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2022年4月14日 (木)

「80歳の壁」の次は未知の壁

 一週間前の四月七日、朝日新聞13判の書籍の広告で一番大きい紙面、B3半開きの全面広告15段に幻冬舎文庫の春まつり「新刊」の広告10刊の中で、全面広告の1/3を占める下から1段~5段に「80歳の壁 老年医学・精神科医 和田秀樹」のモノクロの広告が目に入った。

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4月7日の朝日新聞朝刊から切り抜いた新刊書の広告

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タテ168mm X ヨコ378mmの広告はA4プリンターのスキャナー取り込みでは2ページの取り込みとなりました。この広告を一目見て興味が湧き、早速8日にAmazonに注文しました。70代からの自分の生活習慣と比較して「はい」と「いいえ」などで「同感」するか「否か」どうかで分類すると全てが「はい」ではなかったが「いいえ」か「わからない」が十項目くらいあったがいつもの衝動買いで注文して仕舞いました。

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翌日届いた青帯の宣伝が際立つ、現物の「80歳の壁」表と裏表紙です

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帯を外して表と裏表紙をスキャンしてみました。以下は裏表紙の文言の内容です。

人生100年時代だが、健康寿命の平均は男性72歳、女性75歳。80歳を目前に寝たきりや要介護になる人は多い。「80歳の壁」は高く厚いが、壁を超える最強の方法がある。それは、嫌なことを我慢せず、好きなことだけすること。「食べたいものを食べる」「血圧・血糖値は下げなくていい」「ガンは切らない」「おむつを味方にする」「ボケることは怖くない」等々、思わず膝を打つヒントが満載。70代とはまるで違って、一つ一つの選択が命に直結する80歳からの人生。ラクして壁を超えて寿命を伸ばす「正解」を教えます! (裏表紙の文言)青字の部分は自分の生活習慣と異なることや未体験ゾーンなど。

本書を読み始めたが自分は既に「80歳の壁」をクリヤーして2年も経過していること。男性の平均寿命81・64歳を3月7日でクリヤーして満82歳になったばかりである。連れ合いも4月10日におなじ満82歳になり、夫婦揃っての足し算は満164歳を迎えて二人とも心身ともに自立して、男性72・68歳、女性75・38歳の統計上の健康寿命をクリヤーしており余裕をもって「80歳の壁」は超えているが初めて読む、老年医学・精神科医の和田秀樹先生の診断と同じであったかどうか気になることを早読みで較べてみることにしました。

まず最初に老いを受け入れ、できることを大事にすることが、「幸せな晩年」と「不満足な晩年」の境目になると説いています。そして、80歳を超えた人は高齢者ではなく「幸齢者」と呼ぶことを提案しているが駄洒落で最初に面食らいました。自分だったら健康寿命の「康」やすらか・こう の「康齢者」を提案します。
「プロローグ 80歳の壁を越えていく」の中で気になることが数か所ありました。統計データの説明では「死亡数」年齢別になくなった人の数を調べたものです。最も多くの人が亡くなった年齢は男性85歳、女性90歳でした。(平成17年調べ)2021年の発表では85歳以上の男性が208万人、90歳以上の女性が192万人もいるのです。・・・現在満82歳1ヵ月となりましたので、85歳まであと3年で統計的に男性が亡くなる方が多い年齢に達します。旅立つ準備の終活を急がねばなりませんが一方では85歳以上の男性208万人の仲間に入る願望も強く湧き出してきます。

「80歳を過ぎたらガンがある。それに気づかない人も多い」

「認知症は必ずやってくる。ならないいまのうちにしたいことをする」

 「人生百年時代」 最も気になったこの三項目

80歳の壁を超えてから願望と重荷の両方がのしかかるという。80歳を超えたことは喜ばしいことだが「長生きしなければならない」という呪縛のような願望にかかってしまう。その呪縛を解くヒントを本書から見つけることにしたい。
今よりもかなり心身ともにに充実していた70代になる前は、夫婦ともども毎年半日の人間ドック通っていましたが70代以降は近所のクリニックの定期健診で過ごしてきました。生活習慣病の高血圧・高血糖・コレストロールなどの治療で定期的に月一で通院を始めて生活習慣病の治療薬を毎日飲み始めて12年になります。生活習慣病の治療薬を飲み野鳥撮影で80歳の壁を超えたともいえます。二年前までは毎年三ヶ月間の北海道遠征旅行などを5年連続で滞在していました。
2年前からのコロナ禍では二ヵ月一度の通院で二ヵ月分の治療薬をいただいて12年目に入っても同じ薬を続けている。二ヶ月毎の通院で毎回血圧と血糖値を計りその結果に一喜一憂してきました。血圧は毎日飲んでいる薬のおかげなのか130~150程度でこの十年間はあまり心配はなく過ごしてきた。チクリと指先に刺して血液の小さな滴をメーターが読み取る血糖値測定器では、血糖の基準値(下限値~上限値60~109)は毎回とも上限値を超えて赤字で表示されています。HbAIc(4.6~6.2)は上限値6・2を超える機会が多く、稀に基準値6・2以下の基準内がある程度。これほど血糖が悪くても甘いものは避けることが出来ないので何でも口にしいます。「食べたいものを食べてよい お酒も飲んでいい」結果的にその通り実行しています。 

