ケンさんの探鳥記

2005年の酉年に野鳥を開始、時のうつろいは17年目になる。黄金期の林住期のブログも波瀾万丈に過ぎ、白秋期から玄冬期の遊行期に入り傘寿となり。ブログこそ「継続は力なり」この間に写真は五万枚以上、記事は三千八百号以上。ブログも百花繚乱の如し、桜・野鳥・温泉・鉄道・観光・日本100名城と広がり終活の糧となる。

カテゴリー「趣味」の267件の記事

2025年3月 8日 (土)

ブログの更新記憶と記録

 2006年6月1日より開設したブログのココログのデスク容量10000MB(10GB)で始めた「ケンさんの探鳥記」は18年間に3955回の更新記録は、始めた頃の1,2年は毎日のように野鳥ブログを更新していましたが、残りデスク容量が少なくなり始める2023年10月以降は一ヶ月に1回程度になり、残りデスク容量4.7MBになりました。2024年6月には3回目の3956回の更新でついに更新が途切れてしまいました。「継続は力なり」で自分自身を𠮟咤激励、鼓舞してきた「杖言葉(つえことば)」も空しく弥生三月の誕生月にもかかわらず「矢折れ刀尽きる」かのように最低でも月一のブログの更新を果たす事が出来ませんでした。

2024年のブログ更新はなんとたった3回の更新でした。過去18年間の平均は一年間に220回の更新でしたので激変の激少です。2025年は誕生月の弥生三月にもかかわらずまだ一度も更新していませんでした。理由は(言い訳)は規約?容量の10000MGが、残り容量はごく少量の0.047%の4.7MGです。

弥生三月の誕生日で85歳になりましたが厚生労働省の「℮ーヘルスネットの平均寿命と健康寿命」では男性の平均寿命81.05年に比して健康寿命は72.57年と約9年の差があります。言い換えると自立している生活ができる健康寿命は平均寿命よりも約9年短いようですが名前の健のお陰でこれを4年以上も乗り越えています。

昨日の3月7日は健康寿命で85歳を迎えて、横浜西口の昼間から繁盛している飲食店で松の内に亡くなられた大先輩への献杯と横浜会仲間四人の健康と親交を深める日を過ごさせて頂きました。

 

 

 

2025年3月 8日 (土) 趣味 | 固定リンク | 2 | コメント (0)

2024年6月18日 (火)

最初にして最後のゴールド免許

 馬齢を重ねて辰年生まれの齢は七回目の辰年。12干支ⅹ七周目=辰年の84歳。弥生三月の誕生日に84歳になりましたが誕生月に更新した運転免許証は恥ずかしながら人生初となるゴールド免許(優良)になりました。思い起こせば19歳で自動二輪免許を取得してから業務で社有車の初代スバルサンバー360cc(二座席の軽四輪トラック)で四輪車のハンドル感覚の運転成果なのか、世間などでは自動車教習所で免許を取得する時代に自動車教習所をスルーして、20歳の時に東京鮫洲運転免許試験場で普通免許試験に合格したので19歳からの運転免許歴は65年間になる。
若気の至りの頃はスピード違反や一時停止違反などの罰金や反則金で免許証を汚す事が度々ありました。仕事で国内外の出張の多い頃の時代にJR東日本と西日本、羽田空港に便利な現在の新横浜へ三十五歳で引っ越してきた。都内と違い駐車場も安いので、1976年に発売された初代ホンダアコード・3ドアハッチバック・CVCCエンジンを自家用車に購入したので私用でも交通違反の洗礼を受けた。東名高速などで観光ドライブの行き帰りの高速道ではスピード違反でパトカーの追跡を受け、一般国道では白バイにスピード違反追跡を受けた事がある。公私ともに若い頃は交通違反があったが現役を引退してからは高齢化とともに運転は下手になりスピードは控えめの穏やかになったと自覚している。それでも野鳥撮影を始めてから18年間では遠征した渋滞の少ない広い北海道ではネズミ捕りに3度も捕まった体験がある。道を知らない未知の北海道で物陰に隠れてコソコソ取り締まるのは県外者には腹立たしい事が度々あったが二度目からは同じ摘発の場所ではスピードを落とした。
現在の免許証は昭和34年の19歳での初免許証も免許更新のウッカリ失効で昭和56年となっている。
昭和56年40歳の働き盛りの週末恒例のマージャン帰りに深夜の駒沢公園付近で飲酒運転の検問に引っ掛かり、飲酒はしていなかったが免許証が三ヶ月前に切れていた事が判明して、視力検査と適性検査と所定の講習で免許証が再発行され年月日が昭和56年となった。それ以来今日まで、免許証更新日に注力するようになった。

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写真は本年更新した免許書である。有効年月日表示欄がブルーだったのがゴールドになった。生涯初めてのゴールド免許は5年以上違反や事故が無いのが条件だそうだが六年前と三年前の免許の五年間以上に違反が無かったようです。ゴールド免許の所持者の大半は、ペーパードライバーと聞いていたが直近の六年間は野鳥撮影と日本100名城などの遠征で北海道から九州まで日本全国をドライブしていた。
直近の遠距離走行では、
2022年の5月15日~22日に、山陰と山陽の中国地方5県の日本100名城の13城を巡り、しまなみ海道(西瀬戸自動車道)を尾道から四国入りして今治城に直行、登城したのは5月23日であった。愛媛県の今治城⇒松山城⇒湯築城⇒大洲城⇒宇和島城の5城を巡り、高知県の高知城⇒徳島県の徳島城⇒5月26日高松城と丸亀城の四国の日本100名城の九城を攻城して中国と四国の22城のスタンプを完了した。

