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2022年9月

2022年9月30日 (金)

小淵沢小学校のC56 126

 北杜市立小淵沢小学校の校庭の隅にC56 126号機が屋根なし柵有りで保存されている。柵内にも樹木が生えて成長しているので十数年ほったらかしの保存状態と思える。保存場所から機関車の後方に小学校のプールが見える樹木に覆われた校庭の隅に位置している。ここで生涯初の苔の生えた保存機関車を目撃した。
撮影日2022年9月19日敬老の日

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雨上がりの日鬱蒼とした校庭の一角に屋根なし柵有りで保存

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見慣れない大型の集煙装置と大きい目のナンプレ

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柵の手前に「蒸気機関車のあらまし」学校らしい内容

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湿気が多い場所なのか、苔や雑草が機関車には張り付く

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スノープロウが外されて地面に置いてあるのは何故だろう?

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柵内にも樹木が生育しているのは長期間定期整備が無いようです

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キャビ内部の白色天井だけは汚れが無い唯一の個所

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柵内に松が生えている、露天保存で錆びと汚れでボロボロ

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柵内に生えた松と草と苔に包まれるC56 126

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くたびれ果てた昭和13年三菱神戸造船所製造の84歳の敬老の日

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動輪や主連棒にも苔が生える荒れようは「保存」ではなく貴重な蒸気機関車の「放置」であると言わざるを得ません。

2022年9月29日 (木)

小海線清里駅前 C56 149

 JR小海線の清里駅は多くの観光客が利用する駅です、駅の標高は1,275 mで、JRの駅の中で隣にある野辺山駅1345mの次に2番目に高く、また、山梨県で一番高い最北端の駅です。その野辺山駅との間の県境にはJR最高標高地点1375mがあります。
清里駅前に展示保存してある蒸気機関車 C56 149 号機は、高原のポニーの愛称でJR小海線沿線の高原野菜を出荷するなど地元沿線で活躍したSL。1941年12月~1972年12月まで31年間、長野鉄道管理局中込機関区(佐久市)に所属して地球を約37周を走行した機関車です。

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大きな樹脂屋根ありチェーン柵ありでホームと並行して展示保存

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2019年11月9日・10日清里駅前C56メイクアッププロジェクトにより修復塗装完了の履歴が説明板に記録されています。

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製造年月日:昭和13年6月28日 三菱重工業神戸製作所
米沢機関区→仙台釜石機関区→昭和16年中込機関区に転属し
31年間小海線を走り続け昭和47年10月に廃車

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整備状況は綺麗で良好です

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黄色塗装が目立ちます

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キャビに入れます、バルブコックとブレーキハンドルが黄色塗装

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キャビ内部は塗装が新しい

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運転席の直ぐ脇は清里駅のホームです

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助手席窓の外に清里駅に入る観光客が見えます

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入場券を購入して小淵沢方面登りホームから撮影

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ホームからは近くから撮影できます

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黄色塗装の安全弁や銅パイプの配管

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清里駅標高表示とC56 149

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野辺山駅方面のホームの団体観光客

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清里駅に到着したハイブリットカー

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小淵沢行が入線

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到着した小淵沢行ワンマン

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最後に清里駅前の展示保存、高原のポニー C56 149号車

2022年9月28日 (水)

野辺山・高原のポニーC56 96

 野辺山高原は開拓記念碑周辺の野鳥撮影の思い出が数多くある。野鳥撮影を始めた頃は真夏の高原野菜と夏鳥や紅葉の秋の高原を訪れました。厳しい冬の雪原に訪れた記憶が一番の思い出。真冬の野辺山高原は雪一色で高原野菜畑も道も野鳥も勝手がわかない中でフクロウの探鳥や珍鳥オオモズなどの撮影記録が過去のブログに掲載されています。

野鳥撮影開始から7~8年訪れた思い出の野辺山高原、小海線野辺山駅前の銀河公園に高原ポニーと愛称される蒸気機関車C56 96が屋根付きで保存。日本最高地点の小海線野辺山駅前の小高い丘の上に保存されています。

撮影日2022年9月18日

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小海線野辺山駅周辺の案内図

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南牧村美術民族資料館と並ぶ C56 96が屋根付きで保存

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野辺山駅前の小高い丘の上に鎮座している

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低いチェン柵の中に、保存は普通の状態、前照灯はシールドビーム_dsc8680-2_20220928095001

公式側

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国道141号線を背に撮影した非公式側には鉄骨の支柱

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非公式側の先頭に由来書き

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戦後は小海線で活躍したC56 96の由来

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煙室扉などに雨垂れ汚れが多少見られるが保存状態は並み

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昭和12年3月製造、昭和48年6月廃車、愛称「高原のポニー」

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運転助手側からキャビ内部

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小海線野辺山駅 標高1345mJR鉄道最高所駅です

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野鳥撮影の思い出の地に静態保存の蒸気機関車が加わりました。

 

2022年9月26日 (月)

茅野駅前のSL C12 69

  信州白樺峠のタカの渡りの帰路に遠回りして訪問した木曽路・奈良井宿のC12 199号機の次に向かったのは、中央本線茅野駅東口の駐車場前にに大きく傾斜した屋根付きでチェン柵内で保存され、整備の状態は定期的整備受けて極めて良好な状態で保存されている。大切に保存されているC12 69号機は地元の諏訪鉱山から茅野駅まで鉄鉱石の輸送で活躍した機関車です。

撮影日2022年9月18日

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中央本線茅野駅東口交通平場の30分間無料(30分以降は有料)の駐車場前に屋根付き低いチェン柵で囲まれて展示されているC12 69号機

