白虎隊聖地の飯盛山と江戸時代末期、会津戦争の舞台となった鶴ヶ城とNHK大河ドラマ「八重の桜」で「新島八重」の当たり役で有名になった女優の「綾瀬はるか」さんの「八重の桜(やえのさくら)」は、2013年1月6日から12月15日まで放送されたNHK大河ドラマである。2013年12月4日、鶴ヶ城にて綾瀬はるかさんの命名した新種の桜「はるか」の植樹祭が行われました。一年後の8月の盆休みに東北温泉旅行でこの「綾瀬はるか」さんが植樹した桜を撮影してきました。4年前には日本100名城スタンプラリーで鶴ヶ城のこの桜を観てきました。今年も無事に成長している八重の桜を撮ってきました。NHKの大河ドラマ「八重の桜」にちなみ、福島県では八重桜を復興のシンボルとしています。あれから9年後の今日でも綾瀬はるかさんのCMが目立ちます。 衣料・保険会社、家電、食品関係など生活に密着した大企業のCMが多い。美人女優も 今年で37歳になる、独身の「綾瀬はるか」さんは今年あたりは自身の花を咲かせるか、気になる野次馬の一人です。
撮影日8月26日
飯盛山の名前の由来はこの山が飯をもったような形からついた。白虎隊が自刃した飯盛山の案内図。
スロープコンベア、有料施設のコンベアベルトに乗って5人で飯盛山へ
飯盛山にあった白虎隊二番隊の少年たちは、城下から上がる黒煙と火災を見て、若松城の落城と誤解して自刃を選択、19名の命が失われました。現在、その悲劇は今も伝えられ、飯盛山の麓にある墓地には自刃した少年たちの墓が並んでいます。
勘違いにより悲劇的な最期を遂げた白虎隊。山頂にはそんな白虎隊19人の墓があります。この日もお線香が手向けられていました。
白虎観音
イタリアから白虎隊士自刃に贈られた記念碑
白虎隊二番隊の自刃の地はこの右下
飯盛山にあった白虎隊二番隊の少年たちは、城下から上がる黒煙と火災を見て、若松城の落城と誤解して自刃を選択、19名の命が失われました白虎隊が自刃の場所。
鶴ヶ城の方向を眺める少年白虎隊士の石像が物悲しく思われます
白虎隊自刃者中ただ一人蘇生した飯沼貞雄翁の墓
壮絶な最期を遂げた白虎隊ですが、1人だけ一命を取りとめた人物がいました。彼の名前は飯沼貞吉。死にきれず苦しんでいたところを発見され、蘇生されます。彼の口により白虎隊の悲劇が世に伝えられた。
飯盛山白虎隊が自刃した聖地を下山の途中にお堂があります
側面から見ると「さざえ」の巻貝を模したお堂ですが、これがピサの斜塔に似ていると句碑がありました。
二十年以上の昔イタリア観光でピサの斜塔に上りましたが「さざえ堂」と比べ物にならない規模の観光名所でした。この句碑は大げさ過ぎると思われます「天高し ピサの斜塔と さざえ堂」の句碑を見て飯盛山から約3kmの鶴ヶ城へ向かう。
赤瓦をまとった会津鶴ヶ城は日本で唯一、赤瓦の天守閣は独特の存在感がある
鶴ヶ城の城主は、徳川の時代に京都守護職として活躍した松平容保(まつだいらかたもり)が有名ですが、会津を収めた六家の城主は葦名(あしな)・伊達・蒲生(がもう)・上杉・加藤・保科・松平と数多くの大名が会津若松を治めた歴史があります。他の日本100名城では見られない数多くの城主の変遷です。
天守閣入口方向へ
石垣と武者走り
撮影日8月26日撮影 鶴ヶ城(会津若松城)の入口
御城印は右上から、蘆名・伊達・蒲生・上杉・蒲生・加藤・保科・松平家の家紋、右のピンク色は御城印の袋
「赤べこ」の印は御城印とセットになっている祈疫病終息
天守閣に近い西出丸の駐車場から本丸広場へ
左に鉄門(くろがねもん)と千飯櫓からの鶴ヶ城天守
天守には4年前にも登閣したので今回は娘と孫の番です
天守最上階の五階の娘と孫二人
八重の桜「はるか」と綾瀬はるかさんのメッセージ
福島復興の象徴となった綾瀬はるかの八重の桜「はるか」は植樹された当時の木枠は外されて順調に成長していました、メッセージと天守閣を同時に入れました。
8年前も4年前も変わらぬ、東北大震災から福島の復興を祈念した直筆の「綾瀬はるかさんのメッセージ」です。
植樹された翌年2014年8月のお盆に撮影の綾瀬はるかさんが命名した新種の八重桜「はるか」の8年前の写真です。
植樹された木の隣には、綾瀬さん直筆のメッセージプレートが設置されています。
この桜は福島の復興の象徴としてみなさんの思いが未来へ大きく羽ばたいていくような思いも込めて「はるか」と命名した桜です。
復興への願い、復興に励まれる福島のみなさんの生活、夢や希望に満ち溢れた子どもたちの成長をこの鶴ヶ城から八重さんと一緒にいつまでも見守っていて下さい。
そして、子どもたちの成長とともにいつか立派な花を咲かせ、入学式や入社式など新たな門出を迎えたみなさんを祝福して下さい。
福島の復興、みなさんの思いが実を結びます様に、心より祈念しております。
綾瀬はるか 平成二十五年十二月四日
「はるか」はおよそ10年後に咲く予定となっています。来年は植樹後10年になりますので福島の復興と「はるか」の開花が待ち望まれます。
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