最後の長距離運転は2022年7月12日~18日。4回目のワクチン注射した翌日の12日より横浜を出発して100名城最後の長期ソロドライブで九州の日本100名城を目指した。横浜から約1100㎞の福岡県のNo.85福岡城➡No.86大野城➡No.88吉野ケ里➡No.87名護屋城➡No.89佐賀城➡No.90平戸城➡No.91島原城➡No.92熊本城➡No.93人吉城➡No.97鹿児島城➡No.96飫肥城➡No.95岡城➡No.94大分府内城の九州七県日本100名城13城を巡るスタンプラリーを完了して門司を14時に出発して約千キロ、雨の中を徹夜ドライブして18日の午前4時に横浜に帰宅した。今回八日間の走行距離3558km、前回の13日間の中国・四国100名城巡り3553kmとほぼ同じ走行距離であった。因みにJR最北端の稚内駅 ⇒JR最南端の西大山駅の距離3127km、これよりも400Km以上も長距離の車旅でした。2018年5月に北海道の野鳥撮影の傍らに開始した日本100名城スタンプラリーは、5年5ヶ月の長期に渡ったが最後の上がりの一城として残していた日本最大の将軍の城、江戸城の本丸・二の丸・三の丸・天守台など「皇居東御苑」を令和五年十月二十五日に日本100名城巡りは無事故無違反で完了した。

初めてのゴールド免許だが現況では足腰の衰えが元凶になる恐れから今のところ長距離遠征・長距離運転の計画がありません。(完)

 

 

 

 

 

 


 

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2023年7月26日 (水)

始めあるものは必ず終わりあり・その2

 
 6ヶ月前(50ページ前)の1月26日のブログは、諺(ことわざ)に「始めあるものは必ず終わりあり」(出典:君子)であった。この諺の意味は、物事に始めがあるように必ず終わりがある。生あるものには必ず死が訪れ、栄えているものはいつか滅びるということです。(前回のブログより複写・転載)

6ヶ月前のココログの残容量は450MBであったが現在は、80MBに減少しているこの6ヵ月間の使用量は、450-80=370  370MBであった。
ブログ1回(1頁)あたり、370÷50=7.4 7.4MB/1回(1頁)となり何故か6ヶ月前の計算よりも大幅に残容量が極端に異なります。
今回の計算ではディスク残容量は、80÷7.4=10.8

計算上では約11回(11頁)でココログのディスク残容量がなくなります。
1頁当たりの写真枚数を減らせばその分は延命が可能です、終わりが近づきましたので今後は写真枚数を減らしていきたいと思います。
「始めあるものは必ず終わりあり」

 

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2023年7月16日 (日)

このブログはまもなく終焉を迎えます

 2006年6月1日からNiftyのココログで始めたブログ名称「ケンさんの探鳥記」は、使用容量10000MB(10GB)の制約で始めましたが、17年一ヶ月後の2023年7月現在の使用量9920MB、使用率は9920÷10000=99.2 
99.2% 残り0.8%の80MBと残りが僅少となりました。この17年一ヶ月にわたるブログは、205ヵ月間にわたり3935回の更新と一ヶ月平均19回のブログアップと平均14枚の写真/頁、総数5万千枚以上の写真を添付しました。

ここでブログの継続期間についてSNSの情報を検索してみました。

総務省が2009年に「ブログの実態に関する調査研究」と題した調査で、ブログの継続率について統計を取っています。(ブログの継続期間統計のSNSより)

この統計では、1ヶ月以内に更新されたブログを継続とみなしています。調査によれば、1年続くブログは「30%」、2年続くブログは「10%」、3年続くブログはわずか「3%」です。

ただ、このデータにはいくつかの問題点があります。

1つは、データが古い点です。新しい調査が行われていないので、古いデータに依拠するしかありません。継続の条件が「1ヶ月以内に更新」と緩いことも問題です。

そのほか、マイボイスコムも2010年にブログの更新頻度について調査しており、週に1回以上ブログを更新する割合は約6割としています。2つのデータをかけあわせると、1年間ブログを継続する割合は18%程度でしょうか。

一方、Twitterで「ブログ 継続率」と検索すると、多くのブロガーが経験則から継続率を推測しています。Twitterの意見では、ブログが1年継続する割合は10~20%程度と考えられています。なかには、3%との厳しい意見も。

これらのことからも、1年間継続できるのは5~10人に1人程度と捉えられます。

 

SNSの統計と比べると17年間は物凄く長期間継続したブログと思います。
今日まで杖ことばとなっている「継続は力なり」を実践したおかげです。

 

 

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2023年3月 7日 (火)

転ばぬ先の杖と杖ことば

 今日は83回目の誕生日です。今日からヤーサンになります!
八のヤー、三のサンでヤーサンです。凄みの無い年老いたヤーサンです。誕生日祝いに貰えませんでしたが必需品は杖とまだ思われていないようです、杖はまだ先の話の様ですが関心はあります。

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ヤーサンになったココログの@niftyからの誕生祝です。

最近、杖について関心を持つようになりました。広辞苑第七版で「杖」を検索すると①歩行の助けに携える細い長い棒。転じて、たよりとするもの「ーにすがる」「ーをつく」②拷問や罪人を打つのに用いる棒。③丈とも書く