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30分間無料駐車場に停めての撮影、屋根が前方に傾斜している

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シリンダーと動輪周りの塗装が細かく丁寧でした

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奈良井宿のC12は屋根なしで雨垂れ汚れがありましたここは・・・

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ここの整備状況は最良のようです

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公式側は屋根の鉄骨支柱がありますが整備状況は最良です

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公式側の右端に仕様と来歴などの説明板があります

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説明板には地元の鉱山から専用線で茅野駅まで輸送していた経歴

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後尾も綺麗に整備されています

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キャビ内部は覗けませんが計器類は揃っていると思われます

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紅葉が始まった植栽と撮影後に茅野駅から野辺山方面に移動です

2022年9月25日 (日)

奈良井宿のSL C12 199

 国選定重要伝統的建造物群保存地区の奈良井宿 SL C12 199号機の撮影と中央本線奈良井駅と奈良井宿風景の見所なのか写し処の三ヵ所巡り

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SL C12 199保存地、踏切の近くの奈良井宿の案内板

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上の案内板の拡大図、中山道六十七宿の奈良井宿

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松本行普通列車が奈良井駅の手前約1kmの踏切通過する処

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SLは南北約1kmの奈良井宿の南端、中央線の踏切の線路沿い

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踏切から約30m有料駐車前に屋根なし低い柵付きでで保存

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奈良井宿の南にC12 199、約1km北の宿はずれに奈良井駅

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奈良井宿C12蒸気機関車保存会により大切に保存されている

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有料駐車場から非公式側

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線路側からの公式側 説明板が入る

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C12 199の説明板 昭和12年製造 昭和49年廃車

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南北約1km奈良井宿、SLから約1km北にJR奈良井駅

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SLから北へ1kmの奈良井宿の北端にある奈良井駅

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奈良井宿駅切符売り場

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ホームの中山道 奈良井宿の看板

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奈良井駅を通過する特急「しなの」前方の山は鳥居峠方面

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松本行ワンマン列車の到着

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後方は昔の旅人の難所の鳥居峠、下車した旅行客は奈良井宿の方へ

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木曽路 奈良井宿の石碑

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奈良井宿の古い町並み 低い二階が前面にせり出している

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中二階が道路側にせり出し1階の小さな屋根が張り出している

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道の駅 奈良井木曽の大橋

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車を停めた道の駅 奈良井木曽の大橋に戻る

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参考になった、道の駅の奈良井宿の案内板

次のC12型の撮影に茅野駅方面に走り出す

 

2022年9月24日 (土)

せせらぎの湯と白骨温泉泡の湯

 乗鞍高原せせらぎの湯と白骨温泉泡の湯、タカ見の広場に登坂した9月15,16日の二日間は、午後二時半に撮影を切り上げて、せらぎの湯に直行しました。この無料の露天風呂は乗鞍岳の中腹から自然湧出している乳白色の温泉です。効能は
神経痛・筋肉痛・関節痛・疲労回復などです。登坂でパンパンに腫れたふくらはぎと疲れ切った大腿や重荷が食い込んだ肩などを白い乳白色の湯に、せせらぎの音を聞きながら、心身共に癒すことが出来ました。三日目の17日は乗鞍高原フォト散歩の後は昨年は定休日だった泡の湯立ち寄り湯の混浴へ初体験です。

撮影日9月16日

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「乗鞍高原せせらぎの湯」バス停左側の空き地に車を停めて温泉へ

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せせらぎの湯

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せせらぎの湯入口の注意書き

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コロナの注意や適応症などの表示と左が女湯、右側が男湯

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風呂桶が3つで湯船は大きくはありません。3人が一度に入浴すればいっぱいになります。無人の露天風呂に一人で満喫です。

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湯口には湯の花が付着して真っ白でしたが温泉は透明でした

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泉質は単純硫黄泉(硫化水素型)。昨年休日だった白骨温泉泡の湯露天風呂と同じように見えます。

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入浴後はススキの砂利道をバス停の空き地に停めた車に戻ります

三日目は乗鞍高原をフォト散歩後に白骨温泉泡の湯立ち寄り湯へ

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乗鞍高原観光センター駐車場から白骨温泉泡の湯に向かう

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トンネルの手前に道案内、1km毎にこのような看板あり

 

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9月17日 泡の湯本館

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泡の湯玄関

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泡の湯フロント

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営業日の9月17日 泡の湯日帰り入浴は本館右手の入口へ

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2021年9月の定休日に道路から撮影した泡の湯露天風呂

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外来ご入浴入口10時半の開場30分前から並んで10番目でした

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入浴料1000円と体温測定の受付、持込禁止でカメラはここまで

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新・泡の湯源泉の案内図のトリム

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成分と適応症

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泡の湯三本滝の露天風呂(泡の湯HPより)10時半から露天風呂へ、男女別の露天入口から老若男女問わず次から次とぬるい白濁の♨に入る、男性30~35名位、女性は夫婦で来られたご婦人が15名~20名位と数人の女性同士の若者、ざっと50名の露天風呂の混浴。思ったよりもぬるま湯で30分以上も肩まで浸かり、内湯の源泉で温めて12時まで、一時間半も温泉から出たり入ったりして癒す。

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昼飯は番所大滝の近くにあるそば処、合掌へ

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昨年と同じ手打ちの十割そばを注文

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店内に掲示してある番所蕎麦が出来るまで

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15分も待つと手打ちの十割そばを満喫して乗鞍高原に戻る

2022年9月23日 (金)