和田先生の「80歳を過ぎたら我慢をしない」という生き方だ。がんにならないために食べたいものを我慢したり、好きなお酒(ビールしか飲まない)やタバコ(吸ったことがない)を控えたりすることもない。むしろ好きなこと(野鳥撮影など)をして気楽に生きるほうが、免疫力が高まることも分かっており、がんの進行を遅くするという。認知症は必ずやってくる 今のうちにしたいことをする、ことを勧めている。 認知症は病気というより「老化現象」に近いものであり、年を取ると誰にでも起こる症状だというのだ。認知症の発症年齢のデータを示している。60代で1~2%、70代前半で3~4%、70代後半で10%、80代前半で20%を超え、ここから一気に増える。 80代後半で40%、90歳で60%、95歳では80%となる。「死ぬまで認知症にならなかった」という人は、認知症になる前に亡くなっただけのこと、と書いている。 そこから導かれる結論も「どんどん好きなことをして、楽しく生きること」。そのことによって脳は刺激を受け、活性化し、認知症の発症を遅らせることは可能だという。この本の一番気に入ったところ。 

 和田先生はどんな医師を選ぶかが晩年の幸・不幸を左右するとして、良い医師選びが大切だという。近所のFクリニックの先生は十数年もかかりつけ医としてお世話になっていますが、自分では良い医師に巡り合ったと自認しています。コロナ禍になってからは1回目から3回目までワクチン接種もこのFクリニックからの連絡で予約から接種まで済ませています。常にお世話になっております。

糖尿病の治療がアルツハイマー型認知症を促進するという驚くべきことを書いていますが一般に「糖尿病の人はアルツハイマー型認知症になりやすい」と言われていますがこれから先の運命は未知の世界です。未知に迷うか道を誤るかは宿命に従うしかありません。

 日本人の平均寿命は、男性が81.64歳。女性が87.74歳(令和2年調べ)。3月7日に82歳を超えたので、これまでは幸せであった。これから先は「未知の壁」

 

 

 

2022年4月 9日 (土)

花祭りの日に總持寺御朱印

 四月八日は仏教の開祖お釈迦様のお誕生日です。横浜市港北区篠原町の曹洞宗天宗山東林寺(檀那寺)へ花御堂のお釈迦様に甘茶を掛けに参拝に行きましたが 例年ならば本堂の前に設置されてるはずの花御堂がありません。コロナ禍でしょうか。
東林寺から直ぐに鶴見の曹洞宗関東大本山 總持寺の花御堂に向かいました。

總持寺でまず最初に目にした注意書きは、「墓参りや年回忌法要などのご参列は可能(人数制限)ですが、その際マスクを着用するなどの予防対策をお願いします。その他の来山はご遠慮いただきたくお願い申し上げます」いきなりの不安です。

4月8日撮影 まず始めは空振りした当日の東林寺の様子です

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曹洞宗天宗山東林寺山門

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山門からの正面石段上の本堂への桜の参道を進む

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午前9時半頃 本堂前は人影なし

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昨年は本堂で写経の会が行われていました本堂前のここに花御堂が置かれていましたが、一昨年は本堂内は静かでコロナ禍で花御堂はありませんでした。今年は一昨年同様に本堂前に花御堂はありません。歳をとると諦めが早くなりました、それではと向かったのは・・・

東林寺を出てから30分後には曹洞宗大本山總持寺の大駐車場にいました。

2022年4月8日撮影

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總持寺総合案内の境内案内図

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三門正面「立ち入りを当面の間禁止といたします」の赤字書き

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左から明峰素哲禅師 太祖 瑩山紹瑾禅師 二祖 峨山韶碩禅師

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太祖瑩山禅師・二祖峨山禅師・明峰禅師 銅像の銘

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向唐門(むかいからもん)と桜(散った河津桜と右は染井吉野)

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三松閣 法事以外は立ち寄り禁止でした

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総受付の香積台前の七00回大遠忌

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香積台(総受付)の桜

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当日の香積台入口前のお知らせ(山内でコロナ感染の模様)

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香積台内部の入口大黒天、時節柄おさすりを遠慮する

総受付の御朱印受付の老師より貼り付けの御朱印をいただく

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花御堂の場所を確認するとコロナで一般公開はしていないとの事でした。總持寺内部の行事として太祖堂(仏殿は改装工事中)で釈尊降誕会を行うそうです

