八年ぶりの新横浜ラー博支那そばや
現役時代の若い頃はJR新横浜駅まで朝の急ぎ足で7~8分で行けたが、この3年間コロナ禍で北海道遠征は出来なかったなどの閉じこもりによる運動不足が原因なのか、それとも加齢による老化なのか?駅まで歩くには足腰が痛くなり休み休み、のそりのそりと足取りが重く20分以上も掛かるようになった。帰路はいつもタクシーのお世話になる終活老人となってしまった。
そのためか安易に流れるように、易(やす)きにつくようになった。野鳥撮影を面倒に思うようになり、GW前の平日に8年ぶりとなる地元の新横浜ラーメン博物館へ昼食とフォトルポに出かけてきた。ラーメン博物館の記事はブログの記録を確認すると前回は8年前の2015年1月に小学生時代に夢中になって遊んだ「貝独楽(ベーゴマ)の想い出」となっていた。
撮影日2023年4月27日
新横浜ラーメン博物館の建物 駅からここまで徒歩、時間は正午
ラー博のシンボルとラーメン博物館入場口 シニア100円
入口のラーメン店の立て看板などの前をすり抜ける
ラー博の1階のラーメンとは?読むのが面倒くさいの通り過ごす
ラー博1階 チャルメラおじさんとラーメン屋台、昔TVで見た?
ラー博1階売店 全国のご当地ラーメン
ラー博1階支那そばやのお土産売場 目的は土産品ではない!
地下1階の鳴門橋方面の看板付近より階段下の夕焼け広場
地下1階の支那そばや 行列に並ぶが最後尾は下のこむらさき前
4月25日~5月15日期間限定の復刻「鵠沼醤油ラーメン」
「ラーメンの鬼」異名を持つ支那そばや創業者故佐野実氏のレシピ
平日の12時過ぎに行列に並んでから20分、座席で待つこと10分でラーメンが目の前、3週間限定復刻の「鵠沼醬油ラーメン」1400円 具材 山形県平田牧場「三元豚バークシャー」のバラチャーシュー。現在は穂先メンマですが、当時使用していた台湾産の短冊メンマ、九条ネギ、有明産の海苔を使用。
スープ 当時のレシピをもとに、佐野氏が食材探求のきっかけとなった名古屋コーチンと蔵王土鶏(香鶏)の丸鶏、豚は当初から変わらず平田牧場のげんこつ、背ガラ等を使用。その他、ホタテ干し、羅臼昆布、数種の節類を使用します。
途中からスープでチャーシューを煮る事で厚みが加わります。
麺 佐野氏が初めて使用した北海道産小麦「ハルユタカ」を使用。
この「ハルユタカ」は、当時病気に弱く激減した事から、2000年より後継品種の「春よ恋」が台頭します。それ以降、「春よ恋」を使用していますが、今回は復刻支那そばやの為だけに、当時取引していた江別製粉の協力のもと、「ハルユタカ」を主体として当時の麺を再現しました。「ラー博支那そばやのHPより」
スプーンで残らずスープまで完食しました、値段1400円の醤油ラーメンとしてはスープとバラチャーシュー思っていたよりは濃厚でした、メンマと九条ネギはまあまあの食感あり、海苔の味は覚えていない、肝心の麺は期待していたよりも物足りない(価格の割には)感じでした。昔食べた記憶もない?個人の感想です。
完食後にスタッフが直ぐ後片付けに来た満員の支那そばや店内
支那そばやの顔写真 故佐野実氏の魂宿る ラーメン史に残る一杯
自家製麺・国産小麦の普及、厳選素材など、いまでは当たり前に語られるようになりましたが、そのパイオニアは「支那そばや」創業者の佐野実さん。ラーメンの歴史書があるとするならば、100年後、200年後に必ず語り継がれる職人です。
今回は支那そばやの原点となる鵠沼時代のらぁ麺を、佐野さんが当時書き留めていたレシピをもとに3週間限定で復刻します。佐野さんの創業時の想いが詰まった伝説の一杯をこの機会に是非お召し上がりください。「ラーメン博物館HP」
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