病者の祈りとフクロウの回想
コロナ禍になってからは2020年7月以降から今日まで約3年間は北海道への遠征は中断しています。ブログを始めた2006年6月から毎年野鳥撮影旅行をしてきた北海道遠征はコロナ禍が始まった年にも諦めが悪いのか、未練がましく一度目の2020年は4月は一週間の滞在をしたがコロナにより道の駅スタンプラリーは中止となっていました。この時は北海道便のフェリーは往復ともがら空きでした。
「病者の祈り」は十年前は月に一度の診察と4種の調剤明細書をいただく都度に何気なく見てきた。現在も待合室の一番目立つ同じ処に掲示されています。この詩にあやかって自分もこのような含蓄ある詩を生み出そうと無謀にも思いましたが能力不足と脳力の劣化は否めず、何も浮かびません。この十年間は毎年のように劣化する体力・気力の衰えを自覚していましたが、自分が知らぬ間のボケの進行なのか、脳力の衰えを自覚していませんでしたが近頃は直前のことまで忘れっぽくなり、この症状を脳力の衰えと自認するようになりました。
「病者の祈り」
大事を成そうとして力を与えてほしいと
神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった
より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
よりよきことができるように
病弱を与えられた
幸せになろうと
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧因を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるように
命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ
ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に刻まれている詩
十年前から気になっているこの詩は、Fクリニックの待合室の壁に掲示されている額の中にある詩である。タイトルは「病者の祈り」とあるがいつの間にか「賢者の祈り」と読み替えている通院患者の自分がいました。これもボケなのだろうか?
一番人気のある新緑のエゾフクロウ親子
このブログで一番アクセスが多い新緑のエゾフクロウ親子です
巣立ち直前のエゾフクロウ親子です
撮影日2015年5月24日 親子の会話?
雌親が洞から出ていきました洞に残された幼鳥
近くの枝から巣立ちを促す親
巣立ち直前の幼鳥です
梟(ふくろう)は、森の賢者といわれます。森の時を見つめる大きな目、首をかしげて思案する姿が、賢者の佇まいを. 感じさせるからかもしれません。 一方で、愛嬌あふれる仕草やとぼけた. 表情はなんとも親しみやすく、身近な隣人を思わせます。また、ふくろうは、福篭(福がこもる)または不苦労に通ずるとして、幸福と安心を呼び込む縁起の良い鳥ともいわれます。アイヌや西洋の国々では神話や伝説に数多く登場し、昔から、森を護る最高の神や智恵の神とされてきました。
フクロウは語呂合わせや当て字で次のように言われています。
「不苦労」…苦労を知らず
さらに「ふく」という読み方からはじまっているので「福来」という福がくる意味も込められています。
「不老長寿」…ふろう、から繋がっている
「福来郎」…福が来る
「不苦老」…不老は不老長寿
「福籠」…福を一つにまとめる籠
「袋」…知恵袋
「福路」…旅行の安全、人生の幸福
このように様々な当て字がありますが、どれも縁起が良く幸福を招くとされています。こんな編集は惚(とぼ)けなのか、呆(ぼ)け なのかボケには分からない。
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