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参拝記念の三寶荒神・大黒天・准胝観音(じゅんていかんのん)・文殊菩薩、
准胝観音は仏教における信仰対象である菩薩の一尊、御姿は千手観音に似ている。

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目的の花まつりの花御堂がありませんので香積台に祀られている大黒尊天をお参りしきました。

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太祖堂、お釈迦様のお誕生日をお祝いする太祖堂に花御堂をしつらえて釈尊降誕祭が行われるそうです。コロナ禍で一般客は見学出来ません。

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休館中の宝物殿前の雲水の群像

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雲水群像正面の銘

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雲水群像は寶物殿前に建立されました。雲の行くまま、水の流るるままの拓鉢遍路をして精進する僧の「雲水群像」です。

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境内の桜が咲き誇る時から北上を始めたこの時期に

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歩き始めた駐車場前のロータリーに戻りましたが雀が太祖瑩山禅師像の頭に止まっていました、これを怪しからんと見るのか、小林一茶の句「我と来て遊べや親のない雀」を彷彿させる光景と見てしまいました。

4月8日のお釈迦様の御誕生日に花御堂の小さなお釈迦様に甘茶を濯ぎに来ましたが目的を果たせずにコロナ禍の境内を6300歩のフォト写歩(シャンポ)で帰宅しました。

 

2022年3月10日 (木)

やっとクリヤーした平均寿命






「老後に起こるトラブルの多くは、今から健康を大切にすることで回避できます。老後の大きな経済損失は医療費と介護費だからです。個人が一生涯に負担する医療費の実質額は約200万円。さらに介護費用となると、自宅介護を選ぶ場合でも、5年間で約500万円かかります。これらの負担が、年金収入しかない70歳を過ぎると一気にのしかかってくる。老後資金を減らさない最善の防御策は、心と体の健康を維持していくことに尽きるのです」

そう話すのは、老後問題解決コンサルタントとして、これまで1,000人以上の相談を受けてきた横手彰太さん。

「定番ですが、ウオーキングなどの適度な運動、質の高い睡眠、栄養バランスのとれた食事を心がけて、病気をよせつけないこと。老後に向けて今から毎日、心身ともに健康な自分を作る意識をもつだけで、トラブルが起きたとしても、ダメージを小さくできるのです」

そこで、次に紹介する75〜90歳以上までの注意点をもとに、人生後半戦に高まるリスクを把握し、病気とお金の両面から今すぐにでも対策を始めよう。

75〜79歳

病気:認知症の6割以上を占めるアルツハイマー病の発症者が急増する【※1】

お金:夫の介護が始まる【※2】

【※1】預貯金がおろせなくなることも…家族信託や任意後見制度が安心

50歳前後から脳に蓄積したタンパク質のゴミが、神経細胞を死滅させていくことで発症。認知症の6割以上を占める。現在、根治的な治療薬はなく、脳活性化リハビリの非薬物療法と認知機能障害に対する薬物療法が行われる。介護保険を使用しない場合、外来医療費が月3万9,600円(厚生労働科学研究と慶應義塾大学の研究チーム試算)。

「認知症で預貯金がおろせず財産凍結する前に、家族信託や任意後見制度を検討しておくべきです」(横手さん)

【※2】自宅介護だと5年で500万円民間施設利用で2,000万円かかる

介護施設に入る平均年齢は85〜90歳だが、介護状態になる人は、75歳の後期高齢者以降に増加。3人に1人が要介護認定者になる計算だ。突然、夫を介護する老老介護が始まるかもしれない。

「平均的な家庭で自宅介護を5年間するだけで約500万円が必要といわれています。また、民間施設に入所するとさらに上乗せされて、介護費用の合計は2,000万円に上昇します」(横手さん)

老老介護は心身ともに疲弊する。公的な介護施設に入れる選択肢があれば、夫婦お互いにとって幸せなケースも。とはいえ、高齢者の10%は亡くなる間際まで元気な状態で過ごしているという事実も覚えておきたい。

「多少の病気は抱えながらも、健康寿命を延ばす生き方を目指してください」

■85歳では認知症の有病率が5割超え!

■80〜84歳

お金:夫が平均寿命を迎える/認知症で財産が凍結する

■85〜89歳

病気:認知症の有病率が5割を超える/サルコペニアになる【※3】

お金:介護施設に入所する

※3】介護リスクを先延ばしにするなら今すぐ生活習慣の改善と運動を!