乗鞍高原からの乗鞍岳の眺望

 3日目の朝は2日間必死の思いで登った「タカ見の広場」では期待した成果が出せず、一旦タカの渡り撮影を休みにして、登坂のお疲れ休みにして乗鞍高原一ノ瀬園地周辺の散策をしました。乗鞍高原一ノ瀬園地は、標高1500mにある広大な美しい園地で、白樺が点在するススキの草原、小川のせせらぎ、まいめの池と乗鞍岳、どじょういけ池などの草紅葉があり、背景に乗鞍岳剣ヶ峰などの山々を撮り入れた高原風景のフォト散策を楽しみました。

撮影日9月17日

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ネイチャプラザ一ノ瀬の案内図

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ネイチャプラザ一ノ瀬と乗鞍岳の眺望

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乗鞍岳の主峰剣ヶ峰、右中央はコロナ観測所のある摩利支天岳

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大野川展望台からの乗鞍岳の山々

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座望庵付近の一ノ瀬園地駐車場からの乗鞍の山々

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タカ見の広場へ行くスーパー林道A線からまいめの池へ入る

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まいめの池と乗鞍岳の山々

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まいめの池と乗鞍岳

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スーパー林道A線の道案内と乗鞍岳

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どじょう池の入口と乗鞍岳

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どじょう池と乗鞍岳

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どじょう池からの乗鞍岳の山々、最高峰は剣ヶ峰2026m

 

2022年9月22日 (木)

17年目の白樺峠タカの渡り

 あらためて白樺峠の「タカの渡り」とは。春から秋にかけて繁殖したタカ類は、食料を求め暖かい地方(朝鮮半島・インドネシアやフィリピン近辺)へ渡って行きます。中部地方以北のタカ類が、乗鞍高原近辺の上空から上昇気流に乗って山を越えていく場所が「白樺峠」です。多い時には一日1日3,000羽のタカ類が観察されます。(乗鞍高原HPより)
今回の白樺峠の速報値は9月15日は165羽、16日は374羽でした。

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このタカ見の広場で17年前の65歳から趣味の野鳥撮影を始めてから、鷹の渡りで有名な白樺峠タカ見の広場へ、9月15、16日の二日間の17年目の登坂です。昨年も登り坂で苦労しましたが「継続は力なり」今年も懲りずに遠征しました。昔は上り坂のキツイ西ルートを640のレンズと大砲用の大型三脚と雲台などの重たい撮影機材をを担いで20分間の山登りでしたが、3年前から軽装備の撮影機材に替えて、登坂ルートも西ルートよりも坂の緩い北ルートです。山登りの歩幅はトレッキングシューズの長さと同じ短い歩幅となり、急坂では5,6歩上ると止まり足を休めながら、ノロノロ登坂と休憩を頻繁に繰り返して、坂の途中にある二ヵ所のベンチでの休息を楽しみに1時間以上かけてタカ見の広場に到着でした。
昨年からは
タカの渡りの撮影の楽しみよりも、山登りを克服する苦しさの苦行となりました。今年は更に辛くなり最初の急坂では、登るのを諦めて引き返そうと気弱な気が起きる程辛い足取りになり、「継続は力なり~継続は力なり」の呪文を唱えながら進みました。この時の想いは「鷹の渡りの撮影」どころではなく「タカ見の広場への登坂」が目的に変わり果、高齢化とともに体力(筋力)が衰え気力も衰えました。野鳥撮影で歳を重ね過ぎ無理を承知の登坂が実感でした。

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やっとたどり着いたタカ見の広場入口、冒頭の「タカ見の広場周辺路」が掲示してある場所近辺からの撮影、中央に聳えるのは乗鞍岳最高峰3026mの剣ヶ峰、右の山頂にコロナ観測所が白く見えるのは摩利支天岳です

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例年通りのタカ見の広場にあるタカが渡る方向の案内板です

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タカ見の広場の撮影風景

今年のタカの渡りの撮影はピントが甘く露出も良くありません、始めた頃よりも機材が貧弱になり、年々撮影も下手になりました。写真をトリムするとカメラの撮像素子(CMOSセンサー)のゴミ取りをしていないことが分かりました。結果は過去最低の撮影となりました。

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ハチクマ

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上のハチクマのトリム

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サシバ

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上のサシバのトリム

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タカ柱

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タカ柱

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ハチクマ

ご参考ですがタカの渡りの写真は過去のこれまでの結果をご覧いただきたいと思います。タカの渡りの写真を始めた初心者の頃、レンズはF4 600mmとカメラはD3で撮影した初期のブログの方がこの2,3年よりもよく撮れていると思います。

 

 

 

2022年9月14日 (水)

門司港 九州鉄道記念館のSL

 門司港 九州鉄道記念館のSL 長さ約180メートルの展示場に九州各地で活躍した歴代の実物車両(8車両)を展示している車両展示場の前から二両の蒸気機関車を主に見学した。ここは明治24年に九州鉄道の起点として誕生した。

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市営九州鉄道記念館西駐車場から下を覗く展示車の一部が見える

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駐車場から2分、門司駅から徒歩5分、中央ゲートの入口標識

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中央ゲートにある九州鉄道記念館の全館紹介
本館。九州の鉄道の歴史を実物、模型などで再現しています。そのほか運転シミュレーターなどがあります。
ミニ鉄道公園。九州で走っている列車を模したミニ列車(5台)を利用者本人が運転できます。
車両展示場。九州各地で活躍した歴代の実物車両を展示しています。