先日、三ッ池公園などの起伏の多い公園内の坂道などで杖をついて歩く人の様子や杖の種類、杖そのものが気になるようになりました。杖を必要とする年代になったせいだろうか?三ッ池公園中の池の上にある坂道でT字杖をついて散歩する同年代の老人と目が合いまして目礼、自分よりも年長者と思い不躾ながら御歳をお聞きしたら自分よりも二歳年下の方で自分の見立てと異なり、動揺してしまい杖の効用などを尋ね損ねました。同じ日に花の広場で探鳥をしていると30~40代に見える(~と思えたかも)女性四人組がスキーのストックのような杖で速足でウオーキングしている姿が目の前を通過した。この時は何だかな?と思いましたが明らかに杖を使った運動かスポーツと感じましたが後で判明したのは下図の二本の杖(ポール)を使った最近はやりのウオーキングポールを使ったウオーキングでした。 

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杖の種類や選び方のポイント LIFULL介護のHPより転載

このブログは17年間の蓄積がある3900ページの過去の体験が豊富にあります。現在の記事は多少はありますが肝心な未来はあまり望めないようです。今となっては当時の出来事が日記替わりや回想録とになっている過去の頁をめくると野鳥撮影を始めてから四年目、ブログを書き始めて三年目の四月に都内の公園でコマドリを撮影中に70cm程の石垣の上から飛び降りて右足首を捻挫してから歳をとったと自覚した記憶があります。帰宅後に腫れ上がった足首を近所の整形外科でレントゲンなどの処置後にアルミ製の松葉杖のお世話になった記録があります。野鳥撮影での怪我により暫くは松葉杖のお世話になりました。三鳴鳥のコマドリがこまどり姉妹ならぬ困鳥(こまどり)始末(しまつ)に足首の痛さで悲鳴をあげたようです。これは松葉杖の秘話記録と記憶でした。

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昨年5月に四国八十八ヶ所をめぐる巡礼のお遍路さんの遍路杖を見かけたのは、5月15日~26日に横浜から約三千五百キロ走破した時です。山陰と山陽の中国地方5県の日本100名城をスタンプラリーで12城を巡り、天守閣や櫓などの遺構が存在しない日本100名城の山城などには、受付などの窓口では、竹の杖などの無料貸し出しの杖が置いてあります、上り坂や深い空堀などの起伏が多い山城の攻城にはこの杖は助かりました。
しまなみ海道(西瀬戸自動車道)を尾道から入り四国の今治北IC降りて今治城に直行、登城したのは5月23日であった。愛媛県の日本100名城は五城もある、今治城⇒松山城⇒湯築城⇒大洲城⇒宇和島城を巡り、5月25日に高知県の高知城⇒徳島県の徳島城⇒5月26日AM10時に香川県の高松城を攻城してから2時間後に香川県の丸亀城へ登城した。四国の日本100名城は天守閣の残る平山城や海城などで杖のお世話になりませんでしたが三日間で四国四県の九ヵ所の日本100名城スタンプラリー車旅の道中で稀に見掛けたのはお遍路の正装白衣に「同行二人」の文字と菅笠のお遍路さんでした。持つのは白木の立派な杖は遍路杖と呼ぶのか金剛杖と呼ぶのかお遍路さんの一番大切な携行品が遍路杖は長距離を歩く杖です。

四十数年前の現役時代に羽黒山最寄り駅の山形県鶴岡にある子会社に出張で通った頃に、白装束の山伏姿に頭にお皿のようなものを載せて金剛杖に法螺貝の出で立ちの山伏を稀に見掛けた記憶があります。山伏姿の記憶がまぎれたので羽黒町観光協会のHPより下図を参照しました。

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山伏修行「羽黒町観光協会」HPより

山伏修行体験は、白装束を身に纏い、俗世界から離れて修行の一端を体験し、出羽三山の自然、そして修験道を学びます。
参照:羽黒山ガイドの解説:古くから山岳修験の山として知られた出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)のひとつ羽黒山は、標高約414mの山です。山頂までの表参道は、石畳が2,446段続き、山頂の出羽(羽黒)神社は、全国的にも珍しい「三神合祭殿」で、出羽三山の神々が祀られています。この三神合祭殿は東北一の木造建造物で、2000年に国の重要文化財の指定されています。電車でのアクセス:鶴岡駅(JR)からバスで約53分。その後はANAで出張するようになり見掛ませんでした。

二十数年前の現役の最晩年に麓から下千本、中千本、上千本、奥千本といわれる谷や尾根に群生する吉野山のヤマザクラの山を見物した際に、修験道発祥の地と言われる蔵王堂の桜と修験者と金剛杖の記憶を思い出しました。この時に読破したのが日本の山岳宗教である修験道(しゅげんどう)の開祖と呼ばれる「役行者 えんのぎょうじゃ」の当時の新刊書であった。 

時代劇の「杖」と言えばTBS時代劇の「水戸黄門」を直ぐ思い浮かべます。水戸黄門の杖は杖にすがる老人ではなく助さん格さんとともに立ち回りに使用した護身用の杖でした。TV時代劇の水戸黄門は、SNSの情報では初代から六代まで6人の俳優が演じてきたそうです。自分の記憶に強く残るのは初代の東野英治郎の水戸黄門と現役を退いた時の時間を持て余していた頃の五代目の里見浩太朗の水戸黄門でした。黄門を演じたの俳優は二代目の西村晃、三代目の佐野浅夫、四代目石坂浩二、六代目武田鉄矢が演じています。
SNSによる史実では
実在の徳川光圀は「アカザ」という植物の根を材料にした杖を使用していたという。しかしこれはすぐに折れてしまうため立ち回りシーンでは使えず、撮影では竹でできた杖を使用。杖は代々の黄門さまの身長に合わせて3~4本用意したという。(NEWSポストセブン・女性セブン2011年12月22日号)