「サルクス(筋肉)」と「ペニア(減少)」の造語。

「年齢とともに低下する筋肉量は、70代でひざや腰を患い活動量が減ると低下のペースが速まり、介護予備群のフレイル(虚弱)に。しかし、筋肉は何歳になっても鍛えられるのです」(医療経済ジャーナリスト・室井一辰さん)

今すぐ適度な運動、質のいい睡眠、栄養バランスのとれた食生活、社会的に孤立しない環境を作ることで「サルコペニア→フレイル」の悪循環を断ち切り、介護リスクの上昇を少しでも先延ばしにしよう。

■90歳以上

病気:寝たきりになる

50歳以降は病気と医療費との闘い! 今すぐそなえて穏やかな老後を迎えよう

女性自身2021年8月2日のWeb記事より転載

 

2021年12月23日 (木)

篠原八幡神社冬至の日

 真か嘘か800数十年の歴史のある地元の郷社である篠原八幡神社は日本の神社100選にも選ばれている由緒ある神社です。冬至の日の出が拝殿の神鏡に入ることでも有名です。12月22日の日の出とともに鳥居の中にオレンジ色の太陽が顔を出す。この鳥居から入射した光が拝殿の御神体の鏡に入り光輝く冬至の日。・・・のはずだったが2015年の冬至から当時の篠原八幡神社の宮司が代替わりしてから、冬至の日に神鏡に入光した陽光は拝めなくなり、拝殿の閉じたままのガラス戸に冬至の日の出が映るようになった。ガラス戸に映る陽光の遥拝となった。
12月22日冬至の日、新横浜の日の出は6時:47分。八幡山に鎮座する篠原神社の冬至の日の出を拝める時は、6:53から7時まで1分毎に篠原神社の鳥居に入る日の出と拝殿に映る冬至の陽光と境内の光景です。

日の出前の篠原神社拝殿
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日の出1分前(6:46)寒々している篠原神社
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日の出1分前の鳥居の方向、東の空が明るくなってきた、八幡山の丘の上に在る篠原神社の日の出は・・・
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鳥居に日の出の瞬間6:53、拝殿への入光を振り返り見る人
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6:53 閉じたままの拝殿のガラス戸に冬至の日の出が反射
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6:54鳥居から入る日の出を撮る人、拝殿への入光を見る人

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6:55鳥居からの冬至の光が参道を走る
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6:56 鳥居からの光が益々明るくなるが逆光で眩しい
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6:56 拝殿の方向は順光で明るく撮れるが鳥居の太陽は逆光
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6:57 眩しい冬至の日の出、カメラにも逆光の証が写る
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6:57 拝殿の撮影は順光、光はガラス戸から屋根の瓦に
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6:57 カメラも逆光が眩しく写る
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6:58 鳥居の中からの遥拝
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6:58 明るくなった拝殿の参拝者も増える
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6:59 鳥居から入る冬至の日の出が光り輝く
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7:00 冬至の日の出ショーが終演に近づく
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7:00 拝殿への光線
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鳥居の脇に在る冬至の日の石碑

この日は衰え始めた身体に融通が効くようにと願って、冬至に湯治の思いで柚子湯に入り風邪を引かないように、腰痛が治るように融通が利くように語呂合わせの縁起担ぎです。冬至に食べるカボチャは子供の時のトラウマ(母親が天婦羅で事故る)なので普段から敬遠しています。冬至に「ん」のつく食べ物を食べると運を呼び込めるという縁起担ぎがあるそうです、うどん・カンテン・ナンキン南瓜など。

 

2021年6月 5日 (土)

湯沢から鎌倉へ結の蔵

 11年前に一番下の孫・小2(7歳)翔君と桜が咲き始めた春休みに臨済宗・鎌倉五山(建長寺・円覚寺・壽福寺・浄智寺・浄妙寺)をお参りした時の今小路にある鎌倉五山第三位壽福寺(じゅふくじ)の11年前の山門の写真です。この時は今小路の「結の蔵」の存在は知りませんでした。

今回の主題は日本酒が飲めない、25歳からビールを飲み始めてビール一辺倒の一生と思われる小生が飲めない日本酒の酒蔵に縁があったお話です。
このブログが縁でITとCADに精通しているコンサルタントのハトコとメル友になる、
祖父同士が兄弟で、親同士が従兄弟(いとこ)で自分とは六等身の縁戚関係になる「再従兄弟:はとこ」です。彼は廃業する前までの秋田県湯沢市の高久酒造の銘酒「小野之里」を取り寄せて愛飲していたそうです。この高久酒造酒蔵が古都鎌倉に「結の蔵」として17年前に移築再生された資料を一年前に頂いていました。
今回は孫の練習ドライブに鎌倉・今小路の建造物は寿福寺しか記憶にないのでナビにここを運転練習の目的地にした。

 

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大学一年生(18歳)となり春休みに運転免許をとりましたので、私の七人乗りのホンダ・スパーダで翔君の運転で初心者マークを付けて鎌倉までドライブをして来ました。運転席に身長180cmの新米ドライバー、隣の助手席に運転歴60年のベテラン爺さんです。久し振りに爺としての孫の面倒をみました。私の祖父は明治10年に本籍地の秋田県湯沢で誕生して、私が荒川区三河島で誕生した6年前に他界しておりますので祖父を知りません。