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車両展示場。先頭のSLは9600形の59634号車

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SLの二両目はC59 1

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EF10 35
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ED 721
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キハ 07 41
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クハ 481-603(本館入口前で後ろの二両は撮影省略)
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本館入口  九州鉄道記念館は、1891年に九州で最初にできた「九州鉄道会社」の本社として建てられた本館(通称:赤レンガ)
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本館内は駅弁販売の歴史の再現のみを撮して本館は終了

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9600型は初の国産貨物機関車で770両が作られました。その活躍の場は九州全域に及び、キュウロクの愛称で親しまれました。特徴は動輪上にボイラーあるため、車体高が高いことです。この機関車は昭和49年に米坂線から後藤寺機関区に転属してきました。遠くやって来た機関車はその番号から「ごくろうさんよ」とファンの間では呼ばれていました。筑豊地区で働いたのは1年足らずでしたが北九州地区最後の蒸気機関車の1両となっています。(九州鉄道記念館より)

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油で磨かれ黒光りしているので今にも走り出しそう

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59634号車の後尾

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日本国有鉄道 C59 1号
東海道、山陽本線の主力機関車として誕生。昭和31年に門司に配属され、寝台特急「あさかぜ」を始め、急行「雲仙」などに使用され、昭和37年には、熊本に転属。この年に誕生した熊本初の特急「みずほ」も牽引しています。昭和40年の熊本電化が完成した時点で、本線用で軸重が重く転属先がないことから廃車となりました。同型の9両は解体されましたが、この車両は準鉄道記念物として小倉工場で展示保管されていました。廃車までに地球62周分を走行しています。(九州鉄道記念館より)

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製造から81年、流石はJRの地元で綺麗に整備保管されています

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今にも走り出そうな姿を彷彿させる黒光りのするC59 1

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二両のSLを記録して九州鉄道記念館を後にした

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九州鉄道記念館のとなりは門司の車両

7月12日に横浜を出発して九州の日本100名城を福岡城から反時計回りに13城のスタンプラリーと数か所のSL保存地を撮影して、約3500kmを走破して7月19日に帰宅した旅の記録を今回で閉めることします。

2022年9月12日 (月)

志布志市鉄道記念公園C58112

 9月12日は「宇宙の日」だが自分には今日もブログの「鉄道に夢中」の日。

志布志駅から3分位の処にある旧国鉄志布志機関区跡の志布志鉄道記念公園に午前9時に到着するとC58112のシリンダーの砲金部分を金属磨きのピカールで磨いている人がいた。作業の内容を聞く、雨が降ると砲金部分が曇るので磨いているそうです。ここの定期保存ボランティアの一人で元国鉄マン、発足当時は45人いたが年々いなくなり今の仲間は20人になったそうです。

撮影日2022年7月17日

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駐車場からSL C58 112に向かうとホームの片隅に人が見えた

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シリンダーの砲金をピカールで磨いている高齢のボランティアさん

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蒸気機関車の履歴を見ると「旧志布志機関区OB」のSL保存会のボランティアメンバーと判明する。かっての志布志機関区は日南線、志布志線、大隈線の3路線が集まる交通の要衝にありました。

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1996年(平成8年)8月に完成した志布志町鉄道記念公園は、鉄道の歴史を後世に伝えるため C58 112、ヨ8951、キハ52 130の三両の鉄道車輛を展示して保存しており、旧志布志機関区OBによる保存活動ボランティアさんの整備により大切に保存されています。金属磨きのピカールを片手に砲金部分を磨いていました。

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志布志・日南・大隅線の歴史を記した説明板がありました。

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ここの保存状態は樹脂製屋根付き・低い柵付き・プラットフォームの上は鉄柵付き・信号機付きで、地元の志布志機関区OBによる鉄道ボランティアの整備で往時の姿を大切に保存中。赤いナンバープレートが輝くシゴハチの後尾にヨ8951+キハ52130を連結して保存。保存状態は最良と言えます。

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C58 112は1939年(昭和14年)製造で、1975年(昭和50年)に志布志機関区で引退した地元で活躍したシゴハチです。

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プラットホームに腰かけて整備中のボランティアさん

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公式側は遊歩道と道路

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綺麗な塗装のデフの上、砲金部分が磨かれて輝くエントツ

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砲金の汽笛と砲金部分が磨かれて光輝く

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赤いナンプレが光る、ホームの柵内やキャビには入れません。

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ピカールで磨く部分を移動しながら作業するボランティアさん

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公式側のシリンダーの砲金部分も磨かれている

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動輪・主連棒・連結棒なども綺麗に整備されている

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ブレーキの空気圧縮機と銅パイプなども磨かれていた

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手の届く見える部分は全て定期保全整備されているようです

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車掌車 ヨ8951

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キハ52 130

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三両の最後尾は キハ52130 三両のとも定期整備されている

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9:35 撮影後の帰路に車の運転席から最後の一枚をパチリ、公園保存のSL撮影で35分間も掛かったのはボランティアさんのお話を伺ったからです。次の日本100名城スタンプラリーは宮城県日南市の飫肥城に向かう。

このブログの特徴は必ずしも日付順ではないことです。カテゴリー別や気まぐれ順も多々ありです。

2022年9月11日 (日)