時代劇の盲目の杖と言えば仕込杖、勝新太郎主演の人気映画シリーズの盲目の座頭市が仕込み杖で悪人を次々と、体を回しながら逆手で一瞬に斬り倒す痛快な仕込み杖でした。転ばぬ先の杖というよりも殺される前の仕込み杖です。物騒な仕込み杖の物語をお終いにして、杖は杖でも今日まで言葉の杖にすがってきた思いがします。

愛読書の著者 五木寛之の「杖ことば」4,5年前に読みました。
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杖は杖でもことばの杖があります。2014年に学研より刊行された著者五木寛之の「杖ことば」~ことわざ力を磨くと逆境に強くなる~

「あるとき、〈杖ことば〉という言い方を耳にしました。ともすれば、しゃがみ込みたくなるようなとき、人生の苦難の旅路を共に歩き、その一歩一歩を杖となってささえてくれる言葉をさすのだといいます。私自身、もうダメだと思うとき、いくつかの言葉によって、ささえられて、ここまで生き延びてきました。崩れ落ちそうな自分、もう諦めてしまいそうな自分をささえ、再び立ち上がらせ、もう一歩進んでみようかという気にさせるのが杖ことばなのです」 「(著者の枕ことば)とは、まえがきにかえて より」

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まえがきの次の頁は目次です、第三章は「よりよい日々をひらく杖ことば」第四章は「苦難をのりこえる杖ことば」最終章の第五章は「老いをささえる杖ことば」。
幾つかの読後の解説・書評には 心に残る、支えになっている諺をもとにした、著者初の語り下ろしエッセイ。 ”人生に迷ったときの杖ことば”や”人間関係をささえる杖ことば”、”苦難をのりこえる杖ことば”、”老いを支える杖ことば”というテーマで、諺を引用し、ご自身の経験と照らし合わせながらわかりやすく解説。 心が折れそうなとき、災難がふりかかってきたとき、老後の不安におしつぶされそうなときなどに読みたい一冊です。

このブログも老後の17年間3900頁を続けていますが「枕ことば」は「継続は力なり」にすがっていますが著者も同じように「継続は力なり」を枕ことばにしています。 重い荷物を背負って山に登らなくてはならないとき、ヨッコラショと自分自身に掛け声をかけて、立ち上がる。 そのヨッコラショ、に当たるのが枕ことばなのでないでしょうか。 と記述しています。

頼りにするものの表現で「杖にすがる」「老後の杖とする」「杖とたのむ」の言い回しも終活の杖ことばになります。 杖にまつわる話は取り敢えず、ここら辺でドッコラショと重い(思い)荷物を降ろして今後も、身体にあった自分らしい杖探しの終活を続けたいと思います。
「継続は力なり」

 

 

 

2023年3月 7日 (火) 趣味 | 固定リンク | 0 | コメント (2)

2023年2月19日 (日)

満洲開拓団の地図と小説「地図と拳」

 集英社の「地図と拳」著者 小川哲(おがわさとし) 今年の直木賞受賞作品をAmazonから取り寄せてみた。直木賞と芥川賞の受賞作品の書評を新聞で読んで、直木賞受賞作品「地図と拳」の歴史空想小説の舞台が亡父の遺品である満州開拓団地図(後掲する手書きの地図)の舞台である「満州」であった内容に強く惹かれたからである。
79年前の敗戦の一年前、1944年(昭和19年)四歳の時に国策に応じて、新潟港から父母と三歳の妹と一家四人で満州国牡丹江市郊外(ソ連と満州国境の近く)に開拓民として入植、翌年7月には戦局の悪化から父は開拓団からの現地召集となり、父親が不在の1945年8月9日ソ連軍の対日参戦と8月15日の日本軍の降伏による敗戦で満州の開拓民は捨てられた棄民となり、敗戦から四ヶ月間満州を飢えと寒さで彷徨い、食うや食わずの末にやっとたどり着いた朝鮮半島の釜山港で奇跡的に父親と再会してから引揚船で博多港に命辛々辿り着いたのは敗戦から四ヶ月後の昭和20年12月であった。5歳児の記憶は朧で定かではないが来月で83歳になっても、読後の感想は満州とは何だったのか、その答えがあるような気がしたが何だか判らない、地図は国家や国土を表し、拳は争いや戦争を表すことだった。

我が家の蔵書で一番厚い「広辞苑第七版」は3188頁厚さ80mmである。蔵書で二番目の分厚さになったアマゾンから届いた書籍代2420円、厚さ40mmもある分厚く本文625ページ、巻末に参考文献をあげているが、参考文献だけで8ページもあり、数えると151の出版物の羅列がある。この大作をブログ作成の合間に一週間かけて読破した。亡父の地図に参考になるや否やで地図の出現を辿ったが一枚の地図も挿絵の無い633頁の大作であった。

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直木賞受賞後に購入したが帯は候補作のままであったが購入後の宣伝は受賞作品の帯がついている。

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発行元の集英社の著作と著者紹介とあらすじ
【第168回直木賞受賞作】【第13回山田風太郎賞受賞作】「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野……。奉天の東にある〈李家鎮〉へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。ひとつの都市が現われ、そして消えた。日露戦争前夜から第2次大戦までの半世紀、満洲の名もない都市で繰り広げられる知略と殺戮。日本SF界の新星が放つ、歴史×空想小説。【著者紹介】小川哲(おがわ・さとし)1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。『ゲームの王国』(2017年)が第38回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞。『嘘と正典』(2019年)で第162回直木三十五賞候補となる。