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普段貼っている高齢者マークの代わりに初心者マークを前後に貼ってのドライブです。(運転席に少し覗いているのは高齢者マーク)

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6月2日、家から小一時間で約30kmの今小路の寿福寺に到着、当日の寿福寺総門は団体の観光客(見学ツアー?)で蜜でした。門前にある駐車場に駐車して本日の目的地の結の蔵へ徒歩で見学へ、今小路を鎌倉駅方面に向かって歩き出す。

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ここは巽神社 寿福寺から200m 鎌倉駅まで400m

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巽神社前の今小路の案内表示、鎌倉駅方向へ⇨結の蔵へ約30m

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今小路の隣は横須賀線、四輪車通行不能の今小路の歩行者と二輪の踏切

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今小路踏切から鎌倉駅ホーム方面、新宿湘南ライン上下線の待機線にNEX車輛

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今小路に面してここが結の蔵、説明板が見える、重そうな土蔵の戸前が開いてある

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結の蔵の民家再生奨励賞の下に由来の説明板、酒蔵の今は賃貸住宅

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結(ゆい)とは、主に小さな集落や自治単位における共同作業の制度。一人で行うには多大な費用と期間、そして労力が必要な作業を、集落の住民総出で助け合い、協力し合う相互扶助の精神で成り立っている。(ウイキペディアの結の説明)

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結の蔵正面の右側は「0設計室」の移築再生設計事務所 詳しくは下記

URL:http://www.o-sekkei.com/

タイトル:一級建築士事務所 O設計室:民家再生・新築住宅 (o-sekkei.com)

 

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左側はファブラボ鎌倉、21世紀型の学習環境を促進する実験工房

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今小路を観光客を乗せた人力車が通る鎌倉の風景に馴染む結の蔵

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今小路より路地に入り、結の蔵左側面の写真

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結の蔵左側面二階の扉 結の蔵移築再生の一部始終 👇

「結の蔵、民家移築再生はこうして行われた 高久酒造酒蔵」

www.o-sekkei.com/works/photos/04_yuinokura/yuinokura.html

結の蔵は元々秋田県湯沢市の銘酒「小野之里」で著名な高久(たかく)酒造の酒蔵であった。移築前の蔵から発見された棟札には明治21年と記されており大正14年の湯沢市大火や地震・風雪に1世紀以上耐えてきた蔵である。2尺(60cm)間隔に並んだ5寸5分(17cm)角の栗や桧の柱、長さが10間(18m)もある1本物の杉丸太の棟木など構造は雄大であり状態も良かった。さらに大火から蔵を守った厚さ1尺(30cm)の土壁や3か所の巨大な戸前(蔵戸)の仕上げも見事であった。座敷になっていた部分に使われていた総漆塗りの格子戸も精緻なデザインで魅力的だった。

昨年7月北海道の帰路に湯沢図書館でコピーしてきた湯沢の酒造小史

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湯沢図書館の収蔵本。 現在、湯沢市には、日本酒をはじめとした酒類を製造する蔵元が4社あります。全国的に酒の消費が減り、酒蔵の数も年々減少しています。湯沢市も例外ではありません。かつて、最盛期には20を超える銘柄が湯沢の繁華街でも楽しめたものです。今もなお、先人から受け継がれた味を守りながらも、時代を先行する美酒を醸し続ける蔵元です。両関酒造「両関」、秋田銘醸「美酒爛漫」、(株)木村酒造「福小町」、秋田県醗酵工業「一滴千両」の四社です。

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ゆざわの 酒造小史 1頁目は藩政時代、2頁に明治時代、3頁に大正時代、4頁に昭和(現代)の酒造の小史、この2頁の明治時代に高久多兵衛(高砂)は髙久家の本流で「多兵衛」は長男家が継承する屋号でした。高久多吉(小野之里)は分家で次男家の屋号です。40年以上昔に生前の父の指示で湯沢市の東山寺に参拝して本家を訪問した時には酒造業は廃業しておりましたが分家多吉の「小野之里」は繁盛している様子でした。

湯沢図書館で閲覧した「湯沢市史」の第二章 酒造 の685頁に「明治七年湯沢町柳町の高久多吉が母方である帯屋市兵衛酒造店を継ぎ小野之里を売出し名声たちまち遠近にきこえ、年を逐うて需要が殖えていった。」の記述後に
「同年前森町伊藤仁
右衛門が酒造店を開業し両関を出した」の記述もありました。