鹿児島車輛センターのカットボデイSL

 カットボデイのSLを初めて撮影したのは、2017年8月17日のブログ。北海道の「音更町大通公園の切開した48624」これは旧士幌線音更駅跡に釧路工場で研修用にボデイ左側をカットしたSLを記録に残している。
この日は早朝に前夜の雨が上がり朝6時25分に、鹿児島総合車両所(鹿児島車輛センター)正門に着くと、敷地内は開放されており目指すカットボデイのC5185が正門近くにありました。正門脇に「御用の方は右側管理棟1Fまでお越し下さい」の案内に従い広い敷地内に車ごと入所したが、受付はまだ閉ざされていたので、開くまでC51 85の傍で自車の中から撮影していると5分後に車で出勤してきた社員が、見慣れない車があると言いながら近づいて来たので「おはようございます。静態保存のSL撮影で横浜から来ました」と挨拶すると邪魔にならない内に車を出しなさいと言われて、車を降りてカットボデイの蒸気機関車の機関室内までを、6時35分まで約10分間撮影をしてここを訪問した目的を完了。

撮影日2022年7月17日曇りAm6:30

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正門近くの車輛センターにC51 85公式側のカットボディが見える

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炭水車も穴だらけにカットされていた

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上は石炭 下は水槽

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石炭8t 水17tの水と石炭の積載量テンダーのカット

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テンダーの脇にC51 85の仕様と履歴

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煙室扉からテンダーまでのボデイカットで穴だらけの研修教材

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シリンダーとピストン

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煙突までカット

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蒸気ドーム

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ボイラー周りは火室まで全てカット、ブレーキの空気圧縮機も

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キャビも穴だらけで中が丸見えにカット

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機関士側の窓からキャビの撮影

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キャビ内もカットして計器類が丸見え

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圧力計などの計器類に名称の標記

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圧力計の銅配管

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焚口戸の周囲には計器類の細い銅管が張り巡らされている

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車輛センターの線路側の非公式側、正面の煙室扉もカット

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非公式側の動輪がカットされているのがやっと見えた

鹿児島総合車両所のカットボデイのC51 85を10分間撮影して始業前の車両センターを後にして、九州自動車道から東九州自動車道で鹿児島県志布志市鉄道記念公園に向かう。

2022年9月 9日 (金)

肥薩線・矢岳駅・人吉市SL展示館

 7月16日にスタンプラリーで登城した熊本県の日本100名城No.93人吉城の人吉城歴史館は2020年7月の球磨川氾濫で水没した影響で閉鎖されていたので人吉城跡の歴史と地下にある井戸の遺構などは見学する事が出来ず残念でした。
人吉城跡の次に向かったのは、人吉駅から肥薩線で二駅目の矢岳駅、ここに「人吉市SL展示館」があることを事前調査で知りSL訪問地として目的地にしていた。

肥薩線は、熊本県八代市の八代駅から鹿児島県霧島市の隼人駅に至る九州旅客鉄道の鉄道路線である。山間の険しい区間の多い肥薩線の山線の中で、最も標高の高い場所(536,9m)に位置する駅。矢岳駅(やたけえき)は、熊本県人吉市矢岳町にある、九州旅客鉄道(JR九州)肥薩線の駅である。令和2年7月の豪雨の影響で現在までも八代ー吉松は営業休止区間となっている。人吉から矢岳駅まで営業距離約18kmの険しい山道の走行を車では、こんな山奥にSL展示館があることが信じられない程の峠とカーブの多い山間部を、肥薩線営業距離よりも大きく遠回りしながら1時間以上も走りやっと辿り着いたのが矢岳駅であった。

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人吉城跡の案内図、左上の隅に大畑駅の二駅目に矢岳駅が在る。ここに「人吉市SL展示館」があります。

撮影日2022年7月16日

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矢岳駅 古い木造の平屋建ての駅舎

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広い待合室はかっては利用客で賑わった幹線駅であったようです

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誰も居ない無人の駅は静まりかえりガラスに映る自分の姿に驚く 

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ワンマン列車の乗り方・降り方をトリム

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誰も居ないはずのホームに人影?ガラスに映る自分の撮影姿

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休止期間中の肥薩線矢岳駅、現在は一面一線のホームだが構内の敷地は広々している。最盛期には島式ホームがあった形跡もうかがえる、木材や木炭運搬の貨物線や引き込み線が存在していたようです

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人吉駅の次は大畑(おこば)二駅目に矢岳、吉松方面は真幸(まさき)、険しい山間部の肥薩線三駅は日本三大車窓に数えられる今は観光区間となっている

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矢岳駅付近の案内図、2020年7月豪雨により営業休止中

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訪れた午前10時半頃はシャッターは半開の状態でした

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緑ナンプレのD51 170号車が1両のみのSL展示館は無人でした

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以前はもう一両を展示していたスペースに動輪のみがありました

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SL展示館の割には整備と保存状況はあまりよくないようです

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炭水車の脇に隣のレールに動輪

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機関助手側の手前のランボート上に重油補助タンクと重油タンクを二基装備した重装備、D51170号機は石炭に加え、重油を燃やすことで発熱量を増やして急坂の峠越えを牽引したたSLです。

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D51では見られぬランボートの上、火室の脇あたりの重油タンクと蒸気溜めに繋がるパイプがある。石炭+重油で出力を上げた峠越えのための重装備

