年より新設の京都鉄道博物館で展示。2004年(平成16)には鉄道博物館に指定された。(コトバンクより転載)
梅小路蒸気機関車庫の左端からの撮影
明治13(1880)年、幌内鉄道で最初に輸入された2両のうち1番という車番が与えられた車両です。義経号は幌内鉄道の旗機として、明治14(1881)年、明治天皇北海道巡幸の「お召し列車」を牽引しました。その後、大正14(1925)年、大阪府堺市の梅鉢鐵工所(後の帝国車両工業)に譲渡され、様々な改造が加えられて運用されていましたが、昭和27(1952)年に鉄道80周年を記念して元の姿への復元が行われました。その後、交通科学博物館(大阪市)を経て、現在は京都鉄道博物館(京都市)に展示されています。現在も自走可能な車両です。しづか号と同様に、鉄道記念物に指定されています。(小樽市総合博物館HP)
側面からの写真が撮れにくい保存位置でした
義経号の銘板、H.Kポーター社の製造番号368
キャビの「YOSHITSUNE」は撮れたが「義經」は撮れない
以下は2019年7月6日小樽市総合博物館で撮影の「しづか号」
撮影日2019年7月6日 小樽市総合博物館(旧鉄道博物館)の”しづかホール”(一階中央ホール)に1880年(明治13年)北海道の開拓期に最初の鉄道を走った1号機の「義経号」2号機の「弁慶号」に5年遅れてアメリカから輸入されたH・K・ポーター社製の蒸気機関車 車番が6号機の「しづか号」
撮影日2019年7月6日 小樽市総合博物館しづかホール
小樽市総合博物館「しづかホール」で保存展示されている車両で、明治18(1885)年、幌内鉄道で6番目に輸入された蒸気機関車です。ポーター社での製造番号は672番。鉄道国有化後は7100形(しづかは7106)という形式番号が与えられました。西部劇の世界から抜け出してきたような「アメリカン・スタイル」の外観で、ダイヤモンドスタックと呼ばれる大型の火の粉止めを付けた煙突や木製のカウキャッチャーが特徴的です。大正6(1917)年からは小樽を離れ、日本製鋼所室蘭工場で使用されていましたが、昭和27(1952)年に国鉄に返却されて元の姿に復元、昭和37(1962)年から当館の前身の一つ北海道鉄道記念館で保存されています。昭和38(1963)年に準鉄道記念物に指定、平成22(2010)年には鉄道記念物に昇格しています。(小樽市総合博物館HP)
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