孫の運転練習のコースは、横横高速を朝比奈ICで下りて鎌倉霊園の曲がりくねった上り坂を通り、鶴ヶ岡八幡宮で若宮大路を左折して、二の鳥居前で若宮大路を右折して新米ドライバーに難しいすれ違いがやっとの狭い道に入り、小町通を横切り、鎌倉駅の手前の横須賀線踏切を渡り今小路に出て右折して結の蔵を素通りしてから北条政子・実朝の墓がある鎌倉五山第三位の寿福寺に無事に到着した。今小路を徒歩で鎌倉駅方面に歩き寿福寺から3~4分約250mの結の蔵へ、移築再生した酒蔵は、今小路に堂々と構える遠い親戚の高久酒造の酒蔵でした。
帰路は鶴岡八幡宮の横を通り、一般道の走り方を教えて45分で家路に無事着き爺としての役目を果たしました。

書き忘れました、酒好きだった父親への供養に、苦手な日本酒を死ぬまでに一度は飲みたいと思います。それも秋田県湯沢の日本酒を!

2021年5月27日 (木)

思い出の赤銅の皆既月食

 昨夜は3年ぶりの皆既月食を期待して準備していたが曇り空に阻まれて撮り損ないました、2018年2月1日のブログ「3年ぶりの皆既月食」以来のブログを書き損ないました。七年前はタカの渡りの撮影地でも皆既月食を撮影していますので、その時の皆既月食の写真で当時を懐かしく思い出しました、以下は七年前の皆既月食を記録したブログのタイトルは「一週間前の皆既月食」一部です。

 月が地球の影にすっぽり隠れる皆既月食が8日夜、タカの渡りを撮影に行った渥美半島の田原市赤羽根の「道の駅あかばねロコステーション」で観測した。赤銅色に染まった満月が秋の夜空に浮かび、幻想的な天文ショーを楽しんだ。この日は新横浜の自宅に連絡を入れると新横浜では雲が邪魔して赤黒い月が黒い雲の中から僅かにしか見えない怪奇月食を悔やんでいた。
 道の駅あかばねロコステーションで夕食を済ましたあとに、ふと見上げた東の空に白い薄雲が流れ、顔をのぞかせた月は時々黒い雲に隠れてしまい、折角の天体ショーが完全には見えないが月の食が進んでいる感じがするので昼間のタカの渡りや午後からのオオアジサシの撮影に使用した600mmと三脚、カメラD7100をトランクから持ち出して駐車場にセットした。
観測地の赤羽根は電照菊の産地でもある。7日早朝に国道42号を浜松ICから伊良湖岬に向かう途中で暗闇に浮かぶ電照菊栽培のビニールハウスをいくつも見てきた、中には赤色の電球で暗闇に浮かぶ赤色のハウスもあった処である。駐車場の隣は赤羽根漁港であり、漁を終えた漁船が繋留されていた。
ここで見上げた月に白い薄雲が流れ、時々雲が月にかかる。撮影開始したのは午後6時40分ごろ既に半分が欠けた月であった。7時20分すぎには地球の影にすべて入る皆既状態になり約1時間、赤黒く光った後、再び元の満月に戻った。9時40頃まで約2時間野鳥撮影の器材で久し振りの天体ショーの撮影であった。この日は観測しやすい時間帯ということもあり、赤羽根の駐車場ではサーファや若い男女が車の中からスマホで皆既月食を撮影している姿もみられた。

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皆既月食は赤銅色になる

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2014年10月8日 皆既月食、撮影地愛知県田原市赤羽根

 

2021年5月 1日 (土)

古いニュース・弘前城公園の花筏

 最近は老後崩壊の風が吹き始め年々老活やら終活の未来の望みが薄くなり、現状はコロナ禍の巣籠でホームステイの現在は生活の楽しみが乏しくなり、鳥撮り16年・ブログ開設から15年の積み重ねにより過去の記録だけは豊富にある。このブログも三千六百回以上更新して、写真は四万七千枚以上公開したが過去はあまり思い出せないが後悔はしていない。PPK100(ピンピン生きて100でコロリと逝く)目指して、余生の波に身を任せ、漂いながら勝手気ままに老活の海を航海してみたい気がする。天声人語ならぬ独断と偏見人語の夢なのか現(うつつ)なのか。
さて、20年前の二昔の2001年6月退任後の翌年2002年から2005年までの4年間は桜の名木と名所撮影の「桜活」が趣味であった。2005年3月から野鳥撮影の「鳥活」に宗旨替えした年でもあるが桜への未練が残り、2005年5月4、5,6日と「みちのくの三大桜名所」青森県弘前市の弘前公園、秋田県仙北市の角館、岩手県北上市の展勝地の3ヶ所のうち角館のサクラと弘前城公園のサクラ観光旅行へ出発した。先日は角館武家屋敷のシダレザクラと桧木内川堤のソメイヨシノ桜のトンネルをNHKの古いニュースのように、16年前にタイムスリップしたブログを公開したが今回は弘前城公園しか見られない花筏の特集です。桜が北海道へ北上する本州最後の桜名所、日本三大桜名所(吉野山の山桜・高遠城址公園のタカトウコヒガンザクラ)と弘前城公園のソメイヨシノ。弘前城は日本に現存する12天守の一つ、現在は天守下の膨らんだ石垣の修理で天守閣は2014年から曳屋で移動されていますが、修理移動前は赤い下乗橋と天守閣と🌸の撮影が名所となっていた弘前城公園桜撮影の名場面は過去のブログで公開済なので今回は散った桜の花筏にスポットを当てました。弘前城の濠は三方に三重に巡らされ、潔く桜が散り始めると一面が花筏で染まる有名な外濠と内濠、ボート遊びに興じる人々と緩やかに流れる花筏が見られる西側の西濠で囲まれております。外堀通りにある「津軽藩ねぷた村」の駐車場に車を入れての観光のはじまりでした。
過去の記憶を顧みて、現在のコロナ禍を生き抜き、緊急地震速報に身構え未来を想い、時空を超えた旅に思いを馳せる。