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重装備のデコイチの隣に乗車記念撮影のサービス
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いさぶろう・しんぺい 乗車記念、無人のSL展示館でしたが、この日の日付を見るとここを管理する方が居られる気配が感じられます。矢岳トンネルに掲げられている後藤新平の「引重致遠」の石額が目をひきます
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壁に手書きのD51のメカニズムについては、見学者向け?
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機関室を見学する階段はロープで入室を妨げていました
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窓が開いていた機関士側 キャブ内は薄い緑色の塗装
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キャブに入れないので85mmで窓の中の計器類圧力計を写す
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線路脇の人吉市SL展示館の外観、展と館テンカンが欠落してます
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最後にSL展示館前より矢岳駅駅舎ホームと構内の来館記念
見学者が自分一人だけの人吉市SL展示館、この日は日本100名城スタンプラリーの目的地である鹿児島城をナビに入力して険しい山道の峠を上り下り、難度の厳しい急カーブを何度も難度もハンドルを切りながら矢岳から鹿児島市街に向かう。

 

 

2022年9月 7日 (水)

JR最南端の西大山駅

 JR最南端駅・指宿枕崎線・西大山駅 (にしおおやまえき)は、 鹿児島県 指宿市 山川大山 にある、 九州旅客鉄道 (JR九州) 指宿枕崎線 の 駅 である。 鹿児島県最南端及びJR日本最南端の駅で鹿児島中央起点から56.7Km になる。
この日は晴天の午前中に熊本県の人吉城から日本100名城スタンプラリーを始めて、午後からは鹿児島城をスタンプラリー、鹿児島城跡で2008年のNHK大河ドラマ「篤姫」の天璋院篤姫の像と碑文を見て思い出し、篤姫のゆかりの地「薩摩今和泉」や指宿砂蒸し温泉と野鳥の宝庫「長崎鼻パーキングガーデン」、薩摩富士とよばれる開聞岳の撮影など過去に数回観光した指宿温泉方面にハンドルを向けてから、JR最南端の西大山駅の撮り鉄を思いつき、ここに午後4時半頃に到着すると撮り鉄と思われる旅人が7~8人と家族の車で駅に送迎されてきた地元の乗降客数人などで自然豊かな小さな無人駅周辺は16:55の普通列車が到着する時刻になると人々が動き出し活気のある時を迎えていた。

撮影日2022年7月16日 

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午後四時半の西日の中に薩摩富士と称される開聞岳を望む素晴らしい景観・JR日本最南端の駅・指宿枕崎線の西大山駅
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指宿枕崎線西大山駅はJR最南端の小さな無人駅
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西大山駅の案内板をトリム
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JR東西南北・最端の駅、北海道の最北端と最東端は制覇しているが二日前の7月14日に日本100名城スタンプラリーで長崎県の平戸城を登城しているが佐世保駅がJR最西端駅とは知らなく迂闊であった。
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7年前に三ヶ月間野鳥撮影と道の駅巡りで北海道に滞在した時、2015年6月2日撮影のJR北海道稚内駅の線路の終端表示、西大山駅ー稚内駅間距離3080Km、指宿枕崎線の終点 枕崎駅と最北端の稚内駅間の距離は3181Km
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西大山駅前に立つポストは、指宿を代表する花・菜の花の黄色で、幸せを運ぶポストです。黄色と言えば「幸福の黄色いハンカチ」(しあわせのきいろいハンカチ)の高倉健 と倍賞千恵子の映画を思い出す。

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乗客と撮り鉄ちゃんが待ちわびている列車のダイヤは16:55発上り鹿児島中央行

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指宿枕崎線の路線図が時刻表の隣に並ぶ

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JR九州の歓迎看板「ようこそJR最南端駅 西大山駅へ」

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16:55が近付くと撮り鉄が動き出します、撮影の邪魔にならないように手持ちで右柵に寄りかかりの撮影、前で三脚とスマホで撮影する撮り鉄の人が画面に入る。この人の前でしゃがんでスマホで撮影する二人は問題ない。自分の後の人達にはどのように映るのか気になる、撮り鉄のマナーではホームの三脚は違反かな?

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撮り鉄をカットして上り列車の入線と開聞岳とJR最南端の駅の標識

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逆光の中16:55発上り列車が到着します

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上り列車の発車時刻は駅の外からの撮影、二両連結の先頭車両は、キハ47 8125

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二両目はキハ47 9098号車、ワンマン運転で車掌はいない

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走り去る列車とホームの先端付近に人影が見える

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走る去った列車の跡に3人の撮り鉄ちゃんがホームに置き去り、時刻表では最終便の上り21:11まで上下であと5本の列車がある。

16:55の上り鹿児島中央行の撮影をしてから西大山駅を後にして次の日本100名城スタンプラリーの目的地、宮崎県日南市の飫肥城に向かう。
指宿市の野鳥撮影や観光で昔来た時は、2016年7月から始めた鉄道のカテゴリーはなかったので、今回が指宿では初の鉄道カテゴリーの撮影となりました。

 

 

 

 

 

 

 

2022年9月 5日 (月)

角館の武家屋敷・青柳家・石黒家

 本日の冒頭はサクラです。桜の想い出は桜撮影から野鳥撮影に転向した時、17年前の2005年5月4日の角館の桜の記録です。秋田県仙北市角館町の国の天然記念物にも指定される武家屋敷通りの黒板塀に映える貴重な角館のシダレザクラは約400年前、佐竹北家二代義明の正室が京都からお輿入れの時に持参した3本の桜の苗木が始まりといわれている。京都の香り漂うシダレザクラに負けじと角館町内をゆったり流れる桧木内川(ひのきないがわ)堤2kmにわたり桜のトンネルをつくるソメイヨシノが見事に咲き誇る写真も撮りました。17年前に角館のシダレザクラとソメイヨシノの2種類の桜を堪能した時の写真の一部です。