亡父の遺稿である満州・牡丹江・入植開拓団の地図

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この地図は亡父の遺品の地図である、牡丹江市の南の寧安を中心に描いた入植した開拓団の位置と思われる。当時5歳児のいた満州開拓は辛い記憶しかなかったので親不孝にも戦後は亡父母からは開拓団の様子を聞き損ねたので、満州開拓団を知ろうとこの「地図と拳」の大作を読破したが、625頁の本文には一枚の地図もなくタイトルの「地図と拳」に期待を裏切られた気持ちが読後の一番の感想となった。

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亡父の遺品となった二枚目の手書きの地図は、更に詳しく描かれた寧安の開拓団の位置と思われる。筆跡が父のものではないので開拓団の仲間のようです。

日露戦争から第二次世界大戦と長い年月の満州にある都市とそれに関係した人たちの空想物語であったが都市の建設が主題で当時の満州の地図がなかったことや私が期待した満州に入植した開拓団の苦労や歴史は、作者の参考資料からの知見では知る由もなく止むを得ないと思われる。フィクションの空想小説ありながら領土や資源を奪おうとする戦争を「地図」と「拳」の関係に重ね合わせながらの直木賞受賞は流石です。本文が参考にならなかったが参考文献151冊の中のタイトルに未読の満州開拓団の著書が4~5冊あるのでこちらの情報が有難いと思う次第。

 


2023年2月19日 (日) 趣味 | 固定リンク | 0 | コメント (0)

2023年2月 8日 (水)

笑点新メンバーの一之輔に期待

 笑点は今から57年前の、1966年5月から日本テレビ系列で毎週日曜日に放送されている番組です。初代司会者の立川談志の昔から自分好みのお笑い番組でした。笑点の 放送回数は、2023年2月5日現在、2846回を数えます。 放送開始から56年以上たった今でも、日テレ系で屈指のお笑い演芸番組です。司会者になる前、昔の「歌丸と(三遊亭)小円遊」のハゲとバケモノの罵りあいなどの抱腹絶倒、笑点一番好みの番組は昇太の前の司会者として番組を盛り上げて2018年に81歳で亡くなった後も、終身名誉司会者の称号を持つ「桂歌丸師匠」と昨年9月に72歳で肺がん亡くなった腹黒&毒舌キャラの六代目「三遊亭円楽師匠」の両師匠による凄みのきいた「毒舌バトル」の掛け合いが過去の笑点では最も面白かったと記憶している。亡くなった円楽の後釜に候補に挙げられた噺家の誰になるのかメディアで騒がれていましたが今週の笑点大喜利で決まりました。 

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写真は新メンバー春風亭一之輔の著書の表紙、週刊朝日の連載「ああ、それ私よく知っています」のエッセイをまとめたスマホのメール機能で原稿を書いた三冊目の単行本。

今のりにのっている落語家・春風亭一之輔が、落語のイントロ「まくら」を噺(はな)すようにつづったエッセイ集の最新版。桂宮治が「笑点」の一員に抜擢された際の気持ちをスマホに綴った「新メンバー」、この他にコロナ禍で頻発した落語界の代演について考察した「代役」他、時事ネタエッセイを多数収録。「週刊朝日」連載の単行本化第3弾。

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今週の日曜日2023年2月5日大喜利は円楽さんの席に座る新メンバー「今最もチケットが取れない落語家」ともいわれる人気の一之輔さん。司会の春風亭昇太さんに呼び込まれて袖から出てくると、客席からはどよめきが起こった。
「ちゃんとしなくても宮治ぐらいの落語はできる」大喜利の第1問は、「どうして一之輔さんが新メンバーになったのか」。一之輔さんとプライベートでも親交があるという桂宮治さんは、「これ本当の話なんですけど、私が日テレの偉い人にお願いしてあげたからです。川上くん、本気だよ」と本名の川上隼一(としかず)で呼びかけ、一之輔さんは「本名で呼ぶなよ!ドキドキすんじゃねぇか」とたじたじの様子だった。昇太さんの「ちゃんとしなさい!」に一言返すというお題では、「マンボNo.5」のリズムで「チャッチャチャチャッチャチャッチャチャッチャッチャちゃんと!できない!ウー!」と踊りながら陽気に答えた宮治さんに続いて、一之輔さんが呆れたように「ちゃんとしなくても宮治ぐらいの落語はできるんですよねぇ」と答え、宮治さんは立ち上がって「うるせぇなぁ!」とやり返した。さらに山田隆夫さんに「(座布団)1枚あげて!」と指示した昇太さんに、宮治さんは「あげなくていいよ~!」と野次を飛ばしていた。一之輔さんと宮治さんのやり合いで笑点が盛り上がった。今後はこの二人の掛け合いが歌丸さんと円楽さんの毒舌バトルに匹敵する興味津々のシチュエーションを期待すること大である。

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春風亭一之輔著・朝日新聞出版「まくらの森の満開の下」の第五章の芸能界のまくら、201~203頁に三平に代わる「新メンバー」では、1歳上の桂宮治は落語界では後輩、とのプライベートなやり取りなどが紹介されていた。

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笑点メンバーが林家三平から桂宮治に代わった時の201~203頁は個人的に親交ありありの辛口のエッセイ

SNSの情報や視聴者の反響は、一之輔と桂宮治とのやり取りを称賛。「笑点の歌丸師匠、(三遊亭)小円遊師匠の罵倒合戦が好きでした。一之輔師匠の登場はかっこよく、宮治師匠とのやりとりはあの頃の笑点を思い出しました」「昔楽しんでいた笑点のテンポの良さと小気味よい毒が戻ってきた、そんな感想を持ちました」といった書き込みに同感の思いでした。更に「笑点の新メンバーが一之輔師匠になったことで、一番うれしいのは宮治師匠とのバトルが観れること」「桂宮治と春風亭一之輔の掛け合い」毒舌バトルを期待した「歌丸師匠vs円楽師匠の罵倒合戦引き継いだ形で笑点大いに盛り上がりそうだ!」と、今後への期待の声が相次いでいた。

来週からの笑点大喜利が待ち遠しい!!