撮影日2005年5月4・5・6日

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外濠に面した津軽藩ねぷた村の駐車場に車をとめて、外濠の🌸吹雪の中を歩きながら外濠を埋める桜の畳なのか絨毯なのか花筏を見て現(うつつ)を抜かす。 

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外濠の花筏、サクラ色の絨毯のような花筏は満開後数日間しか見られない貴重な瞬間、横浜から角館武家屋敷経由でのみちのく観光の絶景を満喫したのがほんの数年前のように思える。名物の花筏でボケたのか?

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桜吹雪の散り際を楽しむ観光客と外堀通りの花筏

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外濠を埋める夕方の花筏

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夜間の花筏 D2Xの内蔵ストロボでは光量不足のようです。

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古木の桜と昼間の外堀通りの花筏

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外濠の水面に映る桜と春風に舞い散る桜と花筏

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外堀通りを桜の散り際と花筏を愛でながら観光する

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外濠の1/2に花筏と堰

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外濠の行灯と花筏

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散る桜 散った桜は 花筏

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ゆったり流れる外濠の花筏、花の命は短く、時の流れは早い

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下乗橋からの曳屋前の天守と石垣の花筏

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内濠、奥に下乗橋、右に曳家前の天守、石垣の下に花筏

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夜間の下乗橋と花筏

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早朝の石垣の下で内濠を清掃をするボートと花筏、白鳥が餌を求めて近づく

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西濠の遊覧ボートと花筏

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西濠の花筏はボートの波に七変化

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内濠の花筏は、まだ、まだら模様

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内濠の花筏は春風に押されてどこえ行く

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内濠の花筏は流れに添って山盛り、花盛もありのようです。

16年前の弘前城公園でしか見られない名物の花筏、時空の旅は如何でしたか。天守が元の石垣の上に戻る2023年以降の花筏の時季が待ち望まれます。

 

2021年4月29日 (木)

角館武家屋敷と桧木内川の桜

 またまた16年前のサクラの未公開写真です。今年は場所によっては桜の開花が1~2週間早かったが、16年前5月4日の秋田県仙北市角館町の国の天然記念物にも指定される武家屋敷通りの黒板塀に映える貴重な角館のシダレザクラ。約400年前、佐竹北家二代義明の正室が京都からお輿入れの時に持参した3本の桜の苗木が始まりといわれている。京都の香り漂うシダレザクラに負けじと角館町内をゆったり流れる桧木内川(ひのきえないがわ)堤2kmにわたり桜のトンネルをつくるソメイヨシノが見事に咲き誇ります。
16年前に角館のシダレザクラとソメイヨシノの2種類の桜を堪能した記録です。

撮影日2005年5月4日早朝5時~

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角館樺細工伝承館のシダレザクラ、早朝5:30頃

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武家屋敷通りの早朝の観光客 AM5:50

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角館樺細工伝承館(開館前)

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16年前の伝承館前にて 林住期の真っ盛りであったがシダレザクラは見頃の盛りを過ぎていたが華やかさの香りは残っていたようです。

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角館武家屋敷通りの黒板塀とシダレザクラ

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早朝から武家屋敷通りの青柳家・石黒家を撮影するカメラマン

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武家屋敷のシダレザクラと黒板塀

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桧木内川桜祭り会場

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桧木内川堤の桜のトンネル、シダレザクラよりも3,4日開花が遅いので見頃であった。

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染井吉野のトンネル

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桧木内川横町橋

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横町橋の袂、桜のトンネルを往くお二人

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桧木内川堤両側の桜のトンネル

 

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横町橋の袂

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桧木内川堤の染井吉野のトンネル

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桧木内川堤のソメイヨシノ

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ゆったり流れる桧木内川と満開のソメイヨシノ

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桧木内川堤の桜のトンネル

 