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17年前の5月、角館武家屋敷の黒板塀とシダレザクラ

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2005年5月4日の武家屋敷の枝垂桜

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2005年5月4日の桧木内川堤2kmの満開のソメイヨシノ

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17年前の5月4日撮影桧木内川堤の染井吉野桜のトンネル

さて、今回の主題はサクラの時期から3ヶ月以上過ぎた、新玉川温泉に向かう途中に角館武家屋敷・青柳家と北隣の石黒家を観光した2022年8月23日午前中の様子です。

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角館歴史村・青柳家見学入場券の表と裏

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青柳家の広い敷地と黒板塀と薬医門

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青柳家の薬医門、門はその家の位や威信を表すといわれた時代、上級武士にしか許されない重厚で格調高い造りの青柳家の誇りの門。

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薬医門の内側と井戸

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庭にある案内板と秋田県史跡 武家屋敷 青柳家
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屋敷の見学入口 秋田・角館の武家屋敷の中では、唯一、直系の子孫家族が母屋に住み続けております。住居として使い続けていますので、公開エリアは、屋敷全体の半分程度です。
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二代目当主・藤右衛門がみちのくの地に移り住んでから四百年。青柳家は、秋田・角館とともに永い時を歩んでまいりました。角館では、はじめ芦名氏に仕えた青柳家ですが、芦名氏断絶後は、水戸時代と同様佐竹氏の臣下となります。以来明治の世を迎えるまで、佐竹氏の忠実な家臣として仕え、主君の繁栄を支え続けました。(青柳家HPより)
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道路から撮影した三千坪の黒板塀の落ち葉などを掃除する人
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青柳家北門
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お隣の石黒家との境界、これより右は青柳家北門方向
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青柳家は時間の都合で全部は廻り切れず、一部の見学で終了。
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角館武家屋敷 石黒家の入館券

お隣の石黒家の見学 秋田・角館の武家屋敷の中では、唯一、直系の子孫家族が母屋に住み続けております。住居として使い続けていますので、公開エリアは、屋敷全体の半分程度です。しかしながら、ここ一軒のみ、随時、部屋に上がり、武家屋敷特有の内部を見学することが可能です。また、いつでもスタッフから、この屋敷の特徴などについて、口頭で案内説明を聞いていただくことが出来るので、角館の武家屋敷について理解しやすいと好評です。  

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石黒家の薬医門

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部屋の内部の案内説明は、随時行っており5~10分程度で、料金は入館料金に含まれ別途不要です。お一人様でも声の届く範囲であれば複数人同時にも行うことが出来ます。石黒家の案内サービス

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母屋は、角館に現存する中、最古と言われております。明治時代以降、ガラス窓を入れたり、土間にコンクリートを敷いたりしている箇所がございます。

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欄間に亀の透かし彫り

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亀の透かし彫りが投影されて白壁に映る

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庭の隅に生える大きな樅ノ木の説明で部屋の説明はここで終わる

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屋内に立派なお蔵

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この家に代々遺されてきた武具甲冑類

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この家に代々遺されてきた武具の刀剣、肥前国出羽守藤原行廣と槍は、十字槍河内守文殊包定

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雪国の生活道具などの常設展示品

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雪国の生活道具などの常設展示品

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茅葺屋根の材料と茅葺屋根の構造

広大な庭と屋敷の青柳家とお隣の石黒家を新玉川温泉の途中にまだ観光したことのない娘と孫の要望で駆け足見学でした。その昔桜を撮影していた頃は、京都土産の雛人形なども展示されていましたので、角館武家屋敷の観光は桧木内川堤サクラのトンネルなどが見られる時期がベストだと教えておきました。

 

 

 

2022年9月 3日 (土)

大分市若草公園のC55 53

 蒸気機関車の履歴と製造銘板などを見ると昭和12年(1937)に三菱重工業神戸造船所で製造され、地元の日豊本線を中心に活躍したC55 53号車。ネットのデータベース情報では、昭和46年(1971)に廃車解体されてしまったC55 53号機のナンバープレートと製造銘板を同型のC5546に付け替えたそうです。現在は大分市の若草公園に屋根付で、地元で活躍したC55 53として大切に保存されています。機関車の正面、デフとボイラーの間、煙突の上、機関室後部のテンダーの上などに、公園に遊びに来た子供のよじ登り防止用と思われる金網(武者返しの如く)が機関車の印象を変える程の姿になっています。

撮影日2022年7月18日

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C55 53号機の仕様と履歴

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金網で覆われた正面

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金網の武者返しのようなよじ登り防止金網

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機関車の側面にもよじ登り防止金網が張り巡らす

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デフと煙突などの上に、正面からもよじ登れない防止金網

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炭水車の上にも入れないように張り巡らされた金網

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金網の防護柵と真逆な、誰でも気軽に出入り自由な機関室でした

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機関室内部 水位計も圧力計も無事の様です

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焚口戸は閉まっていました

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二つのブレーキもあります

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機関室のスピードメーターもあります

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機関助手席側

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機関室の屋根と炭水車は金網で隙間なく塞がれています

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武者返し(忍び返し)のような金網の防護柵

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炭水車の後尾も忍び返し(武者返し)の様に見えました。

最後にC55形蒸気機関車の誕生と履歴を見て若草公園を後にした

 

2022年9月 1日 (木)