 

2023年2月 8日 (水) 趣味 | 固定リンク | 1 | コメント (0)

2023年1月26日 (木)

始めあるものは必ず終わりあり

 諺(ことわざ)に「始めあるものは必ず終わりあり 出典:君子」この諺の意味は、物事に始めがあるように必ず終わりがある。生あるものには必ず死が訪れ、栄えているものはいつか滅びるということ。インターネットより

人生100年時代、人生の四季 春夏秋冬は二十五年毎。青春の二十五年は主に勉学に励む学生期、朱夏の二十五年は一生懸命に働き家庭を築く家住期、白秋の二十五年は一線を退きゆとりを楽しむ林住期、最後の玄冬は人生の終焉を迎える準備の遊行期。青春・朱夏・白秋・玄冬期の喜怒哀楽・栄枯盛衰の人の一生にも「始めあるものは必ず終わりあり」。

白秋期からの野鳥撮影で自己を実現して、林住期を愉しく過ごした七十五歳までは人生の黄金期とも収穫期ともいえる林住期であった。七十五歳からは終活が始まる遊行期に入ると言われるが、元気な人ならば5年や10年の林住期の延長もあると「林住期」の著者、作家の五木寛之氏の著書にも書かれていたが本人の気力と体力の持ち様次第と言えるが傘寿までは林住期を満喫したと自覚している。今年の誕生月3月で83歳となり男性の平均寿命も二年近く上回り、十分歳をとりました。現在と未来は玄冬期の遊行期・終活期にあります。

現在のブログのサブタイトルは「2005年の酉年に野鳥を開始、時のうつろいは17年目になる。黄金期の林住期のブログも波瀾万丈に過ぎ去り、白秋期から玄冬期の遊行期に入り傘寿となり。ブログこそ「継続は力なり」この間に写真は五万枚以上(現状は53200枚)、記事は三千八百号達成(現状は3890号)。ブログも百花繚乱の如し、桜・野鳥・温泉・鉄道・観光・日本100名城と広がり終活の糧となる。」と記しているが始めた時のサブタイトルは管理組織から逃れて羽ばたくように、飛び立つような気持ちで始めたブログのタイトルは「ケンさんの探鳥記」。サブタイトルは「セカンドステージの思いを行動に変えて、野鳥撮影で自己実現、目標は国内400種」であった。400種は2012年に目標達成しています。ブログは2006年6月1日に最初の1ページを公開した野鳥ブログを開設してから本年5月末で17年が経つことになる。6月1日から18年目迎える昔からの座右の銘「継続は力なり」を実践したブログと言える。

 いつまで続くのかこの「ケンさんの探鳥記」2006年6月1日から始めたこのココログのブログはホップ・ステップ・ジャンプの三段跳びのブログ。初めのホップは無料のココログ・ベーシック 使用可能なディスク容量は2GB(2000MB)、次のステップはディスク容量5GB(5000MB)の有料のココログ・プラス。最後のジャンプはディスク総容量は10GB(10000MB)の契約で月額950円有料のココログ・プロで現在に至る。
ブログ開始から17年後の現在のディスク残り容量は415MB 使用率95.85% 残り4.15% となっている。残り容量は僅かとなった。
ブログの1回の最大使用容量は写真1枚の容量が100KBであるので30枚のフォトブログでは415÷3=138回のブログが書けることになる。20枚のフォトブログでは415÷2=207回
因みに過去17年間の1回あたりの平均使用容量は3890回のブログで写真は53200枚、53200÷3890=13・7枚となっている。ブログを始めた頃は撮影場所からのモバイル通信でブログを発信したこともあり、写真が2~3枚のブログもかなり存在したが最近は最大30枚のブログもあり、開始~現在のブログを平均すると約14枚となります。これは2・46MBになります。この数字を使用してブログが書ける回数は残りの415MB÷2・5=166回となります。
365日÷166回=2.2 二日に1回のブログでは1年間で終わります。四日に一度のブログでは二年間でこのブログは終了します。現在の調子では四日に1度のペースではあと二年間でこのブログは終焉となります。
契約ディスク容量は残り415MBあるが、1回当たり14枚のフォトブログを継続すると想定しても、傘寿を過ぎてからの気力と脚力の落ちる速度が早まっていると自覚している現況では、持続力の継続が可能かどうかは神のみぞ知ることになりました。「始めあるものは必ず終わりあり」

2023年1月26日 (木) 趣味 | 固定リンク | 0 | コメント (1)

2022年12月22日 (木)

篠原神社の冬至の記録

 昨夜から篠原八幡神社の御神鏡に入光する冬至の日の出の撮影を準備していましたが天気予報も雨で期待出来ずであった、今朝は5時に起床すると案の定天気予報通りの小雨であったので冬至の日の出撮影は不可となった。
過去を振り返りブログに掲載したした篠原八幡神社冬至の日の記録。

