早乙女とセイタカシギ
地元神奈川県では田植には5月中旬から6月上旬と思われます、舞岡公園の小谷戸の田植えもボランティアと市民参加の公開田植えが毎年6月上旬に行われていますが昔さながらの早乙女姿の田植姿も見られます。3月下旬の石垣島では殆どの田んぼは田植えが終わっていました、その田植が終わったばかりの早苗に六羽の可愛いセイタカシギが群れていました。赤と黒が絣姿と赤い襷に幻想なのか錯覚なのかそれとも遠い郷愁なのか早乙女に重なって見えました。明日は昭和を振り返る日です、ガイドの小林さんにはこのような日本の原風景とも言える石垣を案内していただきました。
植えたばかりの早苗にも脚の長いセイタカシギは容易にまたいでいます
今度は群れの全体を撮ったつもりが五羽でした
ようやく六羽がそれぞれの採餌をしている様子をカメラに収めました、これでも石垣では遅い田植のようでしたが奇麗な水が光輝き早苗もセイタカシギに見守られてスクスク育つと思われる南国の田んぼです。
最後の写真は24-120のレンズで撮りました、田んぼの後ろの草地の黄色い花もきれいに見えます。ところでこの小さな田んぼの隅は不揃いの早苗なので手植えのように見えます。
最初の写真は田植え直後と思われる田んぼにいた六羽のうちの三羽を撮りました、早苗の緑と脚の赤が映える田園の野鳥風景です、その昔早乙女が絣の着物に赤い襷や赤い手甲・脚絆で田植えをしている姿を彷彿してしまいました、古き良き時代の早乙女による田植えの幻想でしょうか、今日では日本各地で復活してきた田植えのイベントでしか見られない早乙女の姿を石垣でセイタカシギで置き換えて見るのは夢幻を見るようなものです。今日は前書きよりも後ろの駄文が長くなりましたがついでに続けます、早乙女は日本人の姓ですが有名なところは時代小説でご存じ!天下御免の向う傷、額の三日月の刀傷(昨夜は偶然にも三日月でした)直参旗本、早乙女主水之介の黒羽二重の着流し蝋色の鞘の名刀、素足に雪駄ばきに深編笠のお馴染みの市川歌右衛門を思い出します、TV時代になって息子(次男)の北大路欣也に引き継がれて親子二代で早乙女主水之介を演じたのが時代劇愛好家の思いで深いものがあります、ついでに苗の早苗は井関農機の田植え機「さなえ」もそうですが、昔職場に島根県から上京された早苗・美苗の美人姉妹を思い出しました、姉は早苗妹は美苗さんです、妹の美苗さんにはまだワープロが無かった時代に自分のカナ釘流の資料や文書を清書してもらっていました。早苗さんの前は俊子さんその前は七枝さんでした。島根県出身で昨年定年になった後輩が今実家に帰り田植えの時期になったと便りが来ました、三十数年前に故郷を出てから60歳を過ぎての農作業の手習です、あっぱれ者です。農道や畦道は路肩が柔らかいのでトラクターの転倒事故報道も聞いていますので、彼には田植え機などの機械操作の機会が多いのでお怪我のないようにと自省を込めて昨夜メールを入れました。
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