飯盛山と鶴ヶ城と綾瀬はるかの桜

 白虎隊聖地の飯盛山と江戸時代末期、会津戦争の舞台となった鶴ヶ城とNHK大河ドラマ「八重の桜」で「新島八重」の当たり役で有名になった女優の「綾瀬はるか」さんの「八重の桜(やえのさくら)」は、2013年1月6日から12月15日まで放送されたNHK大河ドラマである。2013年12月4日、鶴ヶ城にて綾瀬はるかさんの命名した新種の桜「はるか」の植樹祭が行われました。一年後の8月の盆休みに東北温泉旅行でこの「綾瀬はるか」さんが植樹した桜を撮影してきました。4年前には日本100名城スタンプラリーで鶴ヶ城のこの桜を観てきました。今年も無事に成長している八重の桜を撮ってきました。NHKの大河ドラマ「八重の桜」にちなみ、福島県では八重桜を復興のシンボルとしています。あれから9年後の今日でも綾瀬はるかさんのCMが目立ちます。 衣料・保険会社、家電、食品関係など生活に密着した大企業のCMが多い。美人女優も 今年で37歳になる、独身の「綾瀬はるか」さんは今年あたりは自身の花を咲かせるか、気になる野次馬の一人です。

撮影日8月26日

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飯盛山の名前の由来はこの山が飯をもったような形からついた。白虎隊が自刃した飯盛山の案内図。
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スロープコンベア、有料施設のコンベアベルトに乗って5人で飯盛山へ
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飯盛山にあった白虎隊二番隊の少年たちは、城下から上がる黒煙と火災を見て、若松城の落城と誤解して自刃を選択、19名の命が失われました。現在、その悲劇は今も伝えられ、飯盛山の麓にある墓地には自刃した少年たちの墓が並んでいます。
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勘違いにより悲劇的な最期を遂げた白虎隊。山頂にはそんな白虎隊19人の墓があります。この日もお線香が手向けられていました。
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白虎観音
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イタリアから白虎隊士自刃に贈られた記念碑
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白虎隊二番隊の自刃の地はこの右下
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飯盛山にあった白虎隊二番隊の少年たちは、城下から上がる黒煙と火災を見て、若松城の落城と誤解して自刃を選択、19名の命が失われました白虎隊が自刃の場所。
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鶴ヶ城の方向を眺める少年白虎隊士の石像が物悲しく思われます
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白虎隊自刃者中ただ一人蘇生した飯沼貞雄翁の墓
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壮絶な最期を遂げた白虎隊ですが、1人だけ一命を取りとめた人物がいました。彼の名前は飯沼貞吉。死にきれず苦しんでいたところを発見され、蘇生されます。彼の口により白虎隊の悲劇が世に伝えられた。
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飯盛山白虎隊が自刃した聖地を下山の途中にお堂があります
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側面から見ると「さざえ」の巻貝を模したお堂ですが、これがピサの斜塔に似ていると句碑がありました。
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二十年以上の昔イタリア観光でピサの斜塔に上りましたが「さざえ堂」と比べ物にならない規模の観光名所でした。この句碑は大げさ過ぎると思われます「天高し ピサの斜塔と さざえ堂」の句碑を見て飯盛山から約3kmの鶴ヶ城へ向かう。
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赤瓦をまとった会津鶴ヶ城は日本で唯一、赤瓦の天守閣は独特の存在感がある

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鶴ヶ城の城主は、徳川の時代に京都守護職として活躍した松平容保(まつだいらかたもり)が有名ですが、会津を収めた六家の城主は葦名(あしな)・伊達・蒲生(がもう)・上杉・加藤・保科・松平と数多くの大名が会津若松を治めた歴史があります。他の日本100名城では見られない数多くの城主の変遷です。

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天守閣入口方向へ

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石垣と武者走り

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撮影日8月26日撮影 鶴ヶ城(会津若松城)の入口
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御城印は右上から、蘆名・伊達・蒲生・上杉・蒲生・加藤・保科・松平家の家紋、右のピンク色は御城印の袋
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「赤べこ」の印は御城印とセットになっている祈疫病終息
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天守閣に近い西出丸の駐車場から本丸広場へ
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左に鉄門(くろがねもん)と千飯櫓からの鶴ヶ城天守
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天守には4年前にも登閣したので今回は娘と孫の番です
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天守最上階の五階の娘と孫二人
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八重の桜「はるか」と綾瀬はるかさんのメッセージ
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福島復興の象徴となった綾瀬はるかの八重の桜「はるか」は植樹された当時の木枠は外されて順調に成長していました、メッセージと天守閣を同時に入れました。
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8年前も4年前も変わらぬ、東北大震災から福島の復興を祈念した直筆の「綾瀬はるかさんのメッセージ」です。
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植樹された翌年2014年8月のお盆に撮影の綾瀬はるかさんが命名した新種の八重桜「はるか」の8年前の写真です。

植樹された木の隣には、綾瀬さん直筆のメッセージプレートが設置されています。

この桜は福島の復興の象徴としてみなさんの思いが未来へ大きく羽ばたいていくような思いも込めて「はるか」と命名した桜です。
復興への願い、復興に励まれる福島のみなさんの生活、夢や希望に満ち溢れた子どもたちの成長をこの鶴ヶ城から八重さんと一緒にいつまでも見守っていて下さい。
そして、子どもたちの成長とともにいつか立派な花を咲かせ、入学式や入社式など新たな門出を迎えたみなさんを祝福して下さい。
福島の復興、みなさんの思いが実を結びます様に、心より祈念しております。

綾瀬はるか 平成二十五年十二月四日

「はるか」はおよそ10年後に咲く予定となっています。来年は植樹後10年になりますので福島の復興と「はるか」の開花が待ち望まれます。

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