2008年12月21日 今日は冬至です
2012年1月12日(撮影日2011年12月23日)
          一陽来復を願う
2014年12月23日 篠原八幡神社冬至の日の出
2015年12月22日 篠原八幡神社冬至の日の出
2017年12月25日(撮影日は三日前)篠原八幡神社冬至の日の出
2020年12月21日 冬至・八幡神社・日の出
2021年12月23日 篠原神社冬至の日

過去の冬至の日の神社境内の写真

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2015年12月22日篠原八幡神社の鳥居から入光する冬至の日の出

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2015年12月22日 篠原八幡神社の冬至の日に拝殿に入光する

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2015年12月22日当時の冬至の日の氏子や参拝者やまだ少ない

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2021年12月22日 鳥居から入光する冬至の日の出とカメラマンと見物人、境内でラジオ体操が始まってからは年々見物者が多くなる。

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2021年12月22日 拝殿に入射する冬至の日の出と参拝者

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2021年12月22日 数年前から先代の神職から跡継ぎに代替わりした以降は冬至の日に拝殿のガラス戸を開けなくなり評判が悪くなった。冬至の太陽がご神鏡に直接入光しなくなった。

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神奈川県横浜市、港北区八幡山。篠原八幡神社・来歴・創建800年(今年で830年)当神社は後鳥羽院建久三年1192年(鎌倉時代)に鎮守しました。 鳥居の脇にある冬至の朝を詠った石碑、篠原八幡神社は神社百選の神社です。

 


              

2022年12月22日 (木) 趣味 | 固定リンク | 0 | コメント (0)

2022年4月14日 (木)

「80歳の壁」の次は未知の壁

 一週間前の四月七日、朝日新聞13判の書籍の広告で一番大きい紙面、B3半開きの全面広告15段に幻冬舎文庫の春まつり「新刊」の広告10刊の中で、全面広告の1/3を占める下から1段~5段に「80歳の壁 老年医学・精神科医 和田秀樹」のモノクロの広告が目に入った。

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4月7日の朝日新聞朝刊から切り抜いた新刊書の広告

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タテ168mm X ヨコ378mmの広告はA4プリンターのスキャナー取り込みでは2ページの取り込みとなりました。この広告を一目見て興味が湧き、早速8日にAmazonに注文しました。70代からの自分の生活習慣と比較して「はい」と「いいえ」などで「同感」するか「否か」どうかで分類すると全てが「はい」ではなかったが「いいえ」か「わからない」が十項目くらいあったがいつもの衝動買いで注文して仕舞いました。

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翌日届いた青帯の宣伝が際立つ、現物の「80歳の壁」表と裏表紙です

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帯を外して表と裏表紙をスキャンしてみました。以下は裏表紙の文言の内容です。

人生100年時代だが、健康寿命の平均は男性72歳、女性75歳。80歳を目前に寝たきりや要介護になる人は多い。「80歳の壁」は高く厚いが、壁を超える最強の方法がある。それは、嫌なことを我慢せず、好きなことだけすること。「食べたいものを食べる」「血圧・血糖値は下げなくていい」「ガンは切らない」「おむつを味方にする」「ボケることは怖くない」等々、思わず膝を打つヒントが満載。70代とはまるで違って、一つ一つの選択が命に直結する80歳からの人生。ラクして壁を超えて寿命を伸ばす「正解」を教えます! (裏表紙の文言)青字の部分は自分の生活習慣と異なることや未体験ゾーンなど。

本書を読み始めたが自分は既に「80歳の壁」をクリヤーして2年も経過していること。男性の平均寿命81・64歳を3月7日でクリヤーして満82歳になったばかりである。連れ合いも4月10日におなじ満82歳になり、夫婦揃っての足し算は満164歳を迎えて二人とも心身ともに自立して、男性72・68歳、女性75・38歳の統計上の健康寿命をクリヤーしており余裕をもって「80歳の壁」は超えているが初めて読む、老年医学・精神科医の和田秀樹先生の診断と同じであったかどうか気になることを早読みで較べてみることにしました。

まず最初に老いを受け入れ、できることを大事にすることが、「幸せな晩年」と「不満足な晩年」の境目になると説いています。そして、80歳を超えた人は高齢者ではなく「幸齢者」と呼ぶことを提案しているが駄洒落で最初に面食らいました。自分だったら健康寿命の「康」やすらか・こう の「康齢者」を提案します。
「プロローグ 80歳の壁を越えていく」の中で気になることが数か所ありました。統計データの説明では「死亡数」年齢別になくなった人の数を調べたものです。最も多くの人が亡くなった年齢は男性85歳、女性90歳でした。(平成17年調べ)2021年の発表では85歳以上の男性が208万人、90歳以上の女性が192万人もいるのです。・・・現在満82歳1ヵ月となりましたので、85歳まであと3年で統計的に男性が亡くなる方が多い年齢に達します。旅立つ準備の終活を急がねばなりませんが一方では85歳以上の男性208万人の仲間に入る願望も強く湧き出してきます。