二種類の桜が堪能できた桜の名所100選の角館武家屋敷と桧木内川堤

2021年3月30日 (火)

三ッ池公園・桜フォト散歩

 三日前に翌日は雨の予報に満開のサクラ見納めと思い、車で20分の三ツ池公園のサクラ・フォト散歩の帰りに、近所のマーマー保育園の卒園式の当日でした。保育園の駐車場横の満開のソメイヨシノを撮りましたが階段に咲くソメイヨシノが卒園式を祝うように咲く満開の一枚と三ツ池のサクラ・フォト散歩の三十枚の🌸です。

撮影日3月27日(土)

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保育園のソメイヨシノ

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午前7時三ッ池公園の桜フォト散歩は下の池前の水辺の広場から始まる

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水辺の広場の右手には天馬の像「馬超龍雀」が見える

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水辺の広場を右回りから下の池を巡るフォト記録

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いきなり老木のソメイヨシノの胴咲サクラ

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中央の桜は下の池から撮影した売店左の三ッ池公園開花標準木

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右手にプールのある場所にコロナ対策の看板

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中の池と下の池を区切る遊歩道は花盛りを終えた横浜緋桜

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テニスコート脇の大島桜

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大島桜にも胴咲サクラが咲く

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さまざまのこと 思ひ出す 桜かな 芭蕉の看板

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コロナ禍の対策看板と飲食伴う花見の禁止と左側通行のお願い

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売店・標準木開花木・中の池方向への左側通行の→

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売店横のソメイヨシノ

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売店横の三ッ池公園・開花標準木

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開花標準木の胴咲桜

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開花標準木の隣に咲く薄いピンクの「苔清水」
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右は中の池、左は下の池 見頃は散った早咲きの横浜緋桜

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中の池の看板と中の池のキンクロハジロと染井吉野

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中の池の山桜

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里の広場 例年ならばブルーシートの花見の宴が広がる処

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染井吉野(ソメイヨシノ)

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白妙(シロタエ)

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里の広場前の遅咲きの紅豊はまだ蕾

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花の広場前のエドヒガンは花盛りは終わる

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遊びの森方向

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売店方向

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上の池

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南門・水の広場横

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水の広場の花筏

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滝の広場の上、休憩所付近の老木の根元は雑草と咲く胴咲桜

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丘の上の広場の看板

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丘の上の広場のソメイヨシノ

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丘の上の広場の下り坂を下りて来ると下の池の天馬の像

まだ人の少ない午前七時から八時までサクラ満開の三ッ池公園の三つの池を🌸フォト記録のフォト散歩でした。歳をとるとあと何回の満開のサクラを鑑賞できるのか感傷的になる年頃になりました。

 

 

 

 

 

 

2021年3月27日 (土)

三ツ池の櫻と天馬の像

 県立三ッ池公園は日本さくらの会によって「さくらの名所100選」に選ばれた78品種1600本と言われる桜は早咲きから遅咲きまでさまざまなサクラを長く楽しむ事ができるます。撮影日の27日(土)は下の池の売店横の開花標準木が3月19日に開花しソメイヨシノの満開の時季でした。今回は「馬超龍雀」と言われる中国遼寧省から贈られた天馬の像とソメイヨシノとのコラボです。

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三ッ池公園マップ

撮影日3月27日(土)晴天AM7~8時

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正門から入るとパークセンター(管理棟)の前を通り、芝生の広場の正面に下の池周囲のソメイヨシノは満開、午前8時前の花見客は例年に比べるとまだチラホラ

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芝生の広場の左にお隣の中国とは領土問題などで最近は友好関係とは言いがたいが中国遼寧省から友好の記念として寄贈された‘天馬の像’「馬超龍雀」像が満開の染井吉野の中で宙を疾走している

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太陽を背に近づく馬超龍雀と題する馬の銅像が設置されいる、中国遼寧省人民政府からの寄贈であるとの説明がしてある。

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日本語の部分のみトリム

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「馬超龍雀」像は桜に彩どられた天馬の広場の一角に馬が首を上げ、尾を仰向け、三本の足を空に舞いあがらせ、右後足を龍雀(飛燕)にかけて、疾走する姿が天を駆けるように躍動感にあふれている。

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天馬の像の説明によると実物は甘粛省武威で1969年に出土し、甘粛省博物館に保管展示されている1700年以上前のものであるらしく、躍動感に富む馬の姿は飛燕の上(燕よりも早く走る姿をあらわす)に一本の脚のみによって支えられ、力学的平衡原理が正確に計算されているといわれる。

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初めて正面から撮影してみた、躍動感あふれる馬体です

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縦撮りのままです、補正しないと疾走する馬を失笑ものです。

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上の縦撮りを補正して起こしました。

 

 

 

 

 

 

 

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