満洲開拓団の地図と小説「地図と拳」
集英社の「地図と拳」著者 小川哲(おがわさとし) 今年の直木賞受賞作品をAmazonから取り寄せてみた。直木賞と芥川賞の受賞作品の書評を新聞で読んで、直木賞受賞作品「地図と拳」の歴史空想小説の舞台が亡父の遺品である満州開拓団地図(後掲する手書きの地図)の舞台である「満州」であった内容に強く惹かれたからである。
79年前の敗戦の一年前、1944年(昭和19年)四歳の時に国策に応じて、新潟港から父母と三歳の妹と一家四人で満州国牡丹江市郊外(ソ連と満州国境の近く)に開拓民として入植、翌年7月には戦局の悪化から父は開拓団からの現地召集となり、父親が不在の1945年8月9日ソ連軍の対日参戦と8月15日の日本軍の降伏による敗戦で満州の開拓民は捨てられた棄民となり、敗戦から四ヶ月間満州を飢えと寒さで彷徨い、食うや食わずの末にやっとたどり着いた朝鮮半島の釜山港で奇跡的に父親と再会してから引揚船で博多港に命辛々辿り着いたのは敗戦から四ヶ月後の昭和20年12月であった。5歳児の記憶は朧で定かではないが来月で83歳になっても、読後の感想は満州とは何だったのか、その答えがあるような気がしたが何だか判らない、地図は国家や国土を表し、拳は争いや戦争を表すことだった。
我が家の蔵書で一番厚い「広辞苑第七版」は3188頁厚さ80mmである。蔵書で二番目の分厚さになったアマゾンから届いた書籍代2420円、厚さ40mmもある分厚く本文625ページ、巻末に参考文献をあげているが、参考文献だけで8ページもあり、数えると151の出版物の羅列がある。この大作をブログ作成の合間に一週間かけて読破した。亡父の地図に参考になるや否やで地図の出現を辿ったが一枚の地図も挿絵の無い633頁の大作であった。
直木賞受賞後に購入したが帯は候補作のままであったが購入後の宣伝は受賞作品の帯がついている。
発行元の集英社の著作と著者紹介とあらすじ
【第168回直木賞受賞作】【第13回山田風太郎賞受賞作】「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野……。奉天の東にある〈李家鎮〉へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。ひとつの都市が現われ、そして消えた。日露戦争前夜から第2次大戦までの半世紀、満洲の名もない都市で繰り広げられる知略と殺戮。日本SF界の新星が放つ、歴史×空想小説。【著者紹介】小川哲(おがわ・さとし)1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。『ゲームの王国』(2017年)が第38回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞。『嘘と正典』(2019年)で第162回直木三十五賞候補となる。
亡父の遺稿である満州・牡丹江・入植開拓団の地図
この地図は亡父の遺品の地図である、牡丹江市の南の寧安を中心に描いた入植した開拓団の位置と思われる。当時5歳児のいた満州開拓は辛い記憶しかなかったので親不孝にも戦後は亡父母からは開拓団の様子を聞き損ねたので、満州開拓団を知ろうとこの「地図と拳」の大作を読破したが、625頁の本文には一枚の地図もなくタイトルの「地図と拳」に期待を裏切られた気持ちが読後の一番の感想となった。
日露戦争から第二次世界大戦と長い年月の満州にある都市とそれに関係した人たちの空想物語であったが都市の建設が主題で当時の満州の地図がなかったことや私が期待した満州に入植した開拓団の苦労や歴史は、作者の参考資料からの知見では知る由もなく止むを得ないと思われる。フィクションの空想小説ありながら領土や資源を奪おうとする戦争を「地図」と「拳」の関係に重ね合わせながらの直木賞受賞は流石です。本文が参考にならなかったが参考文献151冊の中のタイトルに未読の満州開拓団の著書が4~5冊あるのでこちらの情報が有難いと思う次第。
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