「80歳を過ぎたらガンがある。それに気づかない人も多い」

「認知症は必ずやってくる。ならないいまのうちにしたいことをする」

 「人生百年時代」 最も気になったこの三項目

80歳の壁を超えてから願望と重荷の両方がのしかかるという。80歳を超えたことは喜ばしいことだが「長生きしなければならない」という呪縛のような願望にかかってしまう。その呪縛を解くヒントを本書から見つけることにしたい。
今よりもかなり心身ともにに充実していた70代になる前は、夫婦ともども毎年半日の人間ドック通っていましたが70代以降は近所のクリニックの定期健診で過ごしてきました。生活習慣病の高血圧・高血糖・コレストロールなどの治療で定期的に月一で通院を始めて生活習慣病の治療薬を毎日飲み始めて12年になります。生活習慣病の治療薬を飲み野鳥撮影で80歳の壁を超えたともいえます。二年前までは毎年三ヶ月間の北海道遠征旅行などを5年連続で滞在していました。
2年前からのコロナ禍では二ヵ月一度の通院で二ヵ月分の治療薬をいただいて12年目に入っても同じ薬を続けている。二ヶ月毎の通院で毎回血圧と血糖値を計りその結果に一喜一憂してきました。血圧は毎日飲んでいる薬のおかげなのか130~150程度でこの十年間はあまり心配はなく過ごしてきた。チクリと指先に刺して血液の小さな滴をメーターが読み取る血糖値測定器では、血糖の基準値(下限値~上限値60~109)は毎回とも上限値を超えて赤字で表示されています。HbAIc(4.6~6.2)は上限値6・2を超える機会が多く、稀に基準値6・2以下の基準内がある程度。これほど血糖が悪くても甘いものは避けることが出来ないので何でも口にしいます。「食べたいものを食べてよい お酒も飲んでいい」結果的にその通り実行しています。 

和田先生の「80歳を過ぎたら我慢をしない」という生き方だ。がんにならないために食べたいものを我慢したり、好きなお酒(ビールしか飲まない)やタバコ(吸ったことがない)を控えたりすることもない。むしろ好きなこと(野鳥撮影など)をして気楽に生きるほうが、免疫力が高まることも分かっており、がんの進行を遅くするという。認知症は必ずやってくる 今のうちにしたいことをする、ことを勧めている。 認知症は病気というより「老化現象」に近いものであり、年を取ると誰にでも起こる症状だというのだ。認知症の発症年齢のデータを示している。60代で1~2%、70代前半で3~4%、70代後半で10%、80代前半で20%を超え、ここから一気に増える。 80代後半で40%、90歳で60%、95歳では80%となる。「死ぬまで認知症にならなかった」という人は、認知症になる前に亡くなっただけのこと、と書いている。 そこから導かれる結論も「どんどん好きなことをして、楽しく生きること」。そのことによって脳は刺激を受け、活性化し、認知症の発症を遅らせることは可能だという。この本の一番気に入ったところ。 

 和田先生はどんな医師を選ぶかが晩年の幸・不幸を左右するとして、良い医師選びが大切だという。近所のFクリニックの先生は十数年もかかりつけ医としてお世話になっていますが、自分では良い医師に巡り合ったと自認しています。コロナ禍になってからは1回目から3回目までワクチン接種もこのFクリニックからの連絡で予約から接種まで済ませています。常にお世話になっております。

糖尿病の治療がアルツハイマー型認知症を促進するという驚くべきことを書いていますが一般に「糖尿病の人はアルツハイマー型認知症になりやすい」と言われていますがこれから先の運命は未知の世界です。未知に迷うか道を誤るかは宿命に従うしかありません。

 日本人の平均寿命は、男性が81.64歳。女性が87.74歳(令和2年調べ)。3月7日に82歳を超えたので、これまでは幸せであった。これから先は「未知の壁」

 

 

 

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より以前の記事一覧

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  • 廃線駅・函館本線旧神居古潭駅のSL 2015.08.01
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  • 沖縄の世界遺産巡りと鎮魂の旅 2015.05.09
  • 魚花繚乱美ら海リゾートビーチの旅 2015.05.08
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  • 大倉山観梅会 2015.03.01
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  • ぶらフォト散歩で熱海の岩盤浴 2015.01.20
  • 貝独楽の想い出 2015.01.15
  • 貝独楽(ベーゴマ)と再会する 2015.01.14
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  • 五年間有効の肺炎球菌ワクチン 2014.11.24
  • 箱根の富士山 2014.11.20
  • 寡黙、哀愁、男の優しさ、名優 高倉健さん逝く 2014.11.19
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  • 人生80年どのように生きるか! 2014.11.17
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  • 盆の旅は墨色の温泉 2014.09.12
  • 盆の旅は歴史を学ぶ旅 2014.09.11
  • 盆の旅は田舎に泊ろう 2014.09.09
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  • 熱海観光と温泉 2014.05.07
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  • 漁夫歌人に学ぶ紀行 2013.10.25
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  • 横浜開港記念みなと祭Ⅴ 2013.05.08
  • ヨコハマカワイイパレード 2013.05.07
  • 横浜開港記念みなと祭Ⅲ 2013.05.06
  • 横浜開港記念みなと祭 2013.05.05
  • ザ よこはまパレード 2013.05.04
  • 河津大滝の撮影 2013.04.06
  • 峰温泉と河津七滝(かわづななだる) 2013.04.05
  • 古ムーンの法師温泉 2013.03.12
  • サーカスの想い出 2013.03.07
  • 横濱中華街 2013.02.26
  • 二頭龍 2013.02.23
  • 春節娯楽表演の龍舞 2013.02.22
  • 神戸の獅子舞 2013.02.21
  • 張海輪の雑技いろいろ 2013.02.20
  • 張海輪の変面(へんめん) 2013.02.19
  • 春節の舞踊 2013.02.18
  • 二頭の獅子舞 2013.02.17
  • 春節の横浜 媽祖廟 2013.02.16
  • 春節の関帝廟 2013.02.15
  • 春節の獅子舞パレード 2013